さいはての島へ: ゲド戦記 3 (岩波少年文庫 590 ゲド戦記 3)

  • 岩波書店
3.91
  • (66)
  • (64)
  • (57)
  • (10)
  • (2)
本棚登録 : 768
感想 : 49
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001145908

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 成長物語とかそんな単純な言葉で言い表せないほど複雑で、惹かれるファンタジー。

  • ゲド戦記初期3部作の最終章。
     
    アースシーという架空の魔法世界。
    魔法の力が衰え、人々は無気力になり、
    死の訪れを待っている。
     
    何者の仕業なのか?
    ゲドと王子は敵を求めて旅立つ。
     
    3部作の中でも最も重い
    『死』をテーマにした本作。
     
    「死んだ人々はみな生きている。
     死者は朽ちることなくよみがえり、
     永遠に果てることはないだろう。
     ただ、そなたは別だ。
     詩を拒んだからだ。
     そなたは死を失い、
     詩を失うことで、
     同時に生を手放した。
     自分を救おうとして、
     たかが自分ひとりを救おうとしてな。」
     
    過去多くの権力者たちが求めてきた『不老不死』。
     
    『世界3大ファンタジー』の1つである
    『ゲド戦記』。
     
    もっと若いうちから読んどけばよかった、
    と思えるくらいおもしろくて、
    考えさせられる作品です。
     
    新たな旅が始まる第4巻以降も楽しみです。

  • アレンは、かつてゲドが影を呼び出してしまった昔の自分と同じ年頃。旅の途中、魔法も使わず、沈黙しているばかりのゲドに不信感がつのる。でも、このことを乗り越えてアレンが力尽きたゲドを支えて黄泉から生還する。その過程は、ゲドが告げた「アレンの旅」で、王になるために必要な成長を促すものだったと思う。三巻で、ゲドは冒険の主人公ではなく、導き手となった。1~3巻でゲドの人生(人の人生)を見せられた。何度も読み返したい本になった。ゲドが若者に語る人生観がいいなあ。また、これまでいろいろなファンタジィに限らず「物語(小説)」を読んできたけれど、自分がなぜ「物語」を読みたがるのか?と今更ながら知りたくなった本。

  • 一貫してこの作者は自主性を貫いて
    けして脅しや不安恐怖による命令で
    人の心を奪って自分の思惑で物事を動かし
    無理強いした解決を良しとしない

    浅知恵であろうと怯えからであろうと
    本人のその時その場の意思と選択を尊重し
    むしろこの物語の主人公の成長を可能にするために
    自分の肉体を提供しようとすらしてみせる

    この自主性の村長こそが全体観につながる
    調和を目指すことで
    どの部分にとっても最善の喜びへ向かう旅になることを
    意味しているのだと伝えたいようだ

    何かを決断するときには
    「ある」と「する」のどちらかを選ばなければならない
    そこに「ある」人生に添うことと
    何かを選んで「する」人生に踏み出すことの
    どちらかを常にイヤでも選んで行かなければならない
    つまりどちらにしても選ぶことから始まっていく
    そして何かをすることから何かをすることへと
    大きな変化を迎えるときの踊り場では
    ソコに「ある」人生に身を任せながら
    咀嚼する時間を必要とする(63ページ)

    歪むことで流れを生み出し学ぶことを
    可能にしているこの世だけれども
    歪み過ぎた時に自己修復する治癒力によって異変が起こる
    又コレとは別の利己的で邪悪な欲望によって
    自然に見せかけた密かな思惑による異変もある

    この飴と鞭で心をくすぐる異変を利己心を離れた心で
    全体を加味する冷静さで見つめることは難しい
    本文より(65)
    「まちがいではないさ。しかしただ行きたいと思うだけではなく、例えば限りない富とか・絶対の安全とか・絶対の命とかを求めるようになったら、その時人間の願望は変わるのだ。そして知識がその欲望と手を結んだら、よこしまなるものが立ちあがる。そうなるとこの世の均衡はゆらぎ、破滅えと傾いていく」

    これは学問とか宗教とか魔法とも同じことで
    性善説をとるか性悪説を取るかが問題になる

    「恥を知るものにこそ栄光がある」(66〜67)

    「ソプリは死を求めていたのでない。死にも生にも背を向けて安心を求め死の不安に終止符を打ちたかったのだ」
    「でも、死を超えて生に通じる道があるはずでしょう。私達はそれを求めているしあなたはそれを知っているでしょう」
    「ワシは知らん。勿論彼らが探していると思っているものが何かということは知っている。だがそれが嘘だということも知っておる。いいかソナタはいつか死ぬ。永久に生き続けることなどない。俺等は幸いな事にいつか必ず死ぬことを知っている。これは人間が天から授かった贈り物だ。そなたは一つの波を救うために、自分を救うために海を鎮め潮の流れを止めようと思うかい?永久の身の安全を得るためになら、持っている技を放棄し喜怒哀楽の情を放棄し太陽の輝きを見られなくなってもいいとおもうかい?」「生を拒否することによって死を拒否し、永遠に生き続けるという!だがな、ワシは絶望から発した勧めなど受け付けない。」「そなたの生身の人間としての恐怖がそなたを引っ張っていく所に行き着かなければならない」(201〜)
    「わしらの心の中には裏切り者がひそんでいる。そいつの囁きがわかるのはほんの少しの人間だけだ。魔法使いとまじない師に吟唱詩人と職人たちと英雄がいる。自分自身であろうと務めている人だ。自分であることは偉大なことだ。だが永久に自分自身であることはどうなんだろう?」
    「不死を願い気持ちが強いほどその魂が健康だとも言える。」
    「よこしまな王が支配し人の術は忘れられ詩人が言葉をなくし皆盲になる。今がこの状態だ。この世では二つのもの、相対立するものが一つのモノを作り上げている。万物の影。光と闇。天の両極。そして生は死から死は生から生まれている。対立しながら求め互いに生を与え合い、永遠に蘇りを続けていく。だとすると変わること無く永遠に続く生とは?死を他にして何がある?」
    「誰が許す?誰が禁止する?(誰が善悪を決める?)」(224〜)
    (自分以外に決定をくだし責任をとれる者などいないだろう)

  • 夏読57冊目。
    #ゲド戦記 シリーズ3作目。
    この本が、映画の大筋となっている。
    アレンは相変わらず不安げだけど、成長が楽しみ

  • 読み終えて、涙が溢れて来ました。
    こんな気持ちにさせてくれる本に出会えて感謝です。
    これから帰還を読みます。

  • どうして、ゲド戦記を読むとこんなにも心が揺さぶられるのか。生と死を真っ正面から見つめることの恐ろしさを感じて、しかし登場人物と共に、それと向き合い、「生きる」ことを選び取っていく勇気をもらえるからなのだと思う。
    生きていくことはこんなにも難しく、また恐ろしく、そして勇気のいることなのだろうと。自分たちの生きるこの世界の大きさを目の当たりにしたようでとても恐ろしいのだ。そしてそれを選び取る自由は私自身の中にあるということ。自由って恐ろしい。その上で、強く自分を生きることを選び続けること。ゲドへの敬愛と共に私もこの生を生きるのだ。

  • ゲドがダンディ!!

著者プロフィール

アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(Ursula K. Le Guin)
1929年10月21日-2018年1月22日
ル・グィン、ル=グインとも表記される。1929年、アメリカのカリフォルニア州バークレー生まれ。1958年頃から著作活動を始め、1962年短編「四月は巴里」で作家としてデビュー。1969年の長編『闇の左手』でヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。1974年『所有せざる人々』でもヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。通算で、ヒューゴー賞は5度、ネビュラ賞は6度受賞している。またローカス賞も19回受賞。ほか、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ニューベリー・オナー・ブック賞、全米図書賞児童文学部門、Lewis Carroll Shelf Awardフェニックス賞・オナー賞、世界幻想文学大賞なども受賞。
代表作『ゲド戦記』シリーズは、スタジオジブリによって日本で映画化された。
(2018年5月10日最終更新)

アーシュラ・K.ル=グウィンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×