- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004203254
作品紹介・あらすじ
自国の独立など文明論全般のなかでは瑣々たる一か条にすぎない。だが今はその一か条にこそ賭けなければならないのだ-福沢の議論は、西洋文明の歴史と対比しつつ日本文明の伝統を描き出した上で、主権的国民国家の形成という日本国民が直面する課題へと一気につきすすむ。足かけ4年にわたった読書会での全講義完結。
感想・レビュー・書評
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【「文明論之概略」を読む 上】
丸山真男著、岩波書店、1986年
早稲田大学の5年生だった時(間違いではない)に、北大でも教鞭を取られていた坪井善明教授の大学院のゼミに参加させてもらっていた。
YOSAKOIソーラン祭りの実行委員長を務め終えて、いい気になって早稲田に帰って来た時に、札幌でお世話になっていた坪井先生に挨拶に行ったら、「荒井は、いろいろと動いて活躍していい気になっていると思うが、これから世界に出て行けば、君くらいのことをしているのなんて大したことがないんだ。世界では皆、学生時代には猛勉強してマスターもドクターも持っている人たちが、活躍している。克己心をもってちゃんと勉強しろ。」と怒られた。
そうして、大学院生のゼミに参加することになった。
北大でも早稲田でも「鬼の坪井」と異名を取った人だけある。
その時に読んだうちの一冊が本書。
言わずと知れた福沢諭吉の「文明論之概略」を、日本の政治思想史の泰斗である丸山真男が解説しながら読み進めていくというスタイルを取っている。
東大法学部の丸山ゼミに参加している如くだ。
およそ20年ぶりに読んで思ったのは、
・明治8年に「文明論之概略」を上梓した福沢諭吉の壮絶な危機感だ。
明治維新はなったが、このままでは国の独立が危うい、と。
なぜなら「一身独立して、一国独立する」のに、日本は人民に独立の意識がなさすぎると警告している。
そのためには、
「古習の惑溺(わくでき)を一掃し、西欧に行われる文明の精神(人民の自由と独立の気風)を取る」
ことを福沢は力説している。
惑溺とは「なんのためにあるかという本来の目的を忘れてしまい、手段が自己目的化してしまっている状態」のことであり、まさにここ最近、ずっと問題意識を持っていることだった。
学校という組織は「手段が目的化していて、組織がカチンコチンになっていることがあまりに多いのではないか」と思っていて、同僚の教員たちにこのところ、そこを気をつけようね、と話したばかり。
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上に立派な為政者がいれば全てが良くなるという為政者本位の儒教の考え方がそれ(「治国平天下」という当時の支配的観念)で、福沢が力を込めて批判するにもかかわらず、そういう「お上」の政治に世の中のことを全て期待する風潮は非常に強く、儒教がかつての力を失った後も衰えてないのです。
ーー
岩波新書だからといって、簡単な本ではない。
中下巻合わせると700ページを越す大著で、沢山の赤線が20年前に悪戦苦闘した様を物語っている。
あの時も今もどれだけ理解して血肉になったのかはわからないけれど、坪井先生に叱られなければ、出会うことがなかった。
福沢も丸山も、そして坪井先生も大学人だ。
本当の大学には無限の可能性があるのだと感じたし、それを見いだせるかどうかは、自分自身でしかない。
まさに、「一身の独立」だ。
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予備校時代に読了。今から考えてみると、当時の現代文の題材として挙げられていた、丸山真男や小林秀雄などをよく読んだことが、その後の自分の読書やものの考え方に大きな影響を及ぼしていることに気づいた。
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非常に読みやすい。福澤への思いが伝わってくる。筆者も書いているが文明論之概略と一緒に読むことをお薦めしたい。
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政治学などを学んだことがない 歴史好きの 私だが 、明治初年の 日本の 文明西洋化への戸惑いが 分かってきた。
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某ゼミで3巻通読する。
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丸山真男
「 文明論之概略 を読む 」上巻
明治維新直後の旧体制派と近代進歩派の不毛な議論を避けるため、議論の目的、文明の定義や進歩の意味など 福沢諭吉の根本思想を捉えながら、交通整理している。
福沢諭吉の根本思想
*人事の進歩は多事争論の間に在り〜人間交際や異論への寛容であるべき
*議論の本位は 文明に向かって進むべき〜議論の極端主義と損得判断を避け、表裏一体の両面性を捉える
*歴史の無限の彼方に「文明の極致」という完成状態を予想している〜啓蒙の進歩の思想を受容
*対立や闘争を歴史的進歩の契機とみている〜競争や闘争により人間は向上する
文明の定義
*文明は 人の身を安楽にして、心を高尚にする〜文明とは 結局、人の智徳の進歩である
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40年前に開催された編集者相手の読書会の講義録。まず該当箇所の原文を通読せよとの指示があるので、その上で本書を読むと、自分の読みが不十分で浅い事を痛感する。ただし、福沢大好きな著者の解釈なので概ね肯定的というか賛美に近い内容になっており、その辺は多少割り引いて読む必要はあるかもしれない。ただし、著者は「とことん惚れる事により真実が見える」と開き直ってはいるが。尚、原典の巻頭にある「緒言」の解説は(下)の最後に後回しとなっている事に留意しておく必要がある。
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丸山眞男「古典からどう学ぶか」(「図書」1977.9)
丸山眞男集⑬ -
丸山真男で一番好きな本。
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実家の本棚からもらってくる。ユキチの代表作をマサオが読み解くのだから難解に違いないと想像していたが、そんなことはなかった。
本書が講義を文字に起こして作られたという作業経緯による部分もあるが、筆者がものすごく切れ味がよいからだと感じた。 -
大学の先生から貸していただいた本。
何日もかけて、やっと上を読み終えることができた。
福沢諭吉さんの『文明論之概略』を、
著者の丸山真男さんが解説を交えて読み進めていく本。
丸山さんが冒頭で言っているように、
この本で文明論之概略を全て網羅しているわけではないので、
これを読んだだけでその全てを理解した気になってはならない。
内容だが、序の「古典からどう学ぶか」はなかなか面白かった。
丸山さんが言っているように、日本人の古典離れは書店に行っただけで分かる。
堂々と目立つように飾られているのは「~の方法」とか、「~だけが知ってる・・・のコツ」とか、
一目見ただけで目を引くようなものが多い。中身があるのかは、本にもよるが。
その一方で、古典のほうは角っこのコーナーにちょこんと置いてあるのみ。
情報化社会を上手く表しているような陳列だと思う。
「諭吉さんが今の社会を見たら、どう思うだろう?」
という気持ちを持って読んでいったが、
上手いこと諭吉さんの批判することに当てはまっている部分が多いなと感じた。
特に、諭吉さんの言う『惑溺』は、現代においても真剣に受け止めるべきポイントであると思う。
資本主義である以上仕方のないことなのかもしれないが、
ブランドに惑溺してそのものの『働き』を考えることを忘れ、
マニュアル化によって相手の『立場』ばかりを考えてしまって、相手の中身を忘れてしまう。
それと似たように、何かあると「役人が悪い」と(私も)言ってしまうが、
実際には役人が悪いのではなく、その役人の働きが悪いという本質も忘れてしまう。
役人という立場が生まれたのも社会を良くするためであって、
それらの働きが悪いと言うことは、その役人を生み出している私たちのせいでもある。
諭吉さんの主張する事柄は、私も反省すべき点をズバズバと言ってきたので、
読んでいて心が痛いと同時に、非常に気持ちがよかった。
そんな諭吉さんの主張を分かりやすく説明し、本にまとめた丸山さんには、
本当に感謝だ。
何回も読みたい本であるし、中と下もどんどん読んでいこうと思うし、
諭吉さんの下敷きにもなっているギゾーやバックル、J.S.ミルの著書もぜひあたってみたい。 -
原文は読みにくいので、丸山先生に今日的な意義も踏まえて解説してもらました。
古典を読む心構えからスタートし、独特の緊張感をもって読み終えました。
文明の進歩は自由からもたらされる。そのためには多様な価値観の共存、競争が不可欠。単一の価値観やルーティンが強く支配する社会でなく、多くの議論や人の交流が活発な社会を目指そう!
今日にも通じるところがありました。 -
(2013.04.05読了)(1999.02.24購入)
【4月のテーマ・[福沢諭吉を読む]その①】
「文明論之概略」は、福沢諭吉の書いた本です。
原文をそのまま読みこなすことができそうもないので、丸山さんに読み解いてもらいます。丸山さんが、何人かの人に読書会で、講義したものを本にしたものということです。
「文明論之概略」のすべてを、逐次解説したものではないので、この本を読んでも、「文明論之概略」を読破したことにはならないので、読破するためには、あらためて読み直すか、この本と並行しながら読むしかないでしょう。
「文明論之概略」の内容は、進んだ西洋文明の考え方を紹介する、というものです。
福沢諭吉は、中津藩の出身で、長崎や大阪の適塾で勉強し、咸臨丸でアメリカに行ったり、遣欧使節団に同行してヨーロッパにもいって見聞を広めていますので、その辺の知識をかみ砕いて、当時の日本人にもわかるように記述しています。
丸山さんの解説を読んでいくと、福沢諭吉という人は、現代の日本の知識人よりも優れている人のように思われます。この本に学べば、日本は、もっとよくなるのじゃないかと思ってしまいます。
【目次】
まえがき
序 古典からどう学ぶか
第一講 幕末の知識人
第二講 何のために論ずるのか
第一章「議論の本意を定る事」
第三講 西洋文明の進歩とは何か
第二章「西洋の文明を目的とする事」一
第四講 自由は多事総論の間に生ず
第二章「西洋の文明を目的とする事」二
第五講 国体・政統・血統
第二章「西洋の文明を目的とする事」三
第六講 文明と政治体制
第三章「文明の本旨を論ず」
●志士の世代(35頁)
坂本竜馬や高杉晋作が福沢と同年あるいは年下だということは、今日ではイメージとしてはすらりと出にくいのではないでしょうか。福沢の維新直後の書物がベストセラーとなり、しかも彼は明治三十四年まで生きているのですから、福沢というと明治の人で、幕末志士たちとは時代が一段階ちがっているように思われています。
●多事争論(65頁)
社会・政治・歴史について、いろいろなちがった考え方が出てきて争うこと自体が悪い、あるいは新しい厄介な問題が発生すること自体がのぞましくない、それが秩序の乱れるもとになる、というのが、江戸時代に通用していた一般のたてまえです。だが、福沢はそうではなく、「多事争論」のなかにこそまさに進歩の源泉があるという。
●人民の交際を助ける(82頁)
人民の会議、社友の演説、道路の便利、出版の自由等、都てこの類の事に就いて識者の眼を着する由縁も、この人民の交際を助くるがために殊に之を重んずるものなり。
「会議」「演説」、これらは、福沢が作った訳語です。
●文明の進歩(87頁)
古来、文明の進歩は少数者の異端妄説から生まれているではないか
天下の多数者の意見が歴史を進めたのではなくて、むしろマイノリティが進めたことが多い。その時代において異端妄説として排斥されたものが、やがて広く認められるようになった。その例として、アダム・スミスとガリレオが挙げられるわけです。
●優先順位(127頁)
まず精神革命をやらなければならない。その次に政治・法律制度の改革、それから衣食住機械などの改革をやっていく。現実の日本の文明開化はこの順序が逆になっているわけです。
●政教一致(177頁)
儒学の政教一致はいけない。道徳は道徳、政治は政治であって、政教一致というと、どうしても権力者が同時に道徳について最高判定権を持つことになるからいけないと、近代的立場から批判しているのです。
●惑溺(198頁)
あるものを使う本来の目的がどっかへ行ってしまって、そのものの具体的な働きにかかわらず、「もの自体」が貴重とされる。そういう思考傾向を惑溺というのです。
☆関連図書(既読)
「福澤諭吉」西部邁著、文芸春秋、1999.12.10
「日本の思想」丸山真男著、岩波新書、1961.11.20
「翻訳と日本の近代」丸山真男・加藤周一著、岩波新書、1998.10.20
(2013年5月2日・記)
内容紹介 amazon
『文明論之概略』は、福沢諭吉の気力と思索力がもっとも充実した時期に書かれた最高傑作の一つであり、時代をこえて今日なお、その思想的衝撃力を失わない。敢えて「福沢惚れ」を自認する著者が、現代の状況を見きわめつつ、あらためてこの書のメッセージを丹念に読みとり、今に語りつぐ。読書会での講義をもとにした書下し。(全3冊) -
福沢諭吉の文明論之概略を丸山真男がかみ砕いて解説してくれている。文明論之概略自体それほど難解な本だとは思わないが、読み返す手間を省くという意味ではいいと思う。こういう本をもっと前からしっかり読み込んでおけば良かった。
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ようやく重い腰をあげて開いてみたら、本編の前に、序章の「古典からどう学ぶか」が興味深い。
日本における古典離れの指摘から、何故古典を読むべきなのか、どういう心がけで読むべきかという話。その過程で取り上げられる現代の日本人の行動心理やパターンが、ほとんど古典を読んでいない自分でも(むしろ読んでいないから?)、なかなか身につまされる。
無理に肩に力を入れて本と向き合う必要はないと思うけど、たまには、この人の言うことを素直に聞いて、気を引き締めて読んでみようと思う。
本編については、まだ上巻で折り返してもいないので、また読み終わってから振り返りたい。 -
<メモ>
・・・政治家や実業家などの分野でも、
明治の元勲と言われる人は圧倒的に天保生まれが多い。
西郷だけがちょっと年長で文政10年生まれですが、
大久保、木戸をはじめ、山県有朋、大隈重信、伊藤博文
井上馨、松方正義、黒田清隆などもみな天保生まれです。
福沢は、これら天保の老人世代に属している。
金甌無欠とは、開闢以来、国体を全うして外人に政権を奪はれたる
ことなきの一事に在るのみ。故に国体は国の本なり。
政統も血縁も之に従て盛衰を共にするものと云はざるを得ず。
・・・まず「惑溺」一般の説明をします。あるものを使う本来の目的
をどっかへ行ってしまって、そのものの具体的な働きにもかかわらず
「もの自体」が貴重とされる。そういう思考傾向を惑溺というのです。
この章の結びの節に「物の貴きに非ず、其の働きの貴きなり」という福沢哲学の基本命題が出てきます。(p198) -
高校3年生、図書館にて
304マ1
1955 -
10/11/20、ブックオフで購入。