- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061457225
作品紹介・あらすじ
●雑念を捨て去り、ひたすら精神を集中せよ。
●読む価値のないものは読むな。
●無意識の巨大な潜在能力を活用せよ。
●ことさらにレトリックを弄するな。
●オリジナル情報にできるだけ近づけ……。
新聞・雑誌・書物から個人や組織にいたるまで、多様なメディアが発信する膨大な情報を、いかに収集・整理・活用するか。情報の真偽を吟味・加工し、ゆたかな知的生産を行うには、何が必要か。ジャーナリズムの最前線で活躍をつづける著者が、体験から編みだした考え方と技法の数々を公開する。
情報の意味を読む。──コンピュータは自分が処理する情報の意味を知っている必要はない。インプットされた情報を数値化し、それを与えられた演算法則に従って計算し、その結果をアウトプットする。インプットされる情報とアウトプットされる情報の意味は、人間が解読するが、両者の間のプロセスは、意味抜きの演算である。それに対して、人間という情報系では、情報は常に意味付きでなければならない。人間の思考は意味と切り離すことができない。従って、インプット能力は、目や耳の生理的情報受容能力以上に、情報の意味を理解していく能力に左右されることになる。──本書より
感想・レビュー・書評
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『「知のソフトェア」』
立花隆
……だから私がこれから書くことも、個人的体験から得た個人的見識、私的なメモたらざるをえない。(p8)
読書論を含む、いわゆるhow to本は全てそうであるというのは当たり前過ぎて忘れがち。第一に留めておきたい
最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。むしろ精神集中訓練に役に立つのは、きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。(p15)
膨大な資料を読んできた著者の言葉だから重い。速読と精読が両立している。同じ側の認識であるのだ。
さて、インプットには二つの種類がある。アウトプットの目的が先行していて、その目的をみたすためのインプットであることがハッキリしている場合とである。〈アウトプット先行型〉と〈インプット先行型〉といってもよいだろうし、〈知的生産型〉と〈知的生活型〉といってもよいだろう。前者においては、インプットは手段である。後者においては、インプットそれ自体が目的である。(p16-17)
長く引用したが、なるほど自分はどちらだろうか? 読書論を中心に読んでいることは確実だが、ノート術のようなものも興味がある。
この二つのタイプのインプットをくらべると、目的先行型のほうが、無目的型よりはるかに倍率が高い。(p18)
著者はその差は10倍といっている。アウトプットの大切さは他の書物でも言われている。アウトプットありきのインプットでいたい。
……自分の残り時間をインプットとアウトプットの間でどう分配すべきかということをまず考えなければならない。アウトプットへの分配を多くすると、インプットへの分配がどんどん少なくなり両者の比は低下する。すなわちアウトプットの質が低下する。(p22)
アウトプットには時間が大変かかる。それを認識し、逆算し行動しなければならない。大切なこと!
実をいえば、私も若いときには、梅棹忠夫の“知的生産の技術“の京大式カードとか、川喜田二郎の“KJ法“とか、それに類したもろもろの知的プロセスの技術論をそれなりに読んでは影響を受けたのである。なるほどと思い、そいうことを多少は試してみた。しかし、カード作成はほんの数日もつづかなかった。時間がかかりすぎるので、バカらしくなってすぐにやめてしまったのである。(p150)
京大式は挫折。時間がかかりすぎるのを実感。KJ法は未試行。一種の慰めとして引用しておく。
……まるで何もなしで書くというのは、私の場合、普通ではない。普通は簡単なメモを事前に作る。メモには二つの目的がある、一つは手持ちの材料の心覚え。もう一つは、閃きの心覚えである。前者は事前に作り、後者は随時書きとめる。(p174)
メモについて。やはり即座に記録できるメモは有効的だろう。この章はもう少し詳しく解読したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ほかの本で紹介されていたので、読んでみた。
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名著だと思い、読み直したが、今となっては古過ぎでないか。
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古い本であるため、整理術的な部分は、現在では効率的ではないと思うが、考え方は現在でも通用する部分は多いと思う。そこだけでも価値があった。
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随分古い本なので、使える部分と使えない部分がある。
情報の整理が約半分くらいを占めるが、スマホやパソコンなど個人の情報処理手段が充実した今日では、ほぼ使えないノウハウに、なってしまっている。逆にアウトプットや文章表現の部分は今でも充分に通用する。
以下本文より
インプット量とアウトプット量の日は、小さければ小さいほど効率が良い。それは原材料がいかに無駄にならずに有効利用されたかを示す尺度だからである。しかし知的生産においては、この比率は大きければ大きいほど良い。この比率が大きいと言う事は、作品に詰め込まれた情報のベースが大きいことを示すのである。
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今から30年以上も前のためそのままでは応用できない箇所も多いが、それでも色々なヒントを得ることができる。いまだに版を重ねていることにうなずけた。筆者の『田中角栄研究』がコピー機によって可能になったとの指摘は、技術革新がジャーナリズムに与えた影響の一例として興味深い。
印象的なのは、入門書は1冊を3回読むよりも、3冊を1回読む方が3倍役に立つとの指摘である。世の中には1冊を3回(以上)読む方を勧める人も多いが、立花氏曰く、これだと狭い視野しかもてない、とのこと。どちらが良いかはにわかに判断がつかないが、たしかに立花氏の作品のスタイルは、3冊を1回読んでくるなかで作られてきた感じがする。 -
いわゆる「知的生産術」の本。文章を書いたり、情報を整理したりすることに最近興味が出てきたので読んでみた。
最初の方は、チューブファイルを使った切抜きの整理など、やや時代がかった方法論が展開されている。しかし、Evernoteなどを使って情報を整理するにしても、情報を整理するための原理原則は通用するだろう。情報の整理は自己目的化しやすいので警戒すること。自分だけのために整理すること、など。
他にも、東京に散在する各分野の専門書店の探し方。大型書店の巡回の仕方なども書かれている。しかし、この辺りは流石にAmazonが出てきた今、大きく方法論が新陳代謝しているだろう。
文章の書き方も書いてあったが、いい文章というのは文章読本などを読んで上手くなった試しは聞いたことがない、いい文章を楽しんで読めるかどうかでしかない、ということらしい。自分は、文章読本も買ってしまったが、一応読み比べてみたい。 -
本書は、立花隆版「知的生産の技術」といった感じの内容で、「知の巨人」とも言われる立花隆氏がいかに情報をインプットしそれをアウトプットするのかということを説明している本です。
前提としてその方法は人それぞれだが他人の経験を学び無益な試行錯誤を減らすことが有用だからという理由はあるのですが、著者のいわば飯の種であるにもかかわらず、惜しげもなく著者の方法を開示・説明している点はすごい。
紹介している方法もすごく参考になるし。
インプットの部分で説明しているのは、新聞雑誌の読み方・スクラップの仕方とか、入門書〜専門書の選び方とか、多岐にわたるインプットの仕方など。
アウトプットの部分で説明しているのは、コンテ型・閃きメモ型・材料メモの作成方法や文章表現を向上させるための訓練方法、留意点など。
とにかく他の知的生産本とあわせてまた再読したい、と思わせる内容でした。
なお、「最後にもう一度述べておくが、本書の内容を一言で要約すれば、『自分で自分の方法論を早く発見しなさい』ということである。本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。」と正直身も蓋もない。 -
参考になった
前原政之さんから。
これは名著。知的生活の方法とならぶ。一見ふつうの内容に思はれるかもしれない。しかし知的生活について書いた入門書が多いなかで、たいていはこの水準に達してゐないのだ。だからこの本は貴重である。
多少古い部分はあるものの、それらは枝葉であって、根本は現在も十分有用だ。