- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061497498
感想・レビュー・書評
-
新書でここまで扱っているのは魅力。人間は本当の意味で自由になりえるのか??
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なぜかamazonで検索しても出てこなかった。
京都大学での講義をまとめたもの。
自由意志と決定論という理系的な文脈でしか自由についての議論を読んだ事がほとんどなかったけど、この本でおぼろげにしか理解していなかった人文系の自由に関する考えに触れれてよかった。 -
自由とは何か。責任とは何か。
イラク人質事件などの話をもとに「自由」「責任」「国家」などについて考察。 -
「今、あなたは自由ですか?」と聞いたら、多くの人が「多少のしがらみはあるものの、概ね自由だ」と答えるだろう。この本のような「自由」とは何かを論ずる本は巷に溢れているが、どれもいま一つリアリティを持って立ち現れていない。それは恐らく、筆者の言う消極的自由という概念がいまいち認識されにくいからではないかと思う。結局のところ、公共空間での話を個人レベルにまで落とそうとするから無理が生じるのだと思うのだが。でかい枠組みで捉える分には構わないが、それをどこまで敷衍できるかというと、疑問
-
自由という言葉は、私個人にとっては、どちらかというと嫌いな言葉である。
過度に自由が抑圧されているという事であれば、自由に価値を見出すのは理解はできる。しかし、そうではないということなら奇妙な感じがする。それは思うに、自由以外に価値を感じる事ができなくなったのではないか、などと私は勘ぐってしまう。
佐伯氏はイラク人質事件の事を引き合いに出し、自己責任について語る。そしてその事件から、その個人の自由は政府、国家によって支えているということになる、と述べる。
どういうことかと私なりに説明すると、たとえ個人の自由意志だからといって異国の地に銃弾が飛び交う危険地帯に侵入しても、それを自己責任だからという理由だけで国家が放置してはならないという道義的な理由が生じる、という事だ。
「自己責任」といっても、必ずしも「自己のみ責任」にとどまるというわけでは無いわけだ。自己責任といっても、とある何かに波及していく。
自由によって秩序が支えられている面もあるのだろう。だが、一方では自由によって秩序が脅かされる一面もありうる。そのように考えれば、個人に自由をどこまでも委ねる事はできないであろう。
ホッブズは契約論において、自然状態において人間は無制約に自由であり、社会状態では人間は権力に服する限りで自由な活動ができる。そのような事を言ったのだという。
だがこの場合はどうなるかといえば、人間は私的利益を求め、公的事項に携わらなくなる。だからそれでは、個人の自由による弊害が生じ、「国家の論理」と「個人の論理」の対立が生じる。そうならないために、佐伯氏は「公のために何かしなければならない、というエートスがどうしても必要となる」のだという。
本書は「自由とは何か」と題される。自由というものを考える上で、参考になる本だと思う。