論文の書き方 (岩波新書 青版 341)

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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150923

感想・レビュー・書評

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  • 昨年没後30年を迎へた清水幾太郎氏。例によつて愚図愚図してゐるうちに、年越しをしました。
    『論文の書き方』は、清水氏の数多い著書の中でも、よく読まれ、かつ現在もロングセラアになってゐます。新書といふ手軽に読める形態も拍車をかけました。
    いづれにせよ、昔も今も論文作成に四苦八苦してゐる人が多いといふことですな。

    「Ⅰ短文から始めよう」清水氏は、戦前に「東京朝日新聞」にて「槍騎兵」なるタイトルでコラムを連載してゐたさうです。コラムとは短文の典型みたいなコオナアであります。そこで培はれた経験とスキルが文章力がついたと言つてゐます。
    「Ⅱ誰かの真似をしよう」これは欠かせないステップでせう。ある程度文章を書く人は、必ず誰かの影響を受けてゐます。しかし新聞の文章は真似するなと主張してゐます。「ニュース本位」と「商業主義」を問題なのださうです。スクープ優先主義といふことですかな。
    「Ⅲ「が」を警戒しよう」本多勝一氏も指摘した意味の無い「が」。つひつひ使つてしまひますが、これをなくすことで論理がすつきりとする気がします。
    「Ⅳ日本語を外国語として取扱おう」母国語に甘えてはいけない、との指摘は身に沁みます。
    「Ⅴ「あるがままに」書くことはやめよう」そもそも「あるがままに」文章が書けるものでせうか。そりや無理です。本当に「あるがままに」書かうとするなら、時間は無限に必要でせう。文章を建築物に例へてゐるのは、眞に正鵠を射てゐると申せませう。
    「Ⅵ裸一貫で攻めて行こう」勇ましい章タイトルであります。いよいよ書き始める訳ですが、プロの書き手でも冒頭の文章は迷ふものらしい。ここで失敗したら後々面倒な事になりさうです。「書くことは観念の爆発である」なんて、岡本太郎みたい。
    「Ⅶ経験と抽象の間を往復しよう」当時、大学の先生が、学生の一、二年生と三、四年生の間には論文の内容に差があると。即ち、一、二年生は自分の経験をダラダラと書き、三、四年生になると、やたらと抽象用語が増えると。しかも過剰に。著者は、「経験と抽象の間で頻繁な往復交通を行わねばならないのである」と述べてゐます。
    「Ⅷ新しい時代に文章をいかそう」日本語の文章では主語が最初に来て、述語が最後になり、欧米人などからは「結語が最後に来るのはストレスが溜る」などと言はれます。特に話し言葉ではさういふストレスを聴衆に与へない事が肝要であります。テレビジョン時代の文章といふセクションでは、映画、ラヂオ、テレビジョンが文章のライヴァルになると予言してゐますが、それは的中したかな?

    本書全体を俯瞰しますと、その後の「文章作法」「文章読本」の類ひに敷衍したり、再論されたりする内容が多いのです。それだけ本書の完成度が高いとも申せませう。少々(相当か)古い部分もありますが、その根底に流れる考へは今でも通用すると愚考いたします。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-770.html

  • 350円購入2004-10-17

  • 日本語というものとどのように向き合うか。作文技術。知的散文のあり方、及び、書き方。

  • 清水幾太郎の「愛国心」を読み、とても冷静ですっと読み込めるものだったから、その人がどういうあたりを気にかけながら書くものなのか……ついでに自分もこういう冷静な書き方をしてみたいものだと思って、購入した。

    こういう書き方の本はこれ含め3冊持っている…のかな。
    どれも共通しているのが、書くことは自分を表現すること、なのである。

    私は自分が思ったことを直で書くことが苦手で、こういう記録なども相当苦手だ。それで、小説という形を用いて、別の登場人物に託すことになるのだが、間に何が入っていても、書いている者は私なのだから、書くことは私を書くことなのだ。

    その書きものだが、現在まるで書けないでいる。
    清水幾太郎によると、新しい現実にぶつかっているからなのだという。
    言われてみれば、そういうタイミングでじわじわと書けなくなっていった。
    この山を越えたら、また新しいスタイルが、書きたいものが見えるのか。

    本はあくまで論文の書き方であったけど、物を書く人は読んでみて損はない。

  • どっかの古本屋の店先で買った。繰り返し読みたい本。
    自分の文章のスタイルが欲しい。

  • 「論文」となってはいるが、論文に限らず作文技術全般に関するエッセイ。エッセイなので作文技術を体系的に論じたものではないけれど、それでも長く読まれているだけあってたくさんのヒントが記載されているし、エッセイならではの含蓄もある。
    著書の文章作成における心得は、結びに次のようにまとめられている。「文章を機械のように作ろう。文章を建築物として取扱おう。曖昧な「が」を警戒しよう。親骨を見失わないようにしよう。経験と抽象との間の往復交通を忘れまい。日本語の語順に気をつけよう」。とくに「曖昧な「が」を警戒しよう」は、本当に大切な60年前の本だけど、文章を書くことの要諦はぜんぜん変わってない。

  • 小論文に留まらず、ナマの事実から、
    何事かを紡ぎ出そうとする人間には
    必須の作業が明快に綴られている。

    情報を頭の中で咀嚼して、自分の考え、
    自分の言葉としてアウトプットすることの
    難しさがよく分かる。

  • 岩波ベストセラーNo.3

  • 筆者の文章は、私たちの世代なら、大学受験国語でおなじみ、読解練習をよくさせられたものである。当時はそのつもりで読んでいるので、感想も何もあったものではなく、ひたすら正解だけを求め続けて読んでいたが、それから数十年、改めて「読書」してみて、当時のそんな読み方は非常にもったいに読み方だったのだなあと痛感させられた。
    さすがに岩波新書の青版、近年相次いで出版されているお手軽新書とは違い、読みごたえがある。が、私が年を取って筆者の年齢に近くなっているからか、時々垣間見える筆者の愚痴に親近感もわいたりした。若いときには大家からのありがたいお言葉という感じでの受け止めだけで終わっていたかもしれないが、年を取ってから読むと、このような大家の人間臭い部分がちょっとわかるようになって、そのおかげで本の内容がすっと入ってきてしまうなんてこともある。上では若いときにもっとちゃんと読んでおくべきだったと書いたが、こういう発見は、大人になってから読むことの特典なのかもしれない。
    本編についてだが、「論文の書き方」というタイトルであっても、当然最近の軽いハウツー本などとは全く異なり、日本語と外国語の違い、日本の社会や文化・教育に対する批評、哲学等を学ぶ時のこちらの心構えや姿勢など、その考察は本当に深く、これからも折に触れて読み返したいものばかりだった。

  • 論文の書き方を知りたくて手に入れた書籍。一般的な文書の書き方を教えるという内容ではなく、日本語の文書とはから著者の経験から解説した書籍だった。文書を書きたい人に、書きたいけど悩んでいる人に、何かヒントを与えてくれる。

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著者プロフィール

清水幾太郎

一九〇七(明治四〇)年、東京生まれ。社会学者。東京帝国大学文学部社会学科卒業。文学博士。二十世紀研究所所長などを経て、学習院大学教授、清水研究室主宰。主な著書に『愛国心』『流言蜚語』などのほか、『清水幾太郎著作集』がある。訳書にヴェーバー『社会学の根本概念』、カー『歴史とは何か』などがある。八八(昭和六三)年没。

「2022年 『日本語の技術 私の文章作法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

清水幾太郎の作品

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