自分の父親が、育ての親啓造と夏枝の娘ルリ子を殺した犯人であることを知らされた陽子は、ルリ子が殺された川辺で睡眠薬を飲み、自殺を図る。
母親の意地悪にも耐え、明るく生きていこうと頑張っていた陽子が。
彼女自身は何の罪も犯していない。
でも彼女の遺書には、育ててくれたことへの感謝とともに、自分の中に罪を犯すかもしれない可能性があること、そのことを知ってしまった今、もう生きていくことはできないと書かれていた。そして、それが自分の中の氷点であると。
この小説は「原罪」がテーマとなっている。
原罪とは何か。
神から禁じられている知識の木の実を、蛇にそそのかされて食べたイブと、そのイブに勧められて食べたアダム。神は、命令に背いた二人に何が起こったのかを尋ねた。アダムは、神が造った女イブが自分に勧めたからだと言い、イブは、蛇から勧められたからだと言う。神は二人に質問をしたのではなく、自分が犯した罪を認め、悔い改める機会を与えたのだが、両人とも自分の非を認めずに終始責任転嫁を続けた。こうやって人間は、楽園から永久に追放される。
すべての人間は、生まれながらにしてこの罪を背負っている。イエス・キリストが十字架に磔になったことにより、その罪を贖ったとも言われている。
・・・原罪について調べたら、ざっとこのようなことが書かれていた。キリスト教にはいろんな宗派があるし、どれが正しい(そもそも正解不正解が存在するのか?)かは分からないが、陽子にとっては、人殺しの親から生まれたということが既に自分が背負っている罪なのだ。
色々な人間が犯した罪が描かれた小説だ。
誰かが犯した罪は、また他の誰かの罪を生む。人を憎むことによって、人を愛することによって、どちらにしてもそこから醜い感情は生まれ、罪は生まれ育っていくのだ。
一時は絶望的だとみられていた陽子の容態は、数日後に回復の兆しを見せる。
実は父親は殺人犯ではなく、陽子は不倫の上に生まれた子供だったことが分かる。それでも彼女はそのことについて、再び苦しむだろう。ましてや一度、自分の中にある氷点に気づいてしまったのだから。
この世に生まれて罪を犯していない人間などいない。わたしだってそうだ。でもそれは仕方がないことだと思ってきた。
それ以前に、罪を背負って人は皆この世に生まれてくるのか。
今はよく分からない。