1973889番目の読書家の本棚
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読書状況 読み終わった [2024年4月15日]
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有島武郎の母方の親戚である新渡戸稲造の著。有島周りの知見を広げるため読んでみる。本著は全編英語によるもので訳は矢内原忠雄によるものになる。昭和15年から始まる矢内原の仕事は戦後現代語訳も担当し、おそらく矢内原での本作が広く知られているのではなかろうか。

著作の発端は新渡戸とラヴレーの「宗教無くしてどのように道徳教育を授けるのか」から始まる。ラヴレーだけではなく米国人であった妻からも問われ、半ば苦し紛れに武士道と答えたところが本著の発端になる。キリスト教文化圏に武士道を単元ごとに伝える作品であるが、訳者矢内原曰く、新渡戸が熟読玩味していたカーライルの影響を受けた「簡潔・真摯なる行論中に諧謔皮肉を交えたもの」になっている。

そう、皮肉が効いているのである。少なくとも想像よりもかなりライトに読むことができる。
おそらく薩摩士族の英才教育に苦しめられてきた有島が新渡戸を師と仰ぐ理由はここにあるのではないだろうか。
このためであろうかやはり当時の評価として右派による批判はあったようだ。

しかし、訳者が違う版(峰竜一郎版か?)なのだろうか、感想サイトに私とは印象が違う感想を書かれているのをみて、本当に同作を読んでいるのか不安になった。

2024年2月17日

読書状況 読み終わった [2024年2月17日]
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「かたちを見る」ということの哲学的な概念史である。
視覚の本質的な概念として「目で見るだけではなく脳で見る」ことが視覚。
「開眼したばかりの生まれつき目が不自由な人には、給湯器立方体というような立体の識別ができるかどうか」→モリヌークス問題を本書の大部分を占める。

2024年3月28日

読書状況 読み終わった [2024年3月28日]
読書状況 読み終わった [2024年2月4日]
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