後醍醐天皇 (岩波新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784004317159

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706094

  • 岩波新書 兵藤裕己 「 後醍醐天皇 」

    網野善彦「異形の王権」論への反論も含めて、後醍醐天皇を評価した本。中世史の概要もまとまっていて、とても読みやすい。

    悪党や非人を軍事力として利用したり、後醍醐が自ら法服をつけて 真言密教の祈祷を行ったりする行為は 後醍醐が聖徳太子に傾倒しているだけであり、異形とは言えないという論調。一理ある。

    南北朝の動乱
    *鎌倉幕府滅亡→足利尊氏が 後醍醐天皇から離反→南北朝の対立
    *南朝(天皇による政治を目指す後醍醐天皇)と北朝(武家による政治を目指す足利尊氏)
    *血縁、地縁の共同体の仕組みが変わる→血縁、地縁によらない人の結びつき→一揆、一味同心
    *人や土地の支配と従属の関係の変化
    *女性やマイノリティーの地位の変化、能楽や茶の湯

    後醍醐天皇の評価(物狂の沙汰か 貴族層の牢固たる家格意識を解体しようとした果敢な試みか)
    *文観を介しての密教への傾倒
    *楠木正成ら悪党的な者を政権の要職につけた
    *政治手法の背景にあるのは 密教と中国宋代の儒学
    *臣下(公家、武家)を通さず、天皇が民に君臨する(一君万民)

    天皇親政=後醍醐が 宋代の中央集権的な国家をイメージしたもの
    *天皇が官僚を統括して、直接 民に君臨する=既存の序列が無力化→無礼講がその象徴
    *無礼講で無化する礼=上下の礼→衣冠、烏帽子など身分や序列
    *既得権と世襲制の打破。家柄と門閥の否定

    北畠顕家の諌奏状=後醍醐天皇の不徳を批判
    *任官登用は先祖経歴の先例による
    *当時の公家の政治意識を代弁したもの
    *君臣の上下が 名分をまっとうする秩序社会

  • 自ら密教の秘儀を行ない、悪女阿野廉子や妖僧文観にそそのかされ、側近の貴族を贔屓する悪性を敷き、あっというまに新政が瓦解、という従来のイメージを一新。当時の流行の宋学に影響され、天皇を頂点とした中央集権制を志し、武士たちの所領もすべて流動化、公家も門閥や先例にとらわれず抜擢。しかし、宋にはあった、新たな政治主体として台頭する士大夫層、彼らを官僚として登用する科挙制度などの基盤がなかったため、周囲の中位・下位の公家以外からは総反発をくらい…というもまた自明だったように思う。明治の王政復古に影響をあたえ、そこから今の日本をも呪縛している、という今日性については興味深く読んだ。

  • 歴史的には後醍醐天皇による建武の新政は短期間で失敗に終わり、リアルな実力を持つ武士たちが再び政権の座につく。が、天皇在任中に武家政権のわずかなスキを見出し、そのチャンスに一気に天皇親政を実現させた判断、勇気、行動力は天皇らしからぬ凄みを感じる。鎌倉時代から江戸時代まで長く続いた武士政権の中で一瞬ではあるが、権力を武士から奪い取ったという点でもっと評価、研究される人物なのかもしれない。

    建武新政の失敗後も、後醍醐天皇は権力欲をあきらめない。天皇の地位を保つために京都を離れ、吉野でもう一つの朝廷を開くという超裏技的発想は武士以上の野心家だ。昭和の日本軍部が利用するほどの強烈なキャラクター。

    天皇でありながら、なぜそこまで柔軟な発想ができるのか、そして、何度捕まっても再起する不屈の闘志を維持できたのか。そんな後醍醐天皇を知るためには、幼少時代から追いかけていくべきだ。が、本書は「太平記」の中の天皇しか紹介しておらず、ちょっと不満。

  • 水戸光圀の大日本史の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたものであるという点は初めて知った。

  • 読了 2018/08/10

  • 序 帝王の実像と虚像
    第1章 後醍醐天皇の誕生
    第2章 天皇親政の始まり
    第3章 討幕計画
    第4章 文観弘真とは何者か
    第5章 楠正成と「草莽の臣」
    第6章 建武の新政とその難題
    第7章 バサラと無礼講の時代
    第8章 建武の「中興」と王政復古

    著者:兵藤裕己(1950-、愛知県、日本史)

  •  ここでは一応評伝のカテゴリに分類したが、一般的な意味での「評伝」ではなく、後醍醐天皇個人というより「言説としての『後醍醐天皇』」の形成過程と展開過程を追究し、その脱構築を目指している。最も強調されるのは、その「天皇親政」への意欲が中国の宋学の強い影響を受けていたという点で、既存の身分秩序を流動化させ(君臣関係の再編)、中国風の皇帝専制を新に創出せんとしたとみなし、後期水戸学以来の国体論的な「建武中興」「王政復古」観を説得的に否定している。水戸学の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたもので、藤田幽谷によって国体論に読み替えられたという。一方で、一時流行した網野善彦らの「異形の王権」論も否定し、真言密教への傾倒自体は後醍醐特有の個性ではなく、護持僧の文観に関するさまざまな伝承(特に邪教「立川流」をめぐる)も後世の創作として退けている。歴史学と異なる文学畑の方法論に疑問がないではないが、これまで常にイデオロギーに弄ばれたといってよい後醍醐天皇像を見直す契機は供していよう。

  • 建武の新政って知れば知るほどその凄さが見えてくる。一君万民的天皇制を自ら着想し遂行したのは、後にも先にも後醍醐天皇だけ。明治維新の王政復古はそれをパクっただけだし、厳密には同じではない。ただ悲しいかな、斬新な行為には常に副作用がつきまとう。尊氏に裏切られ、観応の擾乱で京都をめちゃくちゃにされ、あげくのはてには武家政治に逆戻り。パクったほうも同じ。軍事政権の台頭をゆるし、皇道派と統制派の対立を生み、226事件で文民にトラウマを植え付け、大戦へと突入して・・・あーーー、これ以上書きたくない。あれ?後醍醐天皇の話がどこかへ行ってしまった。

  • 建武と明治をリンクさせてるのが、とてもわかりやすかったし、興味をひかれた。

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著者プロフィール

学習院大学文学部教授。研究分野○日本文学・芸能 著書等○『太平記〈よみ〉の可能性』(講談社学術文庫、二〇〇五年)、『琵琶法師』(岩波新書、二〇〇九年)、『平家物語の読み方』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)など。

「2014年 『『太平記』をとらえる 第一巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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