ディアスポラ紀行: 追放された者のまなざし (岩波新書 新赤版 961)

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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004309611

感想・レビュー・書評

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  • 読んでみたいと思っていた"ディアスポラ"なんとかの本が図書館になかったので、検索して出てきた中からタイトルに"ディアスポラ"と入った徐京植さんの本を借りてみる。

    ちょうど10年前に雑誌『世界』の連載として書かれたものだ。

    大文字のディアスポラ(Diaspora)は〈離散ユダヤ人〉とそのコミュニティを指してきたが、今日では小文字の普通名詞diasporaとして、さまざまな離散の民を言い表すことが多くなっていると書いたあとで、徐さんはみずからの定義を述べる。

    ▼以下の文章で私は、近代の奴隷貿易、植民地支配、地域紛争や世界戦争、市場経済グローバリズムなど、何らかの外的な理由によって、多くの場合暴力的に、自らが本来属していた共同体から離散することを余儀なくされた人々、およびその末裔を指す言葉として、「ディアスポラ」という語を用いることにしよう。(p.2)

    あるいは、こうも書いている。
    ▼私はかつて田中克彦の議論(『ことばと国家』岩波新書)を借りて、ディアスポラにあっては祖国(祖先の出身国)、故国(自分の生まれた国)、母国(現に「国民」として属している国)の三者は分裂しており、そのような分裂こそディアスポラ的生の特徴であると述べたことがある。(p.102)

    この本は、「私という一人のディアスポラが、ロンドン、ザルツブルク、カッセル、光州[クアンジュ]など各地を旅しながら、それぞれの場所で触れた社会的事象や芸術作品を手がかりに、現代におけるディアスポラ的な生の由来と意義を探ろうとする試み」(p.3)として書かれている。

    徐さんに強い印象をあたえた芸術作品が、口絵や各章の扉に写真で掲載されている。中でもIV章「追放された者たち」の扉に掲げられているフェリックス・ヌスバウムの「ユダヤ人証明書をもつ自画像」※は、これはどこかで見た…どこで見たのだったかと、読みながらずっと記憶をさがしていた。

    伊丹の美術館で見たような…と思ったが、それはオットー・ディックスだった。ブログの過去記事なども見直してみると、前に読んだ徐さんの『汝の目を信じよ!統一ドイツ美術紀行』でヌスバウムのことも書かれているようなので、この本で図版も見たのだろうと思う※。

    「ドイツ人マジョリティへの同化とユダヤ人としてのアイデンティティの保持、この両者の葛藤がフェリックス・ヌスバウムの芸術上のモチーフとなった」(p.151)と徐さんは書き、作品「ユダヤ人証明書をもつ自画像」についてこう記す。

    ▼一時は「同じ国民としての平等」という期待を与えて同化を促し、次にその期待を覆して、「ユダヤ人」という枠内に押し込めようとする暴力。その不条理きわまる暴力のしるしを、彼はここに描き込んだのである。自分はユダヤ人であると主張しているのではない。すべてを剥ぎ取られ、絶体絶命の壁際から、人間としての最後の尊厳を主張しているのだ。
     だから、これは「ユダヤ人」の自画像ではない。亡命者の自画像であり、ディアスポラの自画像である。(p.157)

    このとき、徐さんはテレビ番組の撮影で、絵のかたわらに立ち、カメラに向かって語りながら、自分の語った内容が日本の視聴者に伝わるかどうか心もとない思いだったという。そして、財布から自分の外国人登録証(日本国法務省発行、14歳のときから肌身離さず持ち歩くよう義務づけられてきたもの)を取り出し、ヌスバウムの自画像と同じポーズで掲げてみせたそうだ。

    「これは「ユダヤ人」の自画像ではない。亡命者の自画像であり、ディアスポラの自画像である」という徐さんの指摘は、はたして番組の視聴者に伝わったのかどうか。「そもそも、私を撮影しているテレビ・クルーそのものが、得心しているように見えない」(p.158)と徐さんは感じたというから、できた番組はどうだったろうかと私も読みながら思う。

    そのことは、巻頭に書かれたこんなところにも感じる。
    ▼マジョリティ(多数者)の大半は、「先祖伝来の土地、言語、文化によって構成された共同体」という堅固な観念に安住している。そうしている限り、マジョリティたちはマイノリティの真の姿は見えず、真の声を聴き取ることもできないであろう。(p.3)

    私自身も、自分がそうされることは絶対に嫌だと思いながら、勝手な思い込み、勝手な想像で、ある属性をもつ人たちを「イメージ」に押し込めていることも多いのだろうと思う。

    ▼シリン・ネシャットは、前出のインタビューで次のように述べている。──イスラム圏の女性は長年にわたり服従者ないし犠牲者という枠組みにのみ押し込められて表象されてきたが、彼女たちは実際には力強く、信じがたいほど抑圧的な状況に置かれながらも速やかに立ち直る弾力性をもっていると自分は信じている。彼女たちは、男たちや西欧世界の住人たちの予想を超えるような方法で自己を解き放つ素晴らしい潜在力を秘めている、と。(p.103)

    イランを旅したときの感慨を書いた上橋菜穂子の『明日は、いずこの空の下』をちょっと思い出す。シリン・ネシャット※は1957年、イラン生まれの人で、16歳からアメリカ合州国へ移住、1990年に12年ぶりにイランへ帰り、イラン革命後の社会変化を目の当たりにしてから、本格的に作品を発表するようになったという。

    あるいは、「アフリカ的」なものの由来。
    ▼こうした[アフリカ的な]色柄の布はインドネシア起源のロウケツ染めが宗主国オランダを経由してヨーロッパに入り、マンチェスターでイギリス人がデザインしたものがアフリカに輸出されたものだという。原材料の綿花はインド産か東アフリカ産である。つまり、私たちが「アフリカ的」だと思っている色や柄のイメージは、実際には近代の植民地支配の過程において、宗主国で生産され植民地に押し付けられてきたものなのである。(pp.140-141)

    こうした「アフリカ的」なイメージに問いを投げかけるインカ・ショニバレの作品(III章「巨大な歪み」の扉に作品写真が掲げられている)※。それが自然なもの、本質的なものだと、いつの間にか私の目は見ていないか、見過ごしているものがあるのではないかと、つきつけられる気がする。そういう"無意識"にもっている価値観や視点をあらわにしてみせる美術もあるのだと思う。

    あとがきで、徐さんは、ディアスポラにとっての「くに」について書いている。
    ▼ディアスポラにとって「くに」は郷愁の中にあるのではない。「くに」とは、国境に囲まれたある領域のことではない。「血統」や「文化」の連続性という観念につき固められた共同体のことではない。それは、植民地主義やレイシズムが押し付けるすべての理不尽が起こってはいけないところのことだ。私たちディアスポラは近代国民国家時代のはるか彼方に、「真実のくに」を探し求めているのである。(p.209)

    (11/21了)

    ※Felix Nussbaum "Selbstbildnis mit Judenpass"
    http://www.osnabrueck.de/fnh/10717.asp?bigpic10904=0

    ※『汝の目を信じよ!統一ドイツ美術紀行』目次(版元:みすず書房のサイト)
    http://www.msz.co.jp/book/detail/07523.html
    「誰がフェリックス・ヌスバウムを憶えているのか?」のなかに「ユダヤ人証明書」もある

    ※金沢21世紀美術館ができる前のプレイベントとして「シリン・ネシャット展」があったらしい
    https://www.kanazawa21.jp/pdf/91.pdf

    ※インカ・ショニバレについては、萩原弘子『ブラック─人種と視線をめぐる闘争』を参照するよう注記がある

  • 在日朝鮮人二世の著者による紀行エッセイ。
    「ディアスポラ」というテーマをいかに考えるべきか、に関して当事者として、文明批評の視点から論じており、示唆的だった。ディアスポラは「ユダヤ人の離散」という一般的かつ個別的な問題としてしか理解していなかったが、戦争と難民の世紀といわれる20世紀以後、世界各地に離散を余儀なくされた難民、移民、マイノリティといった現代世界で無視することのできない問題を横断的に扱うことができるテーマだと気づいた。著者のインスピレーションは鋭く、危うい。日本で、生まれた時からマジョリティとしての自己を疑ったことのない自分がこの問題を自らのものとして考えるためには、どういう立ち位置をとればいいのだろうか。

  • 店頭注文をあきらめて、ウェブ注文で入手。
    どんだけ倉庫にいたもんだか、新赤版マイナーチェンジ前の、ツヤツヤテカテカの子が来ました。


    読んでね、自分が恥ずかしくなった。一生知ることが出来ないことがつまった本だった。またいつか、読み直す。(2010/12/07)



    目をつけたそばから売れていったドナドナ。
    出版社の在庫がナシなんだぜ…。(2010/08/04)

  • 「・・ディアスポラであるということの特徴は『自分は何者なのか?』という問いから逃れられないということだ。」


    まるでその通りだと思った

  • 欧州におけるユダヤ人、在日朝鮮人と差別されてきた人たちの歴史。

  • ディアスポラという言葉は民族の離散と紛争の相次ぐ現代にあって、既に単一の民族を指し示すものではない(とはいえ昔から民族の離散などずっと存在し続けてきたのだ!)。この本は文化的アイデンティティのゆらぎのむこうに見える世界がどんなものかを体験的な視点から見せる。彼らはただ単に辺縁部に属するものではないし、クレオールという一種の理想的な状態にも落ち着かない。ディアスポラという視点はずっと追い求めていたもので、私が描きたいもの、考えていたものがこの言葉で総括できるのだと学んだ本。

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著者プロフィール

徐 京植(ソ・キョンシク)1951年京都市に生まれる。早稲田大学第一文学部(フランス文学専攻)卒業。現在、東京経済大学全学共通教育センター教員。担当講座は「人権論」「芸術学」。著書に『私の西洋美術巡礼』(みすず書房、1991)『子どもの涙――ある在日朝鮮人の読書遍歴』(柏書房、1995/高文研、2019)『新しい普遍性へ――徐京植対話集』(影書房、1999)『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社、1999)『新版プリーモ・レーヴィへの旅』(晃洋書房、2014)『過ぎ去らない人々――難民の世紀の墓碑銘』(影書房、2001)『青春の死神――記憶の中の20世紀絵画』(毎日新聞社、2001)『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)『秤にかけてはならない――日朝問題を考える座標軸』(影書房、2003)『ディアスポラ紀行――追放された者のまなざし』(岩波書店、2005)『夜の時代に語るべきこと――ソウル発「深夜通信」』(毎日新聞社、2007)『汝の目を信じよ!――統一ドイツ美術紀行』(みすず書房、2010)『植民地主義の暴力――「ことばの檻」から』(高文研、2010)『在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社、2012)『フクシマを歩いて――ディアスポラの眼から』(毎日新聞社、2012)『私の西洋音楽巡礼』(みすず書房、2012)『詩の力―「東アジア」近代史の中で』(高文研、2014)『抵抗する知性のための19講―私を支えた古典』(晃洋書房、2016)『メドゥーサの首――私のイタリア人文紀行』(論創社、2020)ほか。高橋哲哉との共著『断絶の世紀 証言の時代――戦争の記憶をめぐる対話』(岩波書店、2000)『責任について―日本を問う20年の対話』(高文研、2018)や多和田葉子との共著『ソウル―ベルリン玉突き書簡――境界線上の対話』(岩波書店、2008)など。韓国でも多数著作が刊行されている。

「2021年 『ウーズ河畔まで 私のイギリス人文紀行』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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