- Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003314418
作品紹介・あらすじ
大正七年の五月、二十代の和辻は唐招提寺・薬師寺・法隆寺・中宮寺など奈良付近の寺々に遊び、その印象を情熱をこめて書きとめた。鋭く繊細な直観、自由な想像力の飛翔、東西両文化にわたる該博な知識が一体となった美の世界がここにはある。
感想・レビュー・書評
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古寺巡礼
著:和辻 哲郎
紙版
岩波文庫 青144-1
大正7年著者が、友人と奈良付近の寺々をめぐった印象記とある
ギリシャ⇒インド⇒西域⇒中国⇒日本 を貫く、美術、技法の伝達
仏像をみてなまめかしい感触をもつなど、結構官能的、学術的にはちょっとはずしているのでは
天武帝や光明皇后などの逸話、万葉集と恋歌、そして、仏像とその作者への思い、など、和辻が案内する奈良の原風景は、時代を超えて日本という国が明確に成立した時代、白鳳時代へといざなってくれる
仏像、菩薩、まさに日本の至宝
東大寺三月堂本尊不空羂索観音
聖林寺十一面観音
法隆寺百済観音
法華寺十一面観音
薬師寺金堂本尊薬師如来
薬師寺東院堂聖観音
薬師寺吉祥天女(画)
法隆寺金堂壁画右脇侍
法隆寺橘夫人念持仏
法隆寺夢殿観音
中宮寺観音 等
目次
一 アジャンター壁画の模写──ギリシアとの関係──宗教画としての意味──ペルシア使臣の画
二 哀愁のこころ──南禅寺の夜
三 若王子の家──博物館、西域の壁画──西域の仏頭──ガンダーラ仏頭と広隆寺の弥勒
四 東西風呂のこと──京都より奈良へ──ホテルの食堂
五 廃都の道──新薬師寺──鹿野苑の幻想
六 浄瑠璃寺への道──浄瑠璃寺──戒壇院──戒壇院四天王──三月堂本尊──三月堂諸像
七 疲労──奈良博物館──聖林寺十一面観音
八 数多き観音像、観音崇拝──写実──百済観音
九 天平の彫刻家──良弁──問答師──大安寺の作家──唐招提寺の作家、法隆寺の作家──日本霊異記──法隆寺天蓋の鳳凰と天人──維摩像、銅板押出仏
十 伎楽面──仮面の効果──伎楽の演奏──大仏開眼供養の伎楽──舞台──大仏殿前の観衆──舞台上の所作──伎楽の扮装──林邑楽の所作──伎楽の新作、日本化──林邑楽の変遷──秘伝相承の弊──伎楽面とバラモン神話──呉楽、西域楽、仮面の伝統──猿楽、田楽──能狂言と伎楽──伎楽とギリシア劇、ペルシア、インドのギリシア劇──バラモン文化とギリシア風文化──インド劇とギリシア劇──シナ、日本との交渉
十一 カラ風呂──光明后施浴の伝説──蒸し風呂の伝統
十二 法華寺より古京を望む──法華寺十一面観音──光明后と彫刻家問答師──彫刻家の地位──光明后の面影
十三 天平の女──天平の僧尼──尼君
十四 西の京──唐招提寺金堂──金堂内部──千手観音──講堂
十五 唐僧鑑真──鑑真将来品目録──奈良時代と平安時代初期
十六 薬師寺、講堂薬師三尊──金堂薬師如来──金堂脇侍──薬師製作年代、天武帝──天武時代飛鳥の文化──薬師の作者──薬師寺東塔──東院堂聖観音
十七 奈良京の現状、聖観音の作者──玄弉三蔵──グプタ朝の芸術、西域人の共働──聖観音の作者──薬師寺について──神を人の姿に──S氏の話
十八 博物館特別展覧──法華寺弥陀三尊──中尊と左右の相違──光明后枕仏説
十九 西大寺の十二天──薬師寺吉祥天女──インドの吉祥天女──天平の吉祥天女──信貴山縁起
二十 当麻の山──中将姫伝説──当麻曼陀羅──浄土の幻想──久米寺、岡寺──藤原京跡──三輪山、丹波市
二十一 月夜の東大寺南大門──当初の東大寺伽藍──月明の三月堂──N君の話
二十二 法隆寺──中門内の印象──エンタシス──ギリシアの影響──五重塔の運動
二十三 金堂壁画──金堂壁画とアジャンター壁画──インド風の減退──日本人の痕跡──大壁小壁──金堂壇上──橘夫人の廚子──綱封蔵
二十四 夢殿──夢殿秘仏──フェノロサの見方──伝法堂──中宮寺──中宮寺観音──日本的特質──中宮寺以後
解 説…………(谷川徹三)
ISBN:9784003314418
出版社:岩波書店
判型:文庫
ページ数:296ページ
定価:900円(本体)
発売日:1979年03月16日第1刷
発売日:2006年10月05日第52刷詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
和辻さんの、落ち着いているけど艶めかしくって深みのある、漆のような美文には、何度読んでも胸が高鳴ります。
私の勝手な妄想にすぎませんが、信仰心以上に仏教美術の「美を眺めること」に主眼を置きながらも、千年以上もの間日本の信仰を支えてきた、かけがえのない美を表現するためには、敬意として丁寧な観察と出来うる限りの言葉を駆使しよう、と努めているかのような、和辻さんの真摯な心のあり方を感じ取れるような気がするのです。
それが、丹念に何層にも塗り重ねて艶と美を出す漆のイメージを喚起させると言うか…。
本書は、和辻さんが29歳だった大正7年(1918)の初夏に奈良市付近の古寺や擁する仏像等を拝観した折の印象などを綴ったもの。
インドのアジャンター壁画への夢想に始まり、インドから西域、中国を伝って古代仏教の受容と変質の最終地点であった、かつての都・奈良の地に存ずる、東大寺、薬師寺、唐招提寺、法隆寺といった、著名寺院の建造物や擁する仏様の美しさを記しています。
その微細な目の付け所や適切な描写力には、感服せざるを得ません。まさに、天性の審美眼の持ち主といった感じです。
一体、和辻さん以外の誰が、例えば、法隆寺の五重塔を見上げてその周囲を巡りながら、観る位置によって異なる見事な趣きを、「塔が舞踊しつつ回転するように見える」なんて、言い表わせるでしょうか。
また、目の前の形あるものを描写するにとどまらず、蒸し風呂入浴者の陶酔と幻覚状態やら、天平時代の女の激しい心持ちやら、記録に残らなかった腕利き仏師の出自やら…心の中で膨らませに膨らませた、無数の空想というか妄想までも、文章の中に見事に落とし込んでいるのもすごいです。
まるで、薬師寺東塔を飾る水煙を飛び回る天人のような、その自由闊達な軽やかさも、作品の魅力を支えています。
和辻さん自身が「若い情熱と幼稚の不可分」と表現した、溢れる愛がたまりません。
この作品が書かれてから既に100年近くが経過し、拝観方法や収蔵場所がかなり変わったところもありますが、それでもやはり奈良の寺好きなら是非とも読むべき名著ですね。
何度読んでも、「そんな見方できるのか!」という新鮮な驚きに満ちた作品です。 -
若き日の和辻哲郎が、奈良の古寺をめぐった際の印象を書き留めたエッセイ。宗教的関心ではなく、美的関心に基づく感想がつづられている。
本書の出版から28年後に書かれた「改版序」で、和辻は本書に認められる若々しい情熱を「はずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した」と述べている。彼はまた、若き日の「美的生活」からの「転向」をつづった文章で、「私がSollenを地に投げたと思ったのは錯覚に過ぎなかった……かくて私は一年後に、Aesthetのごとくふるまったゆえをもって烈しく自己を苛責する人となった」と言う。そこには、美に引き寄せられつつも、美に耽溺してしまうことを倫理的に拒否してしまう和辻の姿を認めることができる。こうした彼の内面の振幅が、本書のもつ奥行きを可能にしているのではないだろうか。
本書の始まりの方で、和辻は次のように書いている。「昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか……。この問いには返事ができなかった。……父がこの問いを発する気持ちに対して、頭を下げないではいられなかった。」厳格な父の前でみずからを恥じつつも、和辻は奈良の仏教美術がもつ美に魅かれてゆく。薬師寺の聖観音と薬師如来について記した文章はむしろ、これらの仏像のもつ艶かしい魅力から眼を背けることのできない和辻の姿を読者に印象づける。
本書で注目すべきもう一つのポイントは、のちの『風土』へと引き継がれてゆくような洞察が示されている点だろう。本書で和辻は、奈良の仏教美術の背後に、遠くギリシア、インドから中国、朝鮮を経て日本に至るまでの文化のつながりを認めると同時に、そうした文化的な影響を取り入れながら日本人が形成していった独自の美的感性に注目する。そこには、後年の和辻が必ずしも自由ではありえなかった偏狭な自国愛は存しない。「外来の様式を襲用することは、それ自身恥ずべきことではない」と和辻は言う。和辻は聖林寺十一面観音像の制作者が中国から来たという可能性を認めながらも、作者は「わが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らかの心情の変異するのを感じないであろうか」と述べて、日本の風土によって観音像の与える印象が決定づけられていると主張している。 -
本当に美しい日本語だと思う。
和辻哲郎の感動のポイントを読んでいると、すぐに奈良に行きたくなる。
うちからだと日帰りで十分いけるけれど、奈良ホテルに10日ほど泊まって奈良巡礼をしたくなってきた。 -
大正七年の五月、二十代の和辻は唐招提寺・薬師寺・法隆寺・中宮寺など奈良付近の寺々に遊び、その印象を情熱をこめて書きとめた。鋭く繊細な直観、自由な想像力の飛翔、東西両文化にわたる該博な知識が一体となった美の世界がここにはある。
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【仏像鑑賞におススメしたい本5選 番外編①】1979年に出版され、当時仏像ブームを引き起こしたらしい。私も現代っ子なので、そもそも読むのが難しく、かつ、好き放題語っている(笑)印象だけれど、著者も言っているように、若さも感じられる仏像鑑賞の金字塔。そのため、仏像鑑賞していると必ずどこかで引用されて登場するので一回読んでおきたい。
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「仏教論争」で名が出た和辻哲郎の名著を今さらながら読了。最初は日記がわりの短文であったものが、日付がなくなったあたりから考察に熱が入り寺仏への没頭が伝わる内容に圧倒されました。
この愛情の深さに比べて、それを単なる論争家の一人に堕する扱いをするのは、きわめて失礼だと思います。 -
奈良の古寺散策はこれほどまでに大変だったんだと感じれる。
この不便さがいいんだろうなぁ -
小生の手元にあるのは、なんと!61刷!大正時代に著者が訪れた奈良付近の寺院巡礼記。筆致は今もなおみずみずしく読者に迫る。奈良に行きたくなる本。