飛鳥の都〈シリーズ 日本古代史 3〉 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004312734

作品紹介・あらすじ

舞台はいよいよ飛鳥へ。歴代王宮がこの地に営まれた七世紀、中国大陸・朝鮮半島の動乱に翻弄されつつも、倭国はいくつもの改革を断行し、中央集権国家「日本」へと変貌を遂げていった。推古即位の背景から大化改新、白村江の戦い、壬申の乱、そして大宝律令成立前夜まで。考古学の成果も視野に、激動の時代の実像を最新の知見で描く。

感想・レビュー・書評

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  • 岩波新書の古代日本史シリーズ第3弾。
    本書は7世紀の倭の国の歴史について、その研究成果から概略について著したものです。
    この時代、中国と朝鮮半島を巡る国際情勢の緊迫化から、倭の国において中央集権体制が築きあげられていったといいます。
    この時代から、官僚組織、人事異動、文書行政が見られるなど、職業病ですが、なんとなしの感慨を受けました。

  • 倭国が、7世紀を通じて、公民制や官僚制を整備して中央集権化し、律令制国家として確かな基盤を作っていくプロセスを辿る。

    また、この時代は、文化的にも軍事的にも、唐や朝鮮三国をはじめとする東アジア諸国家の影響を強く受け続けた。
    唐による倭国征討の危機にある天智朝において、近江令が制定されて公民制や官僚制が整備・強化されることで、専制的な律令制国家が成立したという著者の見方は、当時の倭国支配層の焦燥を強く感じさせるものである。
    また、官僚制や藤原京の条坊構造、倭国の国家イデオロギーとして普及していく仏教・儒教など、あらゆる面で、中華帝国の影響力が凄まじいものであることに驚かされる。
    世界史を把握しておかなければ、日本史を正確に理解することも困難であるという、当然の事実に改めて気付かされる。

  • 飛鳥時代から、大化の改新、白村江の戦を経て、藤原京遷都までを扱う。

    読んでみて改めて、天智天皇の存在の大きさが印象に残る。天智天皇といえば、大化の改新や、白村江の戦で知られる。これだけだと、よくありがちな強権的な君主の一人と思えるが、そうではない。本書では、天智の業績として「近江令」の制定を挙げ、詳細に検討を加えている。

    近江令は日本で最初の体系的法令とされているが、その施行や存在に疑問符をつけられていた。しかし、近年の文献資料の検討から、近江令が実際に行われたとみるのが妥当とされる。そして、近江令による国家体制の変革と同時に、宮中祭祀の変更、蝦夷征討、唐との戦争、などが精力的に行われた。本書は、近江令こそが、古代日本における本格的な中央集権制の嚆矢とみなしている。

    思うに、天智天皇は明確なイデオロギーに基づいて行動している。その業績はのちの律令体制に引き継がれていき、その後数百年の日本の礎を築いた。まさに大英雄だと思う。天智天皇の和風諡号は天命開別尊であり、当時の人からも時代を画した聖君とあがめられてたらしい。わかる気がする。

  • 冠位十二階は極めて限定された人々を序列化しただけのもの。憲法十七条も内容は当たり前の事が書かれているだけ。そればかりか後の時代に加筆された可能性もある。が、推古朝当時、儒教と仏教に基づく新政治秩序を目指した何かしらかの訓令はあったとされる。
    当初は形だけのシステムだったものも、東アジアの情勢から臨戦体制を取る事になり、大化の改新が起き、部民制の廃止、公民制と官僚制へと繋がる。そして、天武天皇の元で平時体制へと移行する。

  • 岩波新書のシリーズ古代史、3巻目になります。
    取り扱っているのは推古帝から持統帝までのほぼ7世紀。今までの歴史書だと大化の改新で分けて前半は2巻に入れてしまいそうですが、そうしていないのはこの期間に律令国家としての骨格が少しずつ整備されたという考えから。この考えには納得しました。
    それとこの時代の特色として、中国を中心とした外交関係の影響が大きいことで、教科書では白村江と遣唐使くらいしか外交が出てきませんが、朝鮮半島をめぐる情勢でかなり広範な影響があったのだなと思いました。

  • 聖徳太子の影響力、大化の改新、近江令などなど、一時期その実質に疑問符が投げかけられていた事柄を再評価している。発掘・研究の進展で『日本書紀』の記述も再評価されている様子。ユーラシアの動向の中に日本を位置づけた世界史的な記述も必読。

  • 面白かったのですが、同じシリーズの『平城京の時代』のほうが、時代像を描く点や、問いを投げかける点で面白く感じてしまいました。申し訳ありません。

  • 七世紀史をどうとらえるか◆飛鳥の王法と仏法◆大化改新◆近江令の時代◆律令体制の確立◆ハニフのサトから

  • 対外的な脅威を常に感じて7世紀の朝廷は治めていた。
    遣唐使がいかに危険か、相手に捕虜にされる覚悟を込めて海を渡ったのですね。
    ただ、東北やその他地方の毛外の民の様子や文化的な記述が少ないのは気になった。

  • 都が飛鳥にあった7世紀の日本の歴史について述べたもの。隋(唐)や朝鮮半島の歴史をからめて各政権の移行や朝廷を中心に各政権が行った政策について特に詳しい。きっちりと整理され、やや教科書的内容であることと、あまり新たな発見がなかったのが残念。そういった意味では、「ヤマト王権(吉村武彦著)」や「飛鳥の都(直木孝次郎著)」の方が感動的な記述は多かった。印象的な箇所を記す。
    「奈良県明日香村の甘樫丘は、標高150m程の小さな山丘である。丘の上から東を望むと、すぐ足元に「飛鳥の母なる川」である飛鳥川が流れている。飛鳥川の対岸に飛鳥集落がある。大和棟の家並みの南部には、日本最初の本格的寺院である飛鳥寺が今も法灯を伝えている。目を凝らすと、飛鳥寺の手前に「入鹿の首塚」と呼ばれる五輪塔が見えるだろう。中大兄皇子と中臣鎌足は645年のクーデターで蘇我入鹿を殺し、飛鳥寺に入って軍営とした。蘇我蝦夷は、甘樫丘の邸宅に拠り、中大兄一派と対峙したが、ほどなく滅亡する。飛鳥寺から視線をずっと右に、つまり南に移していくと、美しい稲田のかなたに飛鳥村役場のある岡集落が望まれる。ここから北方にかけてが7世紀の歴代王宮が営まれた飛鳥宮跡である。やや右奥に橘寺の大きな屋根が見える。その背後の山は「ミハ山」と呼ばれ、飛鳥の神がいます聖なる山とされていた。飛鳥宮跡左奥の山中に岡寺が建ち「飛鳥岡」と呼ばれる。飛鳥岡とミハ山の間を抜けて、飛鳥川は流れ下ってくる。「飛鳥」は、北は飛鳥集落あたりまで、西は飛鳥川まで、南はミハ山まで、東は飛鳥岡までと考えられる。甘樫丘からさっと見渡すことのできる南北約1キロ半、東西約500mの狭い地域であって、「飛鳥の都」はかくもコンパクトだったのである」
    「王宮や寺院の発掘、さらに木簡の解読により「日本書紀」の信頼性は揺らぐどころか、かえって回復してきている」
    「飛鳥寺は日本最初の瓦葺き建築であった」
    「7世紀の倭国では「元嘉暦」という暦がつかわれた。元嘉暦は中国南朝で元嘉22(445)年に施行された暦で、百済がこれを用い、倭にも5世紀後半ころ伝来した。6世紀中葉には暦博士を招請し、暦を造らせることにした。推古10(602)年、百済僧観勒が暦法を伝え、倭王権はようやく自前で暦を作成できるようになった」

  • <目次>
    第1章  飛鳥の王法と仏法
    第2章  大化改新
    第3章  近江令の時代
    第4章  律令体制の確立

    <内容>
    7世紀の様子を描く。東アジアの動きの中に、日本史を落とし込んでいるところがポイントかな?あとは授業で触れていることがちょっと古くなっているのかもしれないと感じた。

  • 岩波新書の古代史シリーズの第3巻。第3巻は7世紀。大化の改新や白村江の戦い、壬申の乱を経て律令国家体制が整っていく過程が扱われている。東アジア情勢の緊張が高まる中で臨戦体制を整える必要から国内の中央集権も進んで行く様がよくわかった。

    「天武10年代には、この(記紀編纂)のほかにも藤原京の建設、諸国国境の画定、富本銭の発行など、国家支配の根本に関わる政策が相次いだ。……私は<天武10年の転換>によって始まったこの特色ある時期を「法と礼と史の時代」と呼んでいる。中国文化への接近、伝統の否定と再生ー天武朝前半とは明らかに異なる時代相が、そこにはあった。」(155頁)

  • 激動の7世紀史に酔った。大化の改心、壬申の乱などの激動を経て、日本が国家としての形を整える姿が表れていた。里中満知子氏の「天上の虹」を読みたくなった。

  • 広くユーラシア大陸のアクターを含めた中での倭の7世紀史。外圧、外交なくして、内政の進展もなかった。文化面での言及が少ないのが残念だが、政治史的には一般に十分詳細。

  • 次の一節で古代の時間の流れの一端がわかったような気がしました。
    「飛鳥寺は20年の歳月をかけて建立された。実はこれは古代寺院の造営では異例のスピードと言ってよく」

    また、『日本書紀』に引用されている「改新の詔」は改竄されているとよくいわれます。本書は、その部分のみが夾雑物であり、『日本書紀』全体が虚構とはいえない、という冷静な態度をとっています。

  • 前書きからして
    「王宮や寺院の発掘、さらに木簡の解読により、『日本書紀』の信頼性は揺らぐどころか、かえって回復してきている。これまでの『日本書紀』批判と七世紀史の再構成は行き過ぎではなかったか」
    「文献史料をあげつらうだけで七世紀史を論じることができた時代は、とうに過ぎ去った」
    と面白い。
    文献史学だけでなく、さまざまな分野(考古学・歴史地理学・建築史学・美術史学など)の成果を咀嚼して飛鳥時代が語られる。
    その結果のひとつとして、過大評価されがちだった天武持統朝が批判され、天智朝の重要性が指摘されている。

  • 隋・唐や高句麗・新羅・百済が七世紀の日本に与えたインパクトを改めて考えさせられる。日本が唐に侵攻されなかったのは、吐蕃・突厥の動きも関係していたとは知らなかった。ただ、年をとってくると列挙される律令制下の冠位や明日香の王宮や寺の地理的位置関係を頭に入れながら読むのがとてもつらくて困った orz

  • 七世紀史と言う観点が、面白かったです。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    舞台はいよいよ飛鳥へ。歴代王宮がこの地に営まれた七世紀、中国大陸・朝鮮半島の動乱に翻弄されつつも、倭国はいくつもの改革を断行し、中央集権国家「日本」へと変貌を遂げていった。推古即位の背景から大化改新、白村江の戦い、壬申の乱、そして大宝律令成立前夜まで。考古学の成果も視野に、激動の時代の実像を最新の知見で描く。

  • 7世紀には、聖徳太子の登場・大化改新・白村江の戦い・壬申の乱など重要な出来事が次々に起こっている。倭国から中央集権国家の「日本」へと変貌を遂げた時代である。

    唐の拡大戦略は、遠く離れた日本列島もその射程に入っていた。朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三国が拮抗していたが、唐はまず高句麗を滅ぼし、続いて百済を滅亡させた。その時、百済の求めに応じて援軍を送った倭は、白村江の海戦で壊滅的な被害を受ける。これに驚いた天智天皇は、飛鳥から大津京へと遷都する。また、防御を固めるため、北九州から瀬戸内海にかけて数多くの古代山城(本書では朝鮮式山城)が作られた。

    「天智天皇が厳しい状況のなかで構築した国家体制を、平時に相応しいものに組み直すことが、天武天皇の課題となった。」(p.158)

    本書は、東アジアからさらに視野をひろげて、アジア・ユーラシア世界の中における日本という視点で書かれているところが、これまでの歴史書と違う点だろう。

    また、律令を備えた(当時の)近代国家として唐(つまり世界)に見くびられない体制を整えようとした過程も明らかにされる。特に、近江令に関しては1章を立てて詳述している。『日本書紀』には近江令制定の記事はないために非存在説もあるが、著者は存在説に立っており、「国家」の体裁を整えることになった最初の法典として高く評価する立場である。

    また、「庚午(こうご)の年籍」と「庚寅(こういん)の年籍」といった戸籍制度についても、国家が「個人」を把握する上で重要であったことが書かれている。しかし、本書では政治的な動きを追うばかりで、国家を構成していた「庶民」についてはほとんど触れられていないのは、これまでの類書と同様だ。史料が少ないためでもあるが、著者の興味の対象ではないということだろう。

    歴史を論述するにあたって、天皇や貴族の動向だけで済ましている点に不満が残った。

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著者プロフィール

吉川真司(よしかわ しんじ)
1960年奈良県生まれ
京都大学助手、同助教授(准教授)を経て、現在、京都大学教授
〈主な著書〉『律令官僚制の研究』(塙書房、1998年)、『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』(岩波新書、2011年)、『天皇の歴史2 聖武天皇と仏都平城京』(講談社学術文庫、2018年)、『律令体制史研究』(岩波書店、2022年)

「2022年 『軍事と対外交渉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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