- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061326866
作品紹介・あらすじ
臓器移植や遺伝子操作の実現は、人類に新たな可能性をつくり出したのと同時に、いったい人間の生命とは何なのか、どこからどこまでが自己なのか、本当の自己とはどこにあるのか等々の新しい問題をも生み出した。いうまでもなく、近代科学や科学技術は、その誕生の時からキリスト教の存在が深くかかわっている。本書では、理性と信仰の問題、科学的認識と宗教的認識の問題、科学とキリスト教の間の対立と矛盾の問題などを追究・解説しながら、現代科学の在り方を模索する。
感想・レビュー・書評
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児図研の講座で教えてもらった。すこーしだけ図書館についての言及がある。
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【推薦文】
科学と宗教は相容れないもの、両極にあるものだというイメージはありませんか?ところが歴史的にみると、西洋で生まれた自然科学を大いに発展させたガリレイやニュートン、ケプラー達はキリスト教徒でした。神によって創られた宇宙や自然の謎を読み解くことこそが人間の使命だと感じていたのです。その結果、宗教裁判にかけられたりするのは本当に皮肉ですが、真理を求めた科学者達が偉大な発見に至るまでの時代背景がわかる非常に面白い本です。
(推薦者:建築学専攻 D2)
【配架場所】
大岡山: B1F-文庫・新書 408/B/686 -
(2002.04.04読了)(2002.03.25購入)
ガリレイから現代まで
(「BOOK」データベースより)amazon
臓器移植や遺伝子操作の実現は、人類に新たな可能性をつくり出したのと同時に、いったい人間の生命とは何なのか、どこからどこまでが自己なのか、本当の自己とはどこにあるのか等々の新しい問題をも生み出した。いうまでもなく、近代科学や科学技術は、その誕生の時からキリスト教の存在が深くかかわっている。本書では、理性と信仰の問題、科学的認識と宗教的認識の問題、科学とキリスト教の間の対立と矛盾の問題などを追究・解説しながら、現代科学の在り方を模索する。 -
ガリレオの『偽金鑑定官』から引用がp.19にある。「宇宙という壮大な書物は・・・数学の言葉で書かれている」もうこれで集約されているといってよい。神の言葉として結果だけ受け入れるか、神の言葉を理解しようとするか、その違いであろうな。
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この本を読もうとした動機はなんだったかな。。。?
確かではないけど、50年後の未来はどうなっているんだろうということに漠然とした興味があって、
それには科学が必ず関わってくるわけで、まあその科学はそもそもどのように発展していったのかということを
知りたいと思ったんだと、思う。それでAmazonのレビューでこの本を薦めている人がいたから。
26の章から成っているんだけど、結構目から鱗といった感じの内容が多々あり、
例えば国によって、宇宙というものの捉え方が全く異なっている点。
キリスト教では、宇宙とそこに内在する全てのものは神が創造し支配しているという考え方であり、
こういう考え方があったからこそ科学者は、現象には全て秩序立った原理があるとし、それを解き明かすことで
神の御業の素晴らしさを人々に説き明かす、それが近代科学の発展をすすめたのであるとしている。
一方、東洋では自然の神秘を賞賛し、一体を感じ取ろうという接し方をしてきたため、自然を分析しようという
考えは生まれにくかったとしている。
こういうのって結局すべてのことに言えるような気がした。
つまり、環境・バックボーンが違えば、そこから発展する考え方や文化も当然のように変わってくるということ。
これって、言われると当たり前のような気がするけど、他者とか異文化を考える上で凄く大切な真理だと思う。
本の内容に戻りますが、この本は基本的に近代の科学者が、功績を残す上でどのように宗教が関わっていたのか、
(それは筆者はキリスト教であると指摘している)を説明している。
なるほど、と思えるところもあるのだが、若干強引な結びつけじゃない?と思うところもあったりなかったり、、。
たぶん筆者はキリスト教なのかな?と思ったりもした。
まあ、そういうところを勘案しても、本書は科学のこれまでの発展とこれからの発展に興味がある人には
良い本だと思います。
ちなみに筆者は、科学の暴走(つまり人を破滅に至らせるような)を防ぐには宗教的(キリスト教の教え)な
信仰を持つことでしか達せられないとしています。
2009-03-06 -
近代科学とキリスト教とは相対立するものである、とふつう一般には考えられている。アメリカのある州ではいまだに「宗教上の理由から」学校で進化論を教えることが禁じられている。人は猿から進化した(人と猿とは同じ祖先を有する)とする説は、神の創造説にあからさまに反するとみえるからである。とはいえ、ガリレオ、ニュートンに代表される近代科学が、ほかならぬキリスト教社会であるヨーロッパにおいてこそ(中国やイスラム、あるいは日本においてでなく)、発生したという事実は、キリスト教と近代科学とのあいだに(とにもかくにもその発生段階においては)何らかの正の関係を想定するに十分すぎる証拠だろう、というのがこの本の発想のもとになっている。科学史・科学論は、高校大学問わず受験国語で頻出の話題です。一般的に言われていることの逆・反対が実は正解、という構造は受験国語は好きなので、こういう一見奇怪な見解(実は学界では逆に「常識」らしいですが)にも目を通しておくのはよいと思います。
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一見「何の繋がりが?」と思うけど、実はキリスト教がなければ科学の発達もなかった。
と、これを読んだら納得するだろう。