現代社会の理論 情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書 新赤版465)

  • 岩波書店 (1996年10月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004304654

みんなの感想まとめ

この作品は、現代社会の構造とその影響を深く考察する内容であり、特に資本主義の限界や貧困問題についての洞察が光ります。多くの読者が大学時代のバイブルとして位置付けており、再読することで新たな視点を得るこ...

感想・レビュー・書評

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  • 大学時代のバイブルです。最近読み返したら、鉛筆で線がいっぱい引いてあって、無い頭を捻りにひねって考えながら読んだことを思い出しました。

    ・・・どうやら「構造」というものがあるらしい。それによって世界はまわっていて、「南」の貧困、あるいは「北」のなかの貧困を固定しつつ、様々なリスクを生み出しながら、危ういバランスのうえで、ぼくたちは大学やバイトに行ったり、日々を生きている。


    「途上国の8人家族が飢えに苦しみ・・・」というニュースを聞くと、何でそんなに子どもつくるんだよ自業自得!
    「コーヒー豆がスタバに買い叩かれるんだ!」と荒ぶる農民をみて、じゃあ別の仕事しろよ依存してるだけやっぱり自業自得!
    と辛口評論していた当時のぼくは、見田先生にあえなく論破されたのでした。

  • 予言の書みたいだ。20年以上前にこの本が書かれていることに驚愕する。

    資本主義がこれまでぶつかってきた限界と課題
    ① 需要の限界 → 不況と戦争
    ・モノが人々の手に行き渡り、「必要」を根底とする需要が無くなる。市場が飽和するという限界。
    ・モノが売れなくなることで不況が発生し、不況を乗り越える(需要を創出する)ために、戦争が発生するという課題

    ★ 需要の限界は、需要創出を「戦争」以外の方法で乗り越えること、で克服された。
    ・ケインズ:政府によって、有効需要を作り出す(公共事業とか)
    ・情報(デザイン・広告・モード):
    フォードとGMの例で説明する。
    - フォートは、「便利な」車を、単一モデルで、生産ラインを徹底的に合理化・効率化することで、低価格で販売し、市場を席巻した(=市場を飽和させる)
    - 一方GMは、車を「デザイン」で売った。「魅力的」なデザインの車を売り、そして定期的な「モデルチェンジ」を行い「新しい」車を売っていった。デザインには、「正解」がないため、需要には、理論上限界がない(ブランド車を複数所有する金持ちとかをイメージするとわかりやすいかと。便利さだけなら一台で良い。「魅力性」を王ならば、理論上需要/欲望は底なしとなる)。そして定期的な「モデルチェンジ」を行うことで、既存の車はどんどん古いものとなり、新たな「新しい」車への需要を創出する。デザインとモデルチェンジを人々に広めるために、需要を喚起するために、広告が活用される。

    モードに関してはMEMO
    モードのリズムは以下の二つによって構成される
    ・消耗のリズム(u)
    ・購買のリズム(a)
    モードは、a/u。購買が消耗を上回っている時、モードが存在する。
    購買のリズムが消耗のリズムを超えていればいるほど、モードの力が強い。
    モデルチェンジと<モードの理論>が消費社会を駆動するメカニズム。
    モードは、広告を通じて、自己否定することで、回転を早くしていく。

    ② 資源と環境の限界 → 資源の枯渇と環境の破壊と格差
    ・「情報」によって、需要が無限になったことで、大量生産→大量消費のサイクルが回る。
    ・「大量採取→(大量生産→大量消費)→大量廃棄」という限界づけられたシステムであり、地球の「資源」と「環境」という外部的な制約にぶつかる。
    「資源」:エネルギー、鉱物、一次産品、労働力など
    「環境」:地球環境

    ★ 資源の枯渇と環境の破壊と格差は、大量採取・大量廃棄しない、システムを構築することで、克服される。
    ・本書では、<消費>すなわち「存在それ自体の幸福」的な話になっている。

    ▶︎ 個人的には、情報(エンタメ)を消費する社会になると考えている。今後は、基本的に「必要」がテクノロジーによって満たされ始めるので、本書に即していうならば、情報(エンタメ)商品としての「消費」する社会になるかと。
    <消費>とエンタメ「消費」がメインとなる社会になると思う。

    Youtuber、「好きなことして生きる」、生き様コンテンツ、信用経済、諸々これに関連している。見田さん的に言えば、これらは「ソフト」な側面に属するのかと。


    最高に面白い本。

  • 高2の夏休みに課題図書として読まされたときは何が何だかサッパリだった。大学で専門の勉強をした今、再読してみると面白いぐらい引き込まれる。素晴らしい本を紹介してくれた、国語の教科担当の先生に感謝。

  • 資本主義の登場→初期の資本主義は限界性を内包:供給過多となり、需要と吊り合わないbyマルクス→消費化/情報化社会の登場→消費をモード化する&張り巡らされた情報網→人の無限の欲望を刺激→終わることのない消費→資本主義の限界を克服→外部性、資源の限界→克服可能か??

  • 情報化社会、消費化社会の現在などを書いた有名な社会学者による新書。
    200頁にも満たないものであるが、何度か読んでも新たに勉強になる点がある。

  • 図書館の本を読む▼
    https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/BB00644510

    現在の日本社会の状況を1990年代初頭には見通していた。東大社会学の顕学、社会学理論、文化社会学、現代社会論などの一流の研究者の知見を踏まえ、社会をレントゲンのようにクリアに分析し、原因と結果、問題点を明確に指摘している。見田先生は「ほんとうに切実な問いと。根底をめざす思考と、地に着いた方法とだけを求める精神」の重要性を繰り返し世界に問いかけている。合わせて宇沢弘文先生の『社会的共通資本』岩波新書も読みたい。日本は文系、理系という変な?分け方をしているが、どちらも必要なことは言うまでもない。国民必読の書と言えよう。
    (理工学部 佐藤幸也)

  • イリイチのコンヴィヴィアリティのための道具と並行して読んでいた。
    前書の刊行から20年近く時代が少し進み、情報化・消費化社会された時代についての解説はわかりやすかった。イリイチも引用されており、資本主義が自己準拠することで武力を行使せずに「恐慌」を乗りこえたことで、現在まで続いている。しかし、同時に先進国などは資源を外部環境である途上国などに追いやり、そのものの認識を薄めてしまっている。改めて、認識させられた。
    第4章からは、バタイユの「消費」とボードリヤールの「消費」を比較しながら情報化・消費化社会の転回について考察していた。多分、ここが筆者の1番伝えたいことであろうが、急に難易度が上がった。力不足。一度、この2人の翻訳を読んでみようと思う。


  • 文章が難解で読みにくかった…。現代文の入試問題に使われていそう。。

    同じ筆者のまなざしの地獄という本を読んだので、面白そうだと思ったが、この本はとにかく読みにくかった。

    内容としては、冷戦終結後、この「情報化・消費化社会」がどうなるか、どうあるべきかを論評した本と解釈した。
    筆者は、あくまでこの情報化・消費化社会の原理的な部分を肯定しつつ、環境問題や南北問題に代表されるような他者収奪的な問題をどう解決するかを論評している。
    重要な観点が、原義としての消費=生の充溢と歓喜に直接的な享受にに立ち返ることと、「情報化」のメリット(データによるモニタリングと社会的費用を製品の中に組み込むこと、そして製品情報を組み込むことで資源を凝縮して使用すること)を最大限活かして、資源消費を抑えること。

    書かれた時代が1996年と、ずいぶん違うから、なんとも言えないが、
    ・このことを言うのに、いくらなんでも難解すぎやしないか?(もちろんこの筆者が偉大な社会学者ということは知っているので、おそらくこの本の書き方が私には合わなかっただけだと思う)
    ・果たしてこの抽象的な理論でこの社会は本当に持続可能になるのか?理想的やすぎないか?(個人的には、情報化とか、いわゆるITが社会を変えるという理論には果てしなく懐疑的。あくまで目の前から見えなくなっているだけで、裏ではデータセンターやらで果てしなく資源を消費しているのだから。)
    という観点で、なんとなく同意しかねる。

    山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」でも、同じように消費社会への対峙の仕方が書かれていた。そこでは、自我の確立のために、モノを消費するだけの消費から、消費の過程を楽しむ消費が提起されていた。要するに同じようなことを言っているのだろうなと思ったが、なんとなくこっちの方が自分ごととして考えられるし、わかりやすかった。あと同時代に書かれた本だが、やはり「消費」をテーマにしていることから、当時のモノの消費はとんでもなかったんだろうな、という感覚をいだいた。

  • 情報化/消費化社会の限界(資源の有限性、廃棄の有限性)の克服について。計画経済への転向では無く、自由主義を維持しつつ、限界を可視化(=情報化の上手い運用)により、マインドを変える。

  • 冷戦終結後に書かれた「情報/消費社会」についての本。

    「情報/消費社会」を肯定的に捉えつつ、そのままでは資源、環境、貧困などの「限界問題」が解決されないことから、その「転回」を主張している。

    その主張は現代のSDGsに極めて近いことは、以下の引用から分かる。

    "転義としての「消費社会」についてはどうか? 転義としての消費社会(商品の大衆的な消費の社会)もまた、それが現在あるような形ではなく、その可能性について考えられるなら、「限界問題」をのりこえることがあるだろうという見とおしを、私はもっている。けれども、このためには「消費社会」が、原義としての<消費>というコンセプトを軸足として、転回されることが必要だろう。<消費>をその原義において豊かなものとしてゆくための、方法としての市場システムを、破綻なく活性化しつづけるための形式として、「方法としての消費社会」というべきものを、構想しなければならないだろう。このことは「消費社会」が、資源/環境の臨界問題、域外/域内の貧困問題を不可避の影として帰結する現在地の構造からの、解き放たれた展開を獲得するために、基底的に必要な条件であるように思われる。"

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/38274

  • 2004/04/20読了

  •  当たり前のことを当たり前に描写していくこと、それを読んで吸収することが読書の一義的な意味なのだろう。だが、それは消費に過ぎない。創作(いかなる分野の研究も創作のひとつ、私にとって。)を消費してやり過ごすことに疑問を感じる私にとって、当たり前がその記述の中で、「なぜそうなのか」を組み立てられる点にこそ、読書に自分の時間、限られた時間を割く価値があるものと考える。
     本書は、冷戦の雲が晴れた1990年代における「現代社会」を情報化・消費化社会という切り口で描き、社会問題の視点を述べたものである。すでに25年、四半世紀を経過し、ここで述べられる社会問題の視点は「当たり前」となっている。当たり前、というのは、今にもつながる、そして近未来から遠い未来に至るまで普遍的に残り続けるであろう課題の根底になるという意味である。
     本書は、そんな当たり前を述べているという点では評価できるし、深読みすべきだ。だが、残念ながら、「当たり前」を「当たり前」と感じられる内容の経緯や理論としては論述が浅い。新書という媒体の限界なのかもわからない。特に、著者は情緒的な著作から社会を抉り出すとともに、統計的なデータから必然的に表れる現象解釈で追い打ちをかける論理展開が秀逸である、という先入観があったので結論と根拠・例示が淡々としすぎていた。参考文献、その後の著作を読んでみようかと思う(すでに10年後・2006年の著作を読み終えたうえで根幹にさかのぼったつもりだったのだが…)。

  • 前半は現在の情報化・消費化社会の諸問題を挙げており、後半は前半で挙げた問題の解決の糸口を提示している。
    内容もさることながら、文章も難解で一度では理解しきれない部分が多かった。
    現代社会(の情報化・消費化)という面について、過去と現在、表と裏、内部と外部など比較や対立を持ちいた表現が多いことが特徴で、読み間違えれば混乱してしまうが、正しく読めれば著者の意図を十分に理解するに足る文章になっていると感じた。

  • 「貧困」の定義について考えさせられた。貧困とは文字通り貧乏ということではあるが、けれどもそれは、GNPが低いイコール貧困という単純な図式ではないということだ。

    GNPを必要とするシステムの内に投げ込まれてしまった上で、GNPが低いから貧困になってしまうのである。実際、お金を必要としない村で幸せに暮らしている人々はたくさんいる。人の幸不幸がGNPでは決められないこと、その人が生活している社会のありかたと、各々の社会に敬意を払うべきなのではないだろうか。

  • ☆うーん。
    (著書)社会学入門

  • 「さようなら、ゴジラたち」で言及されてた。

    mmsn01-

    【要約】


    【ノート】

  • 読んでおくべき古典としてボスから薦められた本。社会論ながら哲学的でもありそこはかとない理想と希望があり温度を感じる。著者は”10年ごとに書いて行きたい”と結んでいるが、2006年の著書も読んでみたい。そしてもうすぐ20年。どのように著者は書くだろうか。

    [more]<blockquote>P61 現代の大衆消費社会の繁栄の,もう一つの創世記=大量の農薬の<消費のための消費>に起因するものであった

    P69 「採伐の町や鉱山の町は,安定したコミュニティにはならない傾向がある」このように1995−96年度地球白書は述べている。多くの「ブームタウン」は今では「ゴーストタウン」になっている。

    P107 貨幣をはじめから必要としない世界の「貧困」を語るのは、空をとぶ鳥も野に咲く百合も収入がないから「貧困」だということと同じくらいに、意味のない尺度なのである。現代の「南」の人々の大部分が貧困であることは事実だ。けれどもそれは,GNPを必要とするシステムの中に投げ込まれてしまったうえで,GNPが低いから貧困なのである。自分たちの生きるために必要なものを自分たちの手で作るということを禁止されたドミニカの農民たちは「南」の人たちすべての貧困の構造の赤裸々に短縮された典型にすぎない

    P140 <人間の生きることの喜び>という原義的なものは「必要」にさえも先立つものでありながら,どのような[必要」の限度をも超えて,限りなく自由な形態をとることのできるものである。

    P152 情報は、自己目的的に幸福の形態として、消費のシステムに,資源収奪的でなく,他社会収奪的でない仕方で,需要の無限空間を開く。【中略】資源は有限だが情報は無限であるからである。マテリーは有限だがイデーは無限であるからである。

    P162 子供は成長しなければならないけれども,成長したあとも成長が止まらないことは危険な兆候であり,無限に成長し続けることは奇形に他ならない。【中略】成長した後も成長し続けることが健康なのは「非物質的」な諸次元,知性や感性や魂の深さのような次元だけである。社会というシステムに対応を求めるならば<情報>の領域というコンセプトによって,今日とりあえずその名を与えられている諸次元だけである。

    P170 [情報化社会」というシステムと思想に正しさの根拠があるのは,それが我々を,マテリアルな消費に依存する価値と幸福のイメージから自由にしてくれる限りにおいてであった。【中略】けれども消費の観念はまだ,現在のところ,情報というコンセプトの透徹が我々を解き放ってくれる以前の,マテリアルな消費に依存する幸福のイメージに拘束されている。情報の観念はまだ、現在のところ,消費というコンセプトの透徹が我々を解き放ってくれる以前の,効用的、手段主義的な「情報」のイメージに拘束されている。

    P180 情報化/消費化社会の転回という,この本に記したような方向は,現状をそのままよしとする人々からは,あまりにも「理想主義的」であるという批判を受けるだろうし,反対に、革命的な転覆を志す人々からは、あまりにも「現実肯定的」であるという批判を受けることになるだろう。

    P182 それぞれに違った仕方で無限に豊穣な共同性と孤独,交歓と自立の形式を生き尽くすことを可能とするのは,社会全体の形式としては,むしろシンプルに最小限化された,どのような価値前提からも自由なルールのシステムであるということ。

    P188 ほんとうに切実な問いと,根底を目指す志向と,地についた方法とだけを求める精神に,という言葉を繰り返しておきたいと思う。</blockquote>

  • 再読。現代が消費化/情報化社会であるとして、その欠陥点が〈消費〉の概念を社会全体が正しく捉えられていないこととして指摘、その解決を情報化と〈生の直接的な充溢と歓喜〉へと消費の概念を見詰め直すことに見出している。

    以下、昔書いたまとめを。

    ------

    <一章要点>

    ・資本主義という一つのシステムが、必ずしも軍事需要に依存するという事なしに、決定的な恐慌を回避し反映を持続する形式を見出したという事、この新しい形式として、「消費社会化」という現象をまず把握しておく事が出来るという事。

    ・自己否定、自己転回

    ・デザインと広告とクレジットを柱とする、ソフトなより包括的な戦略、「消費者の感情と動機と欲望に敏感な」システム

    ・消費社会としての資本制システムが存立する事の前提は、(この労働の自由な形式に加えて、)<欲望の自由な形式>である。

    ・<欲望の抽象化された形式>、<労働の抽象化された形式>

    ・古典的な資本制システムの矛盾——需要の有限性と供給能力の無限拡大する運動との間の矛盾、これが「恐慌」という形で顕在化する。

    ・上記の矛盾を、資本の基本システム自体による需要の無限の自己創出という仕方で解決し、乗り越えてしまう形式が<情報化/消費化社会>。

    ・自己の運動の自由を保証する空間としての市場自体を、自ら創出する資本主義。

    ・<情報化/消費社会化>こそ、初めての純粋な資本主義である。

    ・誘われたままでいる事を享受し、あるいは寧ろ、よく誘惑するものであるか否を、鋭敏な批判の基準として選択する対処の仕方は、1970年代以降の世代達にとっては、平常の基礎的な情報消費社会の内部を生きる事の技法となっている。

    ・<大衆が消費する事は、それが資本の増殖過程の一環をなすからといって、それが大衆自身の喜びである事に変わりない>

    ・この社会の固有の「楽しさ」と「魅力性」という経験の現象、それがこのシステムの存立の機制自体の不可欠の契機である



    <二章要点>
    ・「自動的な廃滅化という現代の傾向」

    ・上記の様に呼ばれているのは、「モードの理論」と同じ戦略によるものである。つまり、<消費の為の消費>を通しての繁栄というシステムの基本の論理そのもの。

    ・根源的独占は、商品システムというものが、必要を充足する為の他の方法を排除してしまう事を通して、生活の仕方を選択する自由を否定する。それは、自然的な他の共同体的な選択肢を解体してしまう事を通して、商品システムへの依存を強制する。

    ・農村と都市の構造から家族の形態に至る、日本社会の基本的な構造が変容したのは、1960年代を中心とする、「高度経済成長期」である。日本に於ける「現代社会」の創成期である。

    ・現在の<情報化/消費化社会>が、自分で自分の無限定の成長と繁栄の為に設定する無限空間——人間達の現実的な必要を離陸する<欲望の抽象化された形式>、あるいは<欲望のデカルト空間>とは、このような<消費の為の消費>、<構造のテレオノミー的な転倒>の、純化され、洗練され、完成された形式である。

    ・ 生産の最初の始点と、消費の最後の末端で、この惑星とその気圏との、「自然」の資源と環境の与件に依存し、その許容する範囲に限定されてしか存立しえない。

    ・ 現代の情報化/消費化社会は、資本制システムの「自己準拠化」の形式として成立した。

    ・ 人間達の「必要」に制約されない無限定の消費に向かう欲望を、情報を通して自ら再生産する。

    --------

    <一章>

     現代社会は資本主義社会である。世界恐慌等を経験し、決定的な恐慌を回避し持続的な繁栄を実現する為に<情報化/消費化>した。というのも、<情報化/消費化>は「消費者の感情と動機と欲望に敏感」になる事で、需要の無限の自己創出を可能にしたからである。そして、このシステムが成立するのは、<大衆が消費する事は、それが資本の増殖過程の一環をなすからといって、それが大衆自身の喜びである事に変わりない>事とこの社会の固有の「楽しさ」と「魅力性」という経験の現象によって裏付けられている。

    <二章>
     一章で先述されている、『需要の無限の自己創出』とは、必要を充足する為の他の方法を排除してしまう事を通して、生活の仕方を選択する自由を否定する根源的独占と、人間達の「必要」に制約されない無限定の消費に向かう欲望を、情報を通して自ら再生産する事で可能となった。また、先述の日本に於ける『現代社会化』は農村と都市の構造から家族の形態に至る、日本社会の基本的な構造が変容したのは、1960年代を中心とする、「高度経済成長期」に起こった。


  • ‪三章 南の貧困/北の貧困
    すばらし。この人の講義を受けた人は幸せだな。
    一つ残念なのは文章が難解で万人受けではないこと。‬全集、まだ読めていません。

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著者プロフィール

1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。著書に『まなざしの地獄』『現代社会の理論』『自我の起原』『社会学入門』など。『定本 見田宗 介著作集』で2012年毎日出版文化賞受賞。東大の見田ゼミは常に見田信奉者で満席だった。

「2017年 『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学 THINKING「O」014号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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