仕事道楽: スタジオジブリの現場 (岩波新書 新赤版 1143)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311430

作品紹介・あらすじ

「この会社は毎日何が起こるかわからないから、ほんとに楽しい」。高畑勲・宮崎駿の両監督はじめ、異能の人々が集まるジブリでは、日々思いもかけない出来事の連続。だがその日常にこそ「今」という時代があり、作品の芽がある-「好きなものを好きなように」作りつづけてきた創造の現場を、世界のジブリ・プロデューサーが語る。

感想・レビュー・書評

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  • スタジオジブリの名プロデューサー、鈴木さんが語るスタジオジブリのあれこれ。

    宮さんパクさんとの出会いから、ジブリができるまでやプロデューサーとしての心得、
    宮さんの映画のつくりかたや高畑さんのこと、徳間社長のこと。
    そしてスタジオジブリの在り方について。

    一番大事なのは監督の味方になること。

    宮さんが言う映画づくりの三つの原則。
    「おもしろいこと」
    「作るに値すること」
    「お金が儲かること」

    尊敬しないから一緒にやれる。
    遠慮会釈なく、存分に言いあうことで仕事が成立する。
    信頼はするが尊敬はしないという関係。

    宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲。

    いい作品を作るために、会社を活用できるうちは活用しましょう。
    会社を大きくすることにはまったく興味がない。
    好きな映画を作って、ちょぼちょぼ回収できて、息長くやれれば幸せ。

    いいものが作れなくなってしまったら、ジブリなどつぶしてしまっていい。

    などなど。ああ、だから、ジブリはかっこいいんだなと、再再再再、再確認しました。

    そして特に印象に残ったのは宮さんの息子さん、吾朗監督のお話。
    天才宮崎駿の息子を映画の世界にひっぱり出した鈴木さんの視点からみる親子の姿。

    ゲド戦記のとき、宮さんは
    「経験が一度もないヤツに監督をさせるとは、鈴木さんはどうかしている!」と鈴木さんに激怒したそうで 笑。
    でもその後、家族会議で吾朗さんの覚悟を知り、了承する宮さん。
    父親としてこれほど嬉しいことはないはずなのに、映画監督としての宮崎駿が邪魔をしたんですね。

    映画が完成したあと宮さんは「素直な作り方でよかった」とおっしゃったそうです。
    さらに「息子にアニメーションの作り方を教えてやる。」と、また映画を作りはじめたのも有名な話です。

    先日、長編映画からの引退を宣言された宮さん。
    風立ちぬを観たとき、これが宮さんの最後の作品なのかなぁ、と思うと泣けて泣けてしょうがなかったのですが、ドキュメンタリーなどを見ていると、こんなに大変なことこれ以上させたらバチが当たる!
    そんな気もしています。もう充分楽しませてもらったし。
    これから先はもう道楽の範囲内でなにかしらやってくれればそれだけでも嬉しいなと思う。

    って、本の感想じゃなくなりつつありますが、鈴木さんは引退してませんので 笑。
    あの宮さんパクさんを支えた鈴木さんがいてこそのジブリですから、これからも堪ふる力の限りを尽くしていい作品を世に送り出していただきたいと期待しています。

  • 中高生のころ太宰や賢治や中上を読んでいたころは、純文学作家に対するクリエイター信仰のようなものがあった。
    作家性は自然に生まれるものだ、とでもいうような。
    のちに大江や春樹の自己神話化、三島の自己ペルソナ化といった「作家性づくり」あたりで、あれーもしかして……と。
    桜庭一樹が編集者との会話や読書の感想語り合いからアイデアを得ていると知ったあたりで、信仰は崩れた上で再定着した。
    小説ですらそうなのだから、携わる人の多い映画ではなおさら。
    そんな中で鈴木敏夫の名前によく出くわすようになったのは、押井守を追っていたときだった。
    そのときから、うわーこの内輪乗りキビシー。と感じていた。
    その後ジブリあれこれで、鈴木発の情報を仕入れざるを得ないようになり、その都度「嫌な感じ」を抱いてきた。
    ここ数年でわかってきたのは、この人が上司なり同僚だったらうざいなー。ということ。
    実際鈴木から連想する上司もいるし。
    だいたい作務衣着て、何かと言えば会議と言って人を呼びつけて長話して、それをメディアに流用したりして、いい意味で公私混同していく、好きなのは書道!という。
    クソパワハラジジイ。それも無害な顔をして、昔はとんがっていたなーとか言い出す。
    周囲もおそらく、まった鈴木サンがうるさいから、題字お願いして会議早めに終わらせようか、とひそひそ相談している。
    駿の場合は、そういうハラスメント気質やそれゆえの孤独も愛せるが、この人はやっぱり、いやだ。
    ラーメン屋で毛筆で社則みたいなのを掲示しているが、それをポスターに使うセンス、やめてくれないかな……。

  • 280

    宮さんと初めて会ったのは、彼が『ルパン三世カリオストロの城』(一九七九年公開。 以下『カリオストロの城』)にとりかかっていたときです。

    高畑・宮崎の二人との出会いは強烈でした。当然ながら、もっとつきあいたいと思 う。そのためには、なんとしても彼らと教養を共有したいと思ったのです。話ができな いのでは悔しいですから。

    くわえて、二人とも「この本読みましたか?」とよく聞いてくる。ぼくも編集者を やっていたから、それなりにいろいろな本は読んでいたし、もともと好きでよく本を読んでいたはずですが、この二人は人があんまり読まないような本をいろいろ読んでい た。その本を読んでいないと、共通の話題にすることができない。

    これはぼくが読んでいなかっただけですけど、宮さんは岩波新書の中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』の話ばかりしていたことがあります。宮さんに「鈴木さん、これ読んだ?」と聞かれて、「いや、それは読んでない」と言ったら、いきなり「無知ですね。」ちなみに、この本はのちに『もののけ姫』の発想につながります。そういえば、 高畑さんには岩波ジュニア新書の茨木のり子『詩のこころを読む』も教えられたなあ。

    「ジブリ」とはサハラ砂漠に吹く熱風のことです。第二次大戦中、イタリアの軍用 偵察機が名前に使用していましたが、飛行機マニアの宮崎駿がこのことを知ってお り、スタジオ名としたわけです。「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそ う」という意図があったと記憶しています。 ジブリのように原則的に劇場用の長編アニメーション、しかもオリジナル作品以外 は製作しないスタジオというのは、日本のアニメ界では、というより、世界的にも きわめて特異な存在だと思います。なぜなら、興行の保証が得られない劇場用作品 は、リスクが大きすぎるだけに、継続して収入が得られるテレビ・アニメーション ・シリーズを活動の中心に置くのが常識だからです。

    彼は資料を見ながら絵を描く人を信用しません。 というか、いやしくも絵を描く商売をめざすなら、いろんなものに好奇心を持って、 日常的に観察はしているものだというのです。 その積み重ねこそが大切だというのです。

    映画を作るにあたって、宮崎駿の発想はまず、極端な細部からはじまります。どんな 洋服を着ているか?どんな髪型か?何を食べているか?どんな家に住んでいるの か?そこからイメージがふくらんでいく。

    彼はほんとうに真剣に「見る」。なんとなく見ているんじゃないんです。感覚をフルに働かせ、それまでの知識・情報を動員して、つかんでいく。外国でとくにそうなんで すが、たとえば、屋根の形式などは何世紀にできたものかで、みんなちがう。それを知っているか知らないかで建物を見るおもしろさがちがいますでしょ。宮さんはそのあ たりをよく勉強していて、それをもとに、あの建物の屋根は何様式、家の間取りはこうで、窓の様式はこうだとか、要素でいっぱい覚えてくる。そうすると、10個とか15個ぐらい覚えるけど、半年ぐらいたつと、そのうちのせいぜい7.8個しか思い出せな い。鮮明に覚えているところとあいまいな部分が出てくる。あいまいなところは想像で 描くわけです。逆にいうと、自分にとってもっとも印象に残るところが際立つことにな りますね。だから、オリジナルな建物として誕生する。

    彼にとって重要なのは記録じゃなくて記憶なんです。こんなこと がありましたよ。もう20年前になりますか(1988年)、宮さんや ぼくを含め、何人かでいっしょにアイルランドのアラン島に行った ことがある。アイルランドの西の果てで、アランセーター発祥の地 として有名なところです。人口800人で交通機関が何もない。 る晩のことです。みんなでバーに行き、帰り道を歩いていたら、目 の前に、ぼくらの泊まっていた民宿があらわれた。もう夜10時く らいでしたが、六月のアイルランドはまだ明るい。なんの変哲もな い宿屋と思っていたのが、すごく美しいのに驚いた。それで、ぼく は珍しくカメラを出して、写真を撮った。そうしたら宮さんが怒っ ちゃった。「鈴木さんうるさいよ、シャッター音が」。彼はジーッ と見ているんです。ほんとにただ、ジーッと見ていたんですよ。ぼ くも横で黙って見ていた。ちょうどコクマルカラスがバーッと飛び 立ったりして、雰囲気がまた盛り上がる。言葉にあらわせない最高 の時間でした。その間、宮さんは黙ってジーッと見ている。

    彼はほんとうに真剣に「見る」。なんとなく見ているんじゃない んです。感覚をフルに働かせ、それまでの知識・情報を動員して、 つかんでいく。

    たとえば『千と千尋』。アカデミー賞受賞の話題も一段落して、 ようやく雰囲気が落ち着いたときに、宮さんがいつになくしんみりと、ぼくにこう言った。「きっかけは鈴木さんのキャバクラの話だったよね」。一瞬とまどいました。「何でしたっけ?」。ぼくは すっかり忘れていたんですが、知り合いの青年にキャバクラ好きがいて、彼が言うには「キャバクラで働く女の子はどちらかといえば 引っ込み思案の子が多く、お金をもらうために男の人を接待しているうちに、苦手だった他人とのコミュニケーションができるように なる。お金を払っている男のほうも同じようなところがあって、つまりキャバクラはコミュニケーションを学ぶ場だ」と。ぼくはこの 話がおもしろくて、宮さんに話したことがあったんです。それが 『千と千尋』のモチーフになったと言う。

    ぼくの好きな言葉に「道楽」というのがあります。かつて最初に 出した本が『映画道楽』(2005年)でした。このタイトルはぼくが つけたんです。「道楽」、いい言葉じゃないですか。無理に何かに なろうとしないで、そのときどきのことを楽しみ、その人が好きだ からやる。これはまさに「道楽」でしょう?もしかしたら、だか らこそ世の中が見えるというところがあるかもしれない。ここまで 書いてきたのは、結局、ぼくの仕事道楽なのかもしれません。

    映画のキャッチコピーを考えるときには、ふたつの脳が必要です。ひとつは構造的な発想、ひとつ は一瞬のひらめき。どう思うか、いろいろ言ってもらって、ふと思いついたのが「あな たのことが大すき。」です。時間が切迫してきて、もうギリギリというとき、ポンと出 てきました。現代はもしかしたら、「あなたのことが大すき。」ということばを言える 相手を求めている時代、自分に言ってくれる人を望んでいる時代。「理」におちず、 とばとしての鮮度もある。おもしろいことに、「大すき」を「大好き」にすると、もう 雰囲気が変わっちゃう。不思議なものです。

    「ぼくは、高畑さんや宮崎さんには関心が無い。しかし、鈴木さんには興味がある。 普通の人は、高畑さんや宮崎さんのような天才にはなることが出来ないけど、鈴木さん の真似なら出来る」 失礼千万、よくもまあ、いけしゃあしゃあとこんなことを言えるものだと感心した が、よくよく考えてみれば、いつも、ぼくが初対面の人に対してやって来たことだった。

  • 鈴木敏夫に対する仕事の本。
    この人の器用さも、不器用さも本当に素晴らしい。

    これほど人間的な魅力にあふれたひとはいないと思う。

  • スタジオジブリがどんなのか、ひょっとしたら宮崎駿の著作を読むよりもよくわかったりする本。同時にプロデューサーというものはどういうものなのか?ということも伝わってきた。

  •  面白い本だ。著者は、「高畑勲・宮崎駿の二人の天才」と言っているが、本書を読むとジブリの物語は本書の著者の鈴木敏夫氏も加えた「三人の天才の物語」ではないかと思った。ジブリのアニメの進撃の理由が本書を読んでわかったようにも思えた。
     本書で描かれる高畑勲氏や宮崎駿氏の執念とも思える作品世界へのこだわりや、異常とも思える話し合いについての執念には、驚きを覚える。普通、付き合いにくいと評価されるようなこのキャラクターが、あの名作アニメを生み出す原動力となったのだろうか。
     それにしても、「ナウシカ」91万5千人。「ラピュタ」77万5千人。「ポンポコ」325万人。「もののけ姫」1420万人。「千と千尋」2400万人という観客動員力には、改めて驚いた。よほどの社会現象にでもならないと、これほど人がアニメを見るために映画館に足を運ぶことにはならないのではないだろうか。
     本書を読んで、素直にスタジオジブリの内実の一部を知ることができる本で、面白いと思った。

  • 宮崎駿、高畑勲、この二人との信頼はするが尊敬はしない関係、羨ましい。
    「自分の意見を用意せずにのぞむ」この言葉にハッとさせられた。プロデューサーとはチームの中でどうあるべきか、考えさせられました。

  • スタジオジブリの裏事情がわかる本。ジブリ作品に興味があれば、、。

  • 面白い。ジブリまた観たくなったなぁ。
    雑談と人との繋がりで仕事をする。難しいが、筆者は人が好きなのだろう、だから出来る。苦労も苦労と思わない。

  • ジブリの鈴木(元)社長の話し。自叙伝ぽいところか入り、宮崎、高畑、徳間といった人々の話やジブリ創立時、苦難時の話しなどが、軽快に続き、飽きさせない。

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著者プロフィール

スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。1948年、愛知県名古屋市生まれ。
徳間書店で「アニメージュ」の編集に携わるかたわら、1985年にスタジオジブリの設立に参加、1989年からスタジオジブリ専従。以後、ほぼすべての劇場作品をプロデュースする。宮﨑駿監督による最新作『君たちはどう生きるか』(23)が、米・ゴールデン・グローブ賞のアニメーション映画賞を受賞した。「仕事道楽 新版──スタジオジブリの現場」「歳月」(ともに岩波書店)、「スタジオジブリ物語」(集英社)など、著書多数。2021年、ウィンザー・マッケイ賞を受賞。

「2024年 『鈴木敏夫×押井守 対談集 されどわれらが日々』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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