- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004317272
感想・レビュー・書評
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原民喜と言えば、「夏の花」で「原爆文学」。そんな貧弱な文学史的知識しか持たず、国語の教科書にほんの少し抜粋されていた文章しか読んだことがなかった。この評伝を読んで初めて、ああ、こういう人だったのか、こんな孤独な魂の持ち主だったのかと、一人の人として目の前に現れてくる気がした。
以前著者が小林多喜二について書いていたときも同様のことを思った。教科書の平板な一行だけの記述の背後で、失われていくその人の切実な人生を、梯さんは丁寧な取材でよみがえらせ、そっと目の前に差し出してくれる。圧巻の傑作「狂うひと」とはまた違い、静かな悲しみをたたえている一冊だ。
原民喜が自死を選んでいて、しかもそれが鉄道自殺だったとは知らなかった。冒頭でその死の前後が描かれ、その後は、生い立ちからそこに至るまでの人生をたどっていく形になっている。原民喜という人は、本当に不器用で、世間になじめない人だったようだ。そういう自分を愛し庇護してくれる人や、やさしくあたたかいものを希求するが、それらははかなく手元から奪い取られてしまう。絶望と死に向かって刻々と引き寄せられながら、この世の地獄とも言える被爆体験が、かえって生に向かわせたという指摘には唸った。本当に「これを書かねば」という思いだけが、戦後の原をしばらく生きのびさせたのだろうと思う。
いつもながら、著者の筆致は冷静で、いたずらに感傷を煽ることなく淡々としている。原の自死についても美化せず、しかし、どうしてもそこに向かって行くしかなかった孤独な心情をしのばせる描き方になっている。過度な感情移入を避けながら、なおかつ取材対象に寄りそって書くことは、そうたやすいことではないだろう。その姿勢に揺るぎない信頼感がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この新書は、今年の夏に本屋の棚に登場して以降、ずっとひとり立っていた。何故この本だけ全面写真カバーが付いているのか。カバーに云う「愛しすぎて、孤独になった。今よみがえる悲しみの詩人…。」原爆作家の原の字もない。夏の終わりに、ラジオ番組で本屋の書店員がオススメの本を紹介するコーナーがあって、熱を帯びて勧めていた。若い女性と岩波新書というのがチグハグで、やはり記憶に残った。早いうちに読もうと思った。それから一ヶ月あと。いっきに読む。いつもは数冊の本を並行に読むのだけど、他のを紐解く適わなかった。この本は小説ではないけど、知識の本ではない。読んで、体験すべき類いの本である。原民喜というピュアな人に出会ってしまうという体験。
虐められて、世の中から逃げるために自殺をするのではない。あまりにも純粋な世界しか見ることが出来ない稀な能力を持ってしまったために現世よりも死の世界の方に居場所を見つけた青年。けれども最愛の妻が「書いて欲しい」と言ってくれたから、自分しか書けない最悪の地獄を見てしまったから、愛する現世の人たちのために書き遺して置かねばならない、と決意して仕舞った青年。死の世界に行く前に(おそらく)10ー20年生き延びてしまった青年。そんなピュアな人は現実にいるのだ、と信じさせてくれる評伝だった。
梯久美子さんの本は、そうとは知らずに一冊だけは読んでいた。戦争で九死に一生を得た人たちに取材したインタビュー集である。氏の著作一覧を見ると、「死と愛と孤独」の人についてずっと書いているのがわかる。思うに、何かの賞を取らざるを得ない評伝だったろう。
2018年10月読了 -
私は梯久美子こそ当代きっての名文家の一人だと思うし、もちろん優れたノンフィクション作家だと思っている。
だからこそ期待のハードルが上がっていて、残念ながら、本書はそのハードルを超えられなかった(エラソーですね、すみません)。
よくできた評伝ではあるが、梯久美子の本としては印象が薄い。かつての大傑作『散るぞ悲しき』などと比べてしまうと、割を食って見劣りがするのだ。
終盤、原民喜の晩年にささやかな幸をもたらした女性・祖田祐子に梯が独自取材をするあたりから、俄然、文章が精彩を放ち始める。が、そこまでは〝フツーの評伝〟という感じで、あまり面白くない。
ミューズであり、母のごとき庇護者でもあった妻に先立たれた原民喜は、鉄道自殺によって世を去るのだが、その少し前に出会った年若い祖田祐子に、恋愛感情とも呼べないほど淡い、ある種ホーリーな感情を抱く。
原民喜と祖田祐子、そして若き日の遠藤周作――3人の不思議な関係を描いた終盤こそ、本書の圧巻である。
それにしても、原民喜という人はなんと孤独で、なんという生きづらさを抱え込んだ文学者であったことか。汚れきった娑婆世界で生きることに向いていない、硝子細工のように繊細な人だったのだ。
現代のコミュ障・ぼっち・メンヘラたちは、本書を読んで原民喜に共感できるに違いない。 -
某所読書会課題図書: 被爆の現状を作家の立場で詳細に記載した文書は、当初は「原子爆弾」という題名だったが、GHQによる検閲を考慮して「夏の花」と変更されている.さらに俳句の連作もあり、貴重な資料となっている.遠藤周作との交流が原にとって非常に貴重な体験だったと推測するが、祖田祐子さんも含めた行動は荒んだ気持ちをいくらかでも和らげたのではないかと推測する.素晴らしい才能を持った人材が自死によって失われることは非常に残念なことだが、関係した文人たちが彼のことをあらゆる機会に追想しているのは、羨ましくもあり素晴らしいことだと感じた.
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岩波新書 梯久美子
原民喜 の作家人生を 死、愛、孤独をキーワードとしてまとめた評伝
「原民喜は死によって生きる作家」幼少期における家族の死、愛する妻の死、広島での被爆経験が基調となっているとのこと
この本に書いてある原民喜像と「孤独」が結びつかない。自死の数ヶ月前から友人たちを訪ねたり、17名の人に遺書を書いたり、20才以上年下の祐子との清々しい関係や遠藤周作との親交など 孤独とは無縁に感じる
自死の原因については、明示していない。遺稿「死について」や「永遠のみどり」を読むかぎり、未来に希望を持っているように読める。被爆後遺症やptsdなど精神的な障害はなかったのか?
遠藤周作の日記「原さんさようなら。ぼくは生きます。しかし貴方の死は何てきれいなんだ。貴方の生は何てきれいなんだ」
イエスのみじめな死が弟子たちの胸に突き刺さり、彼らの人生を変えていく〜遠藤周作は、原民喜の死をイエスと重ねていた
原民喜は社会に対して声を上げることをしなかった。細かくかすかな声で、死者のための歌を歌い続けた
個人の発する弱く小さな声が、意外なほど遠くまで届くこと〜それこそが文学のもつ力である
「永遠のみどり」
ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ〜ヒロシマのデルタに青葉したたれ
遺稿「死について」
殆どその生存を壁際まで押しやられて〜目も眩むばかりの美しい幻想や清澄な雰囲気が微笑みかけてくる
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ふむ
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/711793 -
2021年12月24日 夫からのプレゼント。
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20190430 不幸な作家が現実を受け止め、生きさせてもらった人たちのために、詩作を続け、自分の判断で人生を終わらせた。著作に付いては読まないかも知れないが名前は忘れないと思う。
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原民喜の存在感と遠藤周作の存在感。
自死を選びながらも、残された人や未来に明るい希望を確信し託した原民喜。
原民喜として、その生を全うしたのだと思います。
イエスがイエスの生を生き、十字架にかかったように。
久しぶりに一気読みした一冊。
余計な解釈を加える事なく、最後に
「現在の世相と安易に重ねることもまた慎むべきであろうが、
悲しみを十分に悲しみつくさず、嘆きを置き去りにして前に進むことが、社会にも、個人の精神にも、ある空洞を生んでしまうことに、大きな震災をへて私たちはようやく気づきはじめているように思う。
個人の発する弱く小さな声が、意外なほど遠くまで届くこと、そしてそれこそが文学のもつ力であることを、原の作品と人生を通して教わった気がしている。」
と記し、謝辞をもって締めくくっているが、
非常に静かながらも力強く印象深い評伝であった。
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原民喜と遠藤周作の交流について知ることができ、興味深く読んだ。遠藤周作の描いたイエス像と原民喜の姿の重なり合いについての指摘にはなるほどと思わされた。
「うん、見ようかね」と、少女が差し出した絵を長い間じっと見つめる、ありし日の原民喜の姿。その姿を回想する遠藤周作。
また、喫茶店でのエピソード。 -
恥ずかしながら、この歳になるまでというかこの新書を本屋さんで手に取るまで、この作家について知らなかった。読み終えて、そのことをとても恥ずかしいと思った。そして、この作家の作品をきちんと読んでみようと思うようになった。非常に洗練された評伝になっていると思います。
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栗林中将の本がよかったので、本書を手に取る。
冒頭から話が重すぎて暗すぎて、読み進めるのがほんとうに辛いのだが、遠藤周作さんやタイピストのお嬢さんが登場してくる最後の章あたりから、モノクロのトーンだった話が急にカラーへと変わるように生き生きとしてくる。
私情を盛り込んだり、事実をことさら美化したりしないで書く著者ではあると思うが、あとがきには大きな震災をへて現代に生きる我々に向けたメッセージが伝わってきます。 -
読み進めれば読み進めるほど、切なく哀しくなる…。目の前の現実を見つめず、ただやり過ごすだけの自分が恥ずかしくなる…。
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切なくなりますね。
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122頁、貞恵さんとのお写真。とてもよい。
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原民喜がここまで極端な個性の人だとは知らずにいた。あと、宮澤賢治以外で「透きとほった」って書くだけで清澄な空気があるんだって感じさせる筆力がある人がまだいるってことを知った。被爆後一時期南馬込の、多分谷中の集会所のある辺りに寄宿していたことも知れた。埴谷雄高、遠藤周作はいずれも北杜夫の随筆で知った作家だが、原民喜とこんなにも心を通わせていたんだ……とか。
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夏の花をはじめ、原民喜の作品は心に残る印象的なものが多いです。その作品の背景に迫る傑作評伝。
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本館開架(新書) [原, 民喜]
http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB26481594 -
原爆作家としてしか知らなかった原民喜であるが、この評伝で妻がこの人を支え生きながらえさせた実生活に触れ、新たな視点を受け取った。この人は緘黙症のまま生きることになったかもしれない人であり、鎮魂歌にあるように「愛は僕を持続させた」のだと思えた。
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18/08/21
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本当に著者作品ははずれがない。またも素晴らしい作品。ノンフィクションとしての出来もよいが、やはり原民喜の作品が凄い。特に「夏の花」というより作品「原子爆弾」のベースとなる被爆メモは圧巻だ。原民喜はこのメモを残すためにこの世に生を受けたのではないかとさえ思わせるものだ。偶然73年後のこの時期に読んだが、日本人が決して忘れてはならない歴史の1ページを鋭く捉えている。本作も「夏の花」も、私より若い世代に是非読んでもらいたい作品だ。
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東2法経図・6F開架 B1/4-3/1727/K
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評伝にありがちな、思い入れが強すぎて神格化したり、文学的にしすぎたり、というのがなく、淡々とたどる。この姿勢はまさに「民喜」そのものではないか。
●原は自分を、死者たちによって生かされている人間だと考えていた。そうした考えに至ったのは、原爆を体験したからだけではない。そこには持って生まれた敏感すぎる魂、幼い頃の家族の死、厄災の予感におののいた若い日々、そして妻との出会いと死別が深くかかわっている。