- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004318088
感想・レビュー・書評
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清の時代を中心に多元共存のシステムから「中国」としての一体化をめざす現代までを描いている。
多元共存の国家の方が理想的に思えるけど、それがダメで清は潰えたわけだし。国の力を高めるには一体化なんだろうけど、今の中国の外交政策をみてると何だかなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・明から現在までに至る中国の歴史がすっとわかりやすい。
・20世紀に入ってからの五族一体、中国の概念の誕生
・朝貢一元体制下における属国の位置づけ -
清朝から現代中国までを概括。明末カオス化した大陸を継いだ清が、少数民族でもある事から、存外小さな政府であり、地域の民間社会にまで浸透するような官僚国家、軍事国家ではなかった。それは、日清戦争で日本が戦った相手が、清国軍というより、李鴻章の軍団だった事にも表れており、清滅亡後の軍閥割拠、統一に失敗した国民党も、その延長線上にある。それだけに、共産党(毛沢東)による、農村から都市を包囲する戦略は炯眼で、最大の勝因となったが、それもまた社会主義化の過程で強烈な歪みを生じ、膨大な損害を避けられなかった。広大な土地と数多の人民を統御する至難と無理が中国にはあり、今後もその課題に直面し続ける宿命を持つのだろう。清朝全盛期には名君が君臨し、東アジアを安定させたが、銀流行による好景気が背景にあった。世界経済とのリンクが強まった時、旧態依然のアジアの支配者として清朝は崩れたが、漢人社会が動揺した時期に帝王に収まり、やがて役割を終えて去っていった様は、ある意味中国の懐の深さの象徴でもあるように感じられた。
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著者の他の数々の著作とかなり重複する内容で、復習のようでもある。清初は多元性の共存、本土でも藩部でも在来の制度・慣例を引き継ぐ。雍正帝は漢人統治に多くの改革を行ったとして、著者は康熙・乾隆帝よりも重視。そして「盛世」のはずの乾隆帝の治世には、人口の爆発的増加や移民がもたらす社会流動性の高まりにより、官と民の乖離・相剋が一層拡大する。また帝自身は自らを「中華」と同一視し、「華」「夷」二分法に回帰してしまう。
清末には太平天国など乱の発生と、督撫重権による鎮圧と統治。東アジア内では日本など外部勢力の進出により「属国」が変容。清朝は「属国」に西洋的な意味を織り込んで干渉を強化するが、弱体化は止まらず。20世紀初には領土主権を持つ統一国家としての「中国」が、危機感を覚えた知識人に認識されるようになる。
最後に著者は新疆やチベットなどの地域に言及し、これら現在の問題と、清朝の多元共存や「一つの中国」認識という歴史を重ね合わせる。 -
東2法経図・6F開架:B1/4-3/1808/K
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清朝による分割統治と瓦解、割拠の中夥しい数の革命が巻き起こる混乱を経て現代中国にたどり着く過程がダイナミックに表現されている。
秩序から混沌へ向かう要因は様々あり、教科書にある「アヘン戦争」「辛亥革命」など単一の事象で全てが一変したわけではないということがよくわかる。 -
222.01||Ch||5
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岩波新書のシリーズ中国の歴史全5巻の完結編は、岡本隆司氏の「「中国」の形成 現代への展望」。扱われるのは、清代を中心に現代まで。
16世紀から18世紀までの時代は最近流行のグローバル・ヒストリーでいう「大分岐」の時代に当たるが、著者はグローバル・ヒストリー学説に対しては、「アジアを端から異質で、落伍していた存在とみていた従前とちがって、確かに新しい。西欧中心史観の非を悟りはじめた西洋人なりの反省なのだろう」と一定の評価(?)を与えつつ、しかし、「経済指標に目を奪われるあまり、社会構成・統治体制のあり方に対する洞察に乏しいことがあげられよう」(pp.viii〜ix)と述べる。
17世紀幕開けに混沌としたカオス状態であった東アジア世界が18世紀になるとすべて清朝に合流、しかし、そこに朝貢体制や華夷秩序を当てはめても治まるものではものではなかった(それをやろうとして失敗したのが明)。本書では多元的なアジア世界を清朝がどのように秩序立てようとしたのかを「因俗而治」という概念で捉える。それをイメージで示しているのが、45ページの図11である。
さて明末清初の社会を批判した学者に黄宗羲や顧炎武がいる。顧炎武は官僚制の硬直化・矮小化を指摘し、「盛世には小官が多く、衰世には大官が多い」と批判した。実地に庶民・社会と接して行政にあたるのがここで言われている「小官」である。官吏の不正・非違を監察する「大官」ばかりが増えている世の中は「衰世」なのだ(p.58)。
清朝ははたしてどうだったのか。「第三章 二 経済」「三 社会」と清朝の経済社会発展(乾隆帝時代は緩やかなインフレで経済は大発展を遂げる)の様子が描写される。しかし「四 分岐」で「私法・民法・商法の領域・民間の社会経済に、権力が介入できたかどうか。西は是であり、東は非だった。そこに『分岐』の核心がある」(p.99)と著者は断じている。「世界史上、そうした制度(*ヒックスのいうような公権力・国家による「規則」)を創出できたのは、イギリスのいわゆる「財政=軍事国家」であり、私見ではイギリス・西欧にしか、そうしたシステムは発祥、ひいては発達、完成することがかなわなかった」(p.98)なのである。
本書はこうして「大分岐」の核心を、中国の統治原理・社会構造の歴史的変遷から見事に喝破している。第四章の「近代」、そして現在の習近平体制まで筆が及ぶ第五章「中国」、「おわりに」まではそうした中国社会の基本原理が貫徹している。
「歴史をたどれば、そんな「一体」の「中華民族」は存在したことがない。かつて存在しなかったものをもとにもどす、回復させることはありえないから、「復興」もやはり現実ではない、「夢」だということになる」(p.192)。
※巻末主要参考文献の最後で著者は「人文学とりわけ歴史学は、新しい研究成果ほどよい、依拠するに足る、というわけではない」と述べつつ、「東アジアに関わるグローバル・ヒストリーに代表される英語圏の所説は、その典型といってもよい」とトドメを刺している。