ラウリ・クースクを探して

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022519269

感想・レビュー・書評

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  •  歴史においてはなにも果たさなかった、ある意味で歴史から疎外された存在であるラウリ・クースク。記者の〈わたし〉は、そんな彼の半生を書くためにラウリの形跡をたどる。
     ラウリは、コンピュータ・プログラムが好きな子供だったが、身近に彼と同じ視点からプログラムにを語る友がいなかった。しかしラウリが3位に入賞したコンテストで、1位を取った人は、ラウリと同い年だった。それを知ったラウリはきっと彼――イヴァンなら親友になれるはずと期待に胸を膨らませる。そして二人は同じ中学校に通い、共に切磋琢磨した。デザインが得意なカーテャを加え、三人で青春時代を過ごしていた。しかし、ソ連の状況が一変し、それぞれ立場を異にした三人は歴史の波に飲まれ、道を分かった。ラウリとイヴァンはお互いに離れてしまった親友を思いながらもそれぞれの人生を歩んでいた。
     しかし、三人の道はまた交わる。記者となった〈わたし〉――イヴァンは、道中でデザイナーとなったカーテャの連絡先を入手し、ガードタイム社に勤務するラウリと何とか対面することが出来た。
     ずいぶん長いこと顔を合わせなかった三人。でも、時間の壁は直ぐに消え、深夜になるまで語り合った……。

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     面白かったです。心が温かくなりました。
    真の友情は立場も時間の隔たりも越えて語り合えるものですね。私も普段の生活を振り返って、人との交わりに感謝しようと思いました(´˘`)
     でも、それと同時に大きな時代のうねりに呑まれてしまって、おもうまま真っ直ぐに生きられない命があるということを忘れてはならないとも思いました。
     私は宮内悠介さんの本は初めて読んだのですが、決して劇的では無い人物にリアリティを与え、肉感を与えてくれる素晴らしい作家さんだなあと思いました。フィクションであることを忘れ、本当のかつてを生きた人の伝記を読んでいる気持でした。他の本も是非手に取って読みたいです。

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    ※帯より
    ソ連時代のバルト三国・エストニアに生まれたラウリ・クースク。黎明期のコンピュータ・プログラミングで稀有な才能をみせたラウリは、魂の親友と呼べるロシア人のイヴァンと出会う。だがソ連は崩壊しエストニアは独立、ラウリたちは時代の波に翻弄されていく。彼はいまどこで、どう生きているのか?――ラウリの足取りを追う〈わたし〉の視点で綴られる、人生のかけがえのなさを描き出す物語。

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    ※以下引用

    「とどのつまり、彼は何をなしたのか? 歴史のどの位置に彼はいて、どういう役回りをはたしたのか? ラウリという人物は、我々人間存在の何を照射するのか?」
     これに対して、わたしは「何もない」と答えるよりほかない。
     ラウリ・クースクは何もなさなかった。
                       (P5)

    「よく勉強するんだ。この国は、努力さえすれば誰だってなんにでもなれるのだから」
                       (P19)

    「この国でまっすぐ生きるのは難しい。まっすぐ生きたいと思ったら、多かれ少なかれロシア人連中の言うことを聞かなきゃならんからな。だが、少なくとも無知は罪だ。俺は要するに、無知だったんだ。この国で、光のある道を生きろとは言えない。だからせめて、おまえさんはまっすぐ、したたかに生きてくれよ」
                      (P59)

    「どうしてこの村に?」
    「きみに会いに来た」
                       (P63)

    ラウリを襲った感覚、それは居場所があるということだった。
                       (P75)

    「そうとも。親友と会うのに理由なんかいらねえ。何年ぶりか知らねえが、話題なんかなくたっていい。二人で空でも見てればいいのさ。どうだ、俺は何か難しいことをいっているか?」
                       (P204)

    「もっと許せないのは、いっとき、ラウリがラウリの人生を生きようとしなかったこと。」
                       (P233)

     データは不死だ。
     ならば、わたしはラウリのデータを書き残す。記憶素子と、水晶の箱庭に。あるいは図書館という人文のデータ大使館に。青春の一片を、わたしの親友を、わたしはデータとして残すことを選ぶ。
                       (P234)

  • この題材を思い付いて、
    資料を集めて精査して、
    書ききれるのがさすが。

    まずどうしてそこを書こうと思えたのかっていうのが常人離れしていると思う。
    発想と知識量がほんとにすごい。

    著者の人気作に比べると一見地味でおとなしめだけど、そこがまた味わい深くて好き。

  • 読み終わったあとも、同じ世界を見れるラウリとイヴァン、2人にとってお互いがどれだけ救いになっていたのかに思いを馳せると胸がじんわりあたたかくなる。素晴らしい余韻に浸れる物語でした。

  • 冒頭からある通り、「ラウリは無名の人物であった」
    「ラウリ・クースクは何もなさなかった」
    ここが効いていた。読み終えた今ならわかる。

    この時代(ソビエト連邦が崩壊に伴い、バルト三国が独立)を
    生きた少年を通じて、その時代の残酷さや非情さ、喪失感、
    無力感などの一抹を味わうことによって、同じようにこの時代の
    この国に生きた人たちが、同様にそれぞれの物語を持つこと。

    少年期のラウリの成長、周囲で生きる人々の描写から、
    時代に翻弄されながらも、人は地道に、真面目にも愚直にも、
    時代の変化を受け入れながら生きていく。
    その姿にはやはり胸を打たれる。
    作者の意図は成功していると思う。

    そして、この本には驚かされた!
    「序」から始まる「わたし」がイヴァンだったとは!!
    私はまったく予想してなかった。
    作者が日本人であり、通訳ヴェリョがついてることから、100%
    「わたし」は日本人であり作者であろうと思い込んでいた。
    第二部のラスト、カーテャのセリフ「ようこそいらっしゃい、イヴァン」
    ここで図らずも衝撃を受けたのだった。

    とうに予想していた人もいるかとは思うが、私は気づかず、ここまで私に思い込ませるとは、予想だにさせないとは、ここまでの
    第一部、第二部にどんな仕掛けが仕組まれていたのか・・・と
    作者の宮内さんの筆致に唸った。

    切ない悲しみに涙が滲んだシーンもあった。
    アーロンがラウリに宛てた遺書、
    せっかくに再会したのに、同僚としての関係性にも少なからず、
    良かったと思っていたのに、まるで人生を転げ落ちるように転落していく、
    アーロンの姿は切なかった。
    自らをソビエトの幻影と呼び、かつての仲間たちからは裏切り者と呼ばれたこと。
    何が彼をそうしたのか、きっと彼にような人もこの時代、
    多くいたのかもしれないと想像は難くなかった。
    最後の署名「アーロン”チェキスト”ユクスキュラ」が彼が背負った人生を
    表していたように思う。
    小鳥のえさのパン屑・・・ここにも彼の孤独が感じられた。

    そして、カーテャが車椅子の生活となったこと。
    これも、歴史とともに生きた証なのかもしれない。

    ラストで、ラウリ、カーテャ、イヴァンは再会する。
    イヴァンの秘密も明かされる。
    2人が親友であることの証明でもあったように思う。
    ここでも、まったく気づかなかったのである。
    「一色覚」であること。きっと、コンピュータを仕事にしなかった理由でも
    あるのだろう。
    伏線は貼られていた。子供のころ、彼の作るプログラミングの画面は白黒だった。
    カーテャの描いた絵のすばらしさを感じることがなかった、などなど。
    ここまで来て思えば、ちゃんとヒントが隠されたいた。
    う~ん、上手いなぁ、宮内さん。

    歴史にとっては意味のないかもしれない、けれども一つの時代を生きた、
    1人の人間。データは不死であるからこそ、青春の一片を、わたしの親友を、
    私はデータとして残すことを選ぶ。
    で結ばれた物語。見事に私の心にも残った。
    大きな功績を残す人の話ばかりではつまらない。
    地道にまっすぐに生きた一人の話だからこそ、伝わることがあるのだと思う。
    私はそんな物語が好きだ。
    これからもそんなお話を読んでいきたい。

  • ソビエト連邦崩壊時期に共和国の主権宣言が次々となさる中、政治的な混乱の中で生きざるを得ない若者たちの友情物語といったところでしょうか。

    当時の歴史にもふれつつ、政治的な同調圧力の恐ろしさ、不穏な世の中への憤りや喪失感が主人公を通じてジワジワきます。そんな時代を経て今の世界情勢不安が何とも恐ろしい。実に恐ろしく心底恐いよ。

  • 歴史に翻弄されたラウリと友情の物語。

    文が読みやすく、すらすらと物語に入っていけて良かった。
    ラウリのプログラムへの情熱、ラウリとイヴァン、カーテャの友情、そして、それらがバルト三国の独立にまつわる動きで歪められていく苦しみ、、彼らの心情がじわりじわりと伝わってきて心動かされた。

    ☆3.8

  • 直木賞候補作品として書店に並んでいたので興味を持ち読みましたが、
    他候補作品と比較すると読み劣りするように感じました。
    作品背景は70年代後半から現在のエストニアを舞台にした友情の半生記、
    目まぐるしく変わる社会情勢に翻弄されながらも強い絆で結ばれた男女3人の、出会いを時系列を変えながら辿っていくストーリー。
    話の流れや歴史は面白いのですが、200頁そこそこで字体も大きく、今ひとつ深く掘り下げて書く事が出来なかったのかと残念、ストーリーも最初から予想通りで深い感銘はありませんでした。

  • ラウルとイヴァン、カーテャ、3人それぞれの生まれや国家、環境の違いで目まぐるしく状況が変わる流れは、まるで戦前戦中戦後を現代の40年前後に当てはめて見ているようだった。ノンフィクション風?のためかそこまでの刺激はないものの、面白かった。
    エストニアという国をほとんど知らなかったし、バルト三国も学生時代よく聞いてたな〜くらいの言葉。
    背景を少し調べるとロシアの前もポーランドだドイツだと占領されまくりの歴史だった様子。国民の情報自体を国とみなして領土が分断しても国を再建できるようにというのが、ナショナリズムを突き詰めた考え方じゃないかと思った。

  • 2024.03.08

  • ソ連時代のバルト三国・エストニアに生まれたラウリという少年の伝記的創造小説。
    激動の歴史の中で表舞台に立ち、歴史に名を刻むのは一握りの人々だが、その時代を生きた人は数えきれないほどおり、そのひとりひとりに歴史がある。
    時代の波にされるがままに流され、時には立ち向かうように逆行していく。停滞の日々もあるだろう。

    史実ではないのに、リアルな血と肉を感じるラウリの生きた痕跡。その足跡をたどる旅にはまだ先に道が見えるようだった。

    デジタルネイティブと呼ばれる世代が誕生するほど、現代の私たちの生活は電子機器やそれに準ずるものであふれている。日本でもデジタル庁やマイナンバーカードなど触れることのできない空間に私たちの半身にあたるであろう物は漂うように保管されている。

    幼少期のラウリにはどこか発達障害的な傾向が見られたが、横並びの教育から大学、社会人ともなればその特殊性こそが強みになるということも感じた。

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著者プロフィール

1979年生まれ。小説家。著書に『盤上の夜』『ヨハネルブルグの天使たち』など多数。

「2020年 『最初のテロリスト カラコーゾフ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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