- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022517005
作品紹介・あらすじ
著者は、75歳になった。友人知己の病気・喪失はこたえるし、もの忘れもひどい。でも加齢からの贈りものもある。22歳でラジオ局に就職したときの自分に、言ってやりたいことがある。年とともに、他者との違いを強調せず、自分の人生を諦めない、心からの共感と敬意をこめて「ただの人」を最高と思うようになった。小さな食堂の女主人、シャツづくりの洋服屋さん、介護休暇をとって母を看取った親類の男性。どんな時も平常心を保つ生活のたのしみを見捨てない。今朝の味噌汁を丁寧につくり、小さな庭で土をいじり、本のなかの、ある頁の、ある一行を見つける。「手仕事」の大切さ、暮らしの支えがあるからこそ、世の理不尽に抵抗ができるのだ。「明るい覚悟」を支える、いまも心に響く22冊のとっておきの絵本も紹介する。登場する絵本(一部)『オレゴンの旅』『教室はまちがうところだ』『ベンのトランペット』『どうぞのいす』『ぼくのたび』『わすれられない おくりもの』『ろくべえ まってろよ』『ひだまり』『でんでんむしのかなしみ』『はなのすきなうし』『とんでいった ふうせんは』『ライオンになるには』☆ 本書の目次を見ていただくとわかるが、「動詞」がタイトルになっている。/ 「人生とは動詞」だという言葉、そして手仕事が、わたしの中でいま、より大事なものとなっている。(まえがき) ☆ タイトル『明るい覚悟』とは、自分にとって大事なほんの僅かなものを握りしめて暮らすことであり、自分が望む自分になっていく過程を惜しまず、省略しない、自分との約束と言い換えることもできる。(あとがき)
感想・レビュー・書評
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エッセイのような本だった。作者のこれまでの経験から感じたことを、動詞を題にしてまとめられている。経験から感じること、感性、引用する本が秀逸でとても面白かった。ただ政治のことについて読みたいわけではなかったので作者の政治思想が見え隠れするのが個人的に読む上であまり好きではなかった。
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心に染みた。
「季節の移ろいがこんなに心に迫るようになったのは、ある年代を過ぎてからだった。」 p.114
まさしく、しみじみと、激しく同感。 -
とっても良かった❗️
穏やかな気持ち、かつ、勇気をもって、日常を過ごしたいと思う。
平和で、安全で、温かいこと、これ以上望むことはないのかもしれない。 -
著者が75歳の時の作品ということで、”終わり”を意識した作品となっていた。
仲の良い友人や母の死など、死が迫るなかでのエッセイが、作中で紹介される絵本とリンクする。
著者自身の政治に対する主張も比較的色濃く出ている作品でもあり、前情報を持たないで読むことが多い私は少し圧倒されてしまった。著者の政治的主張に賛成反対に関わらず、少し読む人を選ぶ作品かもしれない。
ただ、著者の言うようにニュースが元号が変わるニュースだけを報道しているからといって他の事件や原子力発電問題が消えるはずもない。ニュースが選ばれたものだけを報道していること、選ばれたものだけを受け入れて考えることを放棄した結果に何があるのか、自分で判断して生きていかないといけないと感じた。
あとがきにもあるように、タイトル「明るい覚悟」は『自分にとって大事なほんの僅かなものを握りしめて暮らすことであり、自分が望む自分になっていく過程を惜しまず、省略しない、自分との約束』と著者は書いている。素敵な言葉だと思う。
自分が望む自分がどんな自分なのか、本当に大事なものは何か、を意識して過ごしていきたい。
著者からの朝の電話を、著者の友人が「朝の句読点」というのは素敵な表現だなと感じた。 -
明るい覚悟、という言葉に惹かれて買った。そういう覚悟が欲しいなと思っていたので。
否応なしに老いということを感じる本で、両親の老いと、自分もこのまま何にもなくて歳をとっていくのかなということにじんわり直面している最中なので、時々暗い気持ちにもなった。キレイな言葉で飾るだけでは乗り切れないものがあるのだと感じた。
でもそれを受け入れて立つことが、明るい覚悟、なんだろう。 -
初出 2018〜20年「一冊の本」
私が最初に出会った文化放送セイ!ヤングのレモンちゃん時代のことを、寄るな、さわるな!と生きていた、と振り返る。
子供専門の書店クレヨンハウスを作り、絵本を出版し、有機野菜を売り、食べさせる店を作り、自分が着たいオーガニックコットンの服をデザインして着る。原発反対のデモにさんかするえ。70代になってなおもエネルギッシュだが、その活動の元になる感性、思い、暮らし方が綴られている。
深い共感をもって読める。 -
梨木氏の後、『明るい覚悟 -こんな時代に-』(朝日新聞出版:落合恵子著)読んだ。二人が「社会における最も声が小さい側」から理不尽な社会に対して声を上げているのが共通している。この随筆には亡くなられた母親、愛犬、友人、デモに行くこと、いつくしんでいる庭の植物やご飯の楽しみなど落合さんの方が暮らしと考え方がよくわかる。少し閉じている小説家と開いている発言者の個性の違いなのだろう。
落合氏を読もうと思ったのは、『解説「意志的な楽観主義」をタイトルに借りて』(大江健三郎著『定義集』の解説)を読んで、異論が排除される息苦しい現在(2015年だが)を指摘し「壁も倒せば橋になる」という楽観性に立ち止まったからだ。昔、高校の教室で「昨夜のラジオ聞いたか、レモンちゃんはすごいぞ」という話あったが本を読んだことは無かった。少し軽いと誤解していた。
今回、文中の「明るい覚悟」とは、「自分にとって大事なほんの僅かなものを握りしめて暮らすことであり、自分が望む自分になっていく過程を惜しまず、省略しない、自分との約束」にホーッと立ち止まった。大江氏の「意志的な楽観主義」と「明るい覚悟」は同意だが、白昼公然と「赤狩り」(実は「リベラル狩り」)を行うようになった現在、副題の「こんな時代に」を強く思う。落合氏が立つ位置は昔も今も「人間らしい生き方・考え方」だと思うが、それがだんだん左側にずれたように感じるのは全体が右側に右側に映しだされてきているからだろう。