「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061491502

感想・レビュー・書評

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  • [ 内容 ]
    資本主義の駆動力は何なのか。
    ゆたかさの果て、新たなフロンティアはどに求められるのか。
    差異・距離が生み出す人間の「欲望」の観点から、エンドレスな拡張運動の文明論的、歴史的な意味を探る。

    [ 目次 ]
    ●資本主義という拡張運動
     過剰の処理としての資本主義
     「欲望」についての考察
    ●「外」へ向かう資本主義
     産業革命とは何だったのか
    ●「内」へ向かう資本主義
     20世紀アメリカが生みだした資本主義
    ●ナルシシズムの資本主義
     モノの意味の変容
     欲望のフロンティアのゆきづまり
    ●消費資本主義の病理
     「ネオフィリア」の資本主義

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    [ 参考となる書評 ]

  • 1993年発行でそれから17年経つけれども色褪せないのは、欲望を軸においた資本主義論だから。ウォーラースタイン的な世界史観から行くと、水野和夫氏の著書と並べて読むと面白そうだ。

    オーソドックスな経済学が構築してきたデカルト的な資本主義の見方から、欲望という人間らしさを軸とした有機的な見方へと、うまく読書を連れて行ってくれる。

    また、外への拡張から内への拡張という欲望の話も面白かった。19世紀の帝国主義から20世紀のアメリカ型消費者主導社会へという動き。本書では触れられなかったがその後のアメリカ文化輸出型、ブレトンウッズ体制崩壊後の金融資本主義、という内から外への動きも興味深い。

    それが崩壊した今、次なる動きは内向きか?今の流行りで行くと「正義」の消費か?

  • 資本主義の本質を「欲望の拡張」と位置付けた本書。書かれたのが90年代前半だけあって、メディアの役割については「トレンディ」的なものを重視しすぎている感はあるが、70年代までの資本主義については上手く総括しているのではないかと思う。佐伯啓思の新書はどれも非常に読みごたえがあるので、お勧めです。

  • 資本主義を、資本家や労働者からではなく、消費者の欲望という観点から考える。
    ウェーバーやマルクスも面白いけど、ゾンバルトやシュンペーターなんかも面白いね。

  • (2007.11.02読了)(2007.10.22購入)
    副題「終りなき拡張の論理」
    人違いで読んでしまいました。今村仁司さんのつもりだったのです。
    レビューを書こうとするまで気がつきませんでした。
    でも、結構刺激的な本でした。政治・経済方面の本はあまり読まないので、聞きなれない用語があれこれ出てきて、大変でしたが、ものの見方が僕好みのところがあり、楽しく読めました。

    ●本書の主題(8頁)
    今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で、「資本主義」という概念をどのように理解すればよイの蚊、そしてそれは文明論敵、歴史的に見ればどのような意味を持つのか、それが本書の主題なのである。
    ●競争とは(56頁)
    経済学者は、競争的市場は優れているというのだが、奇妙なことに、「競争」とは何か、ということについては、ほとんどちゃんとした議論をしていないのである。
    ●市場は一種のゲーム(58頁)
    アメリカの考え方からすると、市場は一種のゲームのようなものである。それは、個々人が一定のルールのもとで競争し、自分の能力を発揮し、運を試し、最大限に人生を成功させる可能性を持ったゲームなのである。だからこのゲームは、個人主義を前提にするし、こうした個人の活動の機会の平等をゲームのルールにする。
    ●マルクスの資本主義(62頁)
    マルクスが描いた資本主義とは、端的に言えば、資本家が貨幣を資本として投下し、余剰価値を実現し、再び資本として投下するというプロセスに他ならない。
    株式市場の整備と大衆化によって、企業の名目上の所有者である株主と、その実際上の運営に当たる経営者とは、まったく分離してくる。資本家は単なる株主、しかもその多くは労働者も含んだ大衆投資家に過ぎなくなる。(64頁)
    二十世紀の資本主義のもう一つの大きな特徴は、消費という概念あるいは消費者というものを無視することができなくなってしまった。(65頁)
    ●「市場経済」と「資本主義」(72頁)
    「市場経済」とは、概して市場のメカニズムに従ってモノやサーヴィスが交換される世界である。だからそこではある程度の競争が作用して価格メカニズムが働く。
    「資本主義」とは、とりあえず、企業が、絶えず、新たな利潤を求めて、蓄積した資本を積極的に投資し、しかもそのことが経済社会全体の物質的な富の拡大に決定的な重要性をもっているような活動だと理解しておこう。
    ●資本主義(80頁)
    資本主義とは、無限に拡大を続けるほかない運動なのである。
    「過剰」は労働者の過剰、つまり失業という形で現れる。過剰をなくすには、貯蓄を減らすこと、貯蓄を減らすことは消費を増やすことである。
    資本主義とは、人間の欲望を開拓し、過剰なモノの形を与えてゆく運動である。
    ●欲望とは(87頁)
    いつでも手に入るものには人は別に「欲望」を感じない。手に入れがたいから「欲望」を感じるのであり、そこに「価値」が発生する。
    ●資本主義の始まりは海賊(100頁)
    ゾンバルトによると、ジェノヴァの貿易を代表するマオナ社はよくできた「海賊団体」であったし、16,17世紀の大商人も、たとえばオランダ西インド会社のように、強奪、略奪から利益を得ていた。
    ●商業はイスラム圏が先行していた(101頁)
    われわれは大規模な商業活動はヨーロッパから始まり、商業の先進地帯ヨーロッパが産業革命を起こしたと考えがちである。
    しかし、これは事実に反する。少なくとも中世から近世の初めにかけて、経済の先進性はイスラム圏やインドから東南アジア、中国沿岸にあったのである。
    15世紀の後半から、ヨーロッパの商人はイスラム商人を中心とした交易圏に参入をはかった。ヨーロッパの商人たちは、イスラム商人や中国商人たちから利権を奪うために、時として海賊まがいの略奪をすることにもなったし、大遠征のリスクを負わなければならなかった。
    ●アメリカ人の幸福(152頁)
    19世紀の前半にアメリカを視察にやってきたフランスの思想家トクヴィルは、「物質的幸福を追求することが国民すべての気風になっている」ことに襲撃を受けている。
    ●大衆社会(159頁)
    モノによってしか、自分をアイデンティファイできないのが現代の大衆なのである。自動車、ファッション、住宅といったものに託して自分を他人の眼差しにさらし、そのことによって自分を認定してもらう、このようにしてしかセルフ・アイデンティティを確認できないのが大衆社会なのだ。
    (現代日本の状況は、「豊かさの精神病理」大平健著、岩波新書、を読むとよく分かります。)
    ●資本主義はどこへ(190頁)
    19世紀の半ば頃、まだイギリスで功利主義と呼ばれる哲学が効力を持っていた頃なら、経済の発展は人間の幸福の総量を増加させるから、と答えることができたかもしれない。しかし、現代人はもうこうした説明では満足できない。人間の幸福が物質的なものの増大によって高まるなどと、現代人はもう簡単に考えるわけにはいかない。
    ●バブル経済(198頁)
    資金を借り入れて短期的に運用して利益を上げるという経済
    「金儲けができる機会があるのにそれを見逃すのは愚か者である」フリードマン(204頁)
    ●資本主義はどこへ(207頁)
    資本主義の運動が社会を覆えば覆うほど、社会は伝統破壊的であり、習慣や落ち着いた生活を打ち壊されてゆく。

    著者 佐伯 啓思(さえき けいし)
    1949年 奈良県生まれ
    東京大学大学院経済学研究科博士課程修了
    京都大学人間・環境学研究科教授
    専攻は社会経済学、経済思想史
    1985年、『隠された思考』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、
    1993年、『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ、東畑記念賞)、
    1996年、『現代日本のリベラリズム』(講談社、読売論壇賞)
    (2007年11月5日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    資本主義の駆動力は何なのか。ゆたかさの果て、新たなフロンティアはどこに求められるのか。差異・距離が生み出す人間の「欲望」の観点から、エンドレスな拡張運動の文明論的、歴史的な意味を探る。

  • 「資本主義はニヒリズムか」の中で紹介されていた本作品を読んでみた。今日のこの高度に情報化し、グローバル化した社会で「資本主義」という概念をどのように理解すればよいのか、そして文明論的に、歴史的にみればどのような意味をもつのかを問う作品である。
    第1章が、社会主義はなぜ崩壊したのかということで、「効率的」は自明的なことかを問いながらも、社会主義が欠けていたものを論証している。
    第2章は、80年代と日本の成功について、理念なきテクノロジズム、歪んだ資本主義?としながらも、消費資本主義を誕生させたということで総括している。
    第3章は資本主義という拡張運動ということで、ブローデルの三層理論、バタイユの発想、ジンメルの欲望論などを参照しながら、その時代時代の資本主義の変遷を語っている。
    第4章は、「外」へ向かう資本主義ということで、ゾンバルトの説、産業革命とは何だったのかとして、それ以前のアジア・イスラムの商業活動に言及している。
    第5章は「内」へ向かう資本主義として、20世紀アメリカが生み出した資本主義について分析を行った。
    第6章はナルシズムの資本主義として、欲望のフロンティアのゆきづまり、浮遊する好奇心、情報資本主義における消費者といういままでになかったタイプの資本主義の到来について語っている。
    第7章は、消費資本主義の病理で締めくくっている。ゆたかさの果てに、つまり、「成功するがゆえに没落する」資本主義について、シュンペーター、マルクス、ケインズらの予言を紹介している。
    最後に、著者は以下のように締めくくった。
    モノはほんらい、技術だけではなく文化の産物でもある。経済活動自体が、ほんらいは広い意味で文化という土壌と不可分なのである。今世紀の産業主義は、それを技術の次元に還元し、文化から切り離そうとした。いま限界にきているのはそうした今世紀の産業主義である。だが、その限界地点で、ようやく、欲望を産業技術のフロンティアの奴隷にすることから解放されようとしているのではないだろうか。欲望を文化的なイマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになってきたのではないだろうか。わたしはといえば、やはりこの可能性にかけてみたいのである。

  • 資本主義シリーズで佐伯つながり

    三浦雅士と食い違っていた部分を本書にて確認
    資本主義的傾向が本来的に人類史にあったんだろうなという疑問は、分かった。
    さて次はどうなる?

  • 資本主義を「欲望」という観点から捉えて説明している。

    社会主義と資本主義の違いというと、「競争があるかないか」の違いだと漠然と考えていた。
    だけどそこに「消費者」が入っているかという違いでもある。
    社会主義は、国が生産量・価格を決めるもので、そこに消費者の「欲望」は入ってないんだよね…
    これに対して資本主義は、消費者の「欲望」がなければ成り立たない。
    フォード生産方式と、トヨタのカンバン方式の違い(効率を重視か消費者重視か)、そこからトヨタがマーケティング部門に力を入れるようになったのだとか。

    あと「欲望」というと、「無限」のものってイメージがあるけど、この本では逆に「過剰」ってとらえているのも印象的だった!
    生き残るための最低限の欲望と、その他不必要(?)な欲望に分けて。
    いかにして、「過剰」な欲望を引き出すか。

    興味深かった…!!



    社会主義・マーケティングについてももっと知りたくなりました

  • 欲望と資本主義の共鳴。

  • 主に資本主義の歴史についてかいてあります。
    「資本主義はその成功のために没落する」ってゆう言葉を聞いて思い当たりました。
    それで日本こんな不自然なんですね。

    あと、投機マネーのせいで石油が高いとかなんとかゆうてますが、
    資本主義の恩恵にあやかっている限りそんなことを言う資格はありません。

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著者プロフィール

経済学者、京都大学大学院教授

「2011年 『大澤真幸THINKING「O」第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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