やがて哀しき外国語

著者 :
  • 講談社
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感想 : 69
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062068000

作品紹介・あらすじ

村上春樹の魅力の世界。プリンストン通信。久々の長篇エッセイ。アメリカより愛をこめて。

感想・レビュー・書評

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  • サウナに入って
    すっきり?する事を
    「ととのう」と表現する
    ...らしいけど
    村上春樹さんの
    エッセイや短編を読むと
    「ととのう」感じがする
    色んな書き手の
    文章や文体があるなかで
    1番分かりやすくて
    すっきりするからなのかなと
    思ったりする

    ブックオフにて購入

  • お恥ずかしいことに、村上春樹さんがそんな暮らしをしていたとは、全く知らず、小説を読むだけでは知ることのなかった、色々なことを知ることが出来ました。

  • 今も昔も村上春樹の考えはぶれてはいない。でもこの時期の村上春樹は「揺れている」。それは国のことかもしれないし、仕事のことかもしれない、ルーツかもしれないし、床屋のことかもしれない。
    その前の「遠い太鼓」は旅行記として秀逸だった。流れる旅人となってヨーロッパを楽しむこと(もちろん不愉快なことも)村上春樹というフィルターを通して全て受け入れていた。冬のギリシャ以外は。
    この「やがて悲しき外国語」は、2年半のアメリカ滞在(そのあとはマサチューセッツに引越し)の中のより深い文化の交わりの接点におけて揺れる彼自身が深く思考することにより表層に浮き出てくる思いが連なっている。良いも悪いも綺麗も汚いも美しいも醜いも、たとえ文学を通じて知っていたアメリカでさえも異邦人として、全て同じテーブルに載せられた時に、どちらのことも考えることの可能性を広げる。ある意味平等性をもって判断する価値観(あくまでもこの時点ではどちら側に着くかは決めることはしないようにしているような気がする)が養われているような気がする。
    この後のエッセイは、よりソフィストケートされて、読みやすく分かりやすく、どちらかの立場に著者は立って記述するのであるけれども、その前段階をみると彼も人なんだなぁとちょっと安心したりする。

  • 海外で生活するというのは想像がつかない。もっとも住みたいと思わないが。英語を流暢に話す姿を夢想するが、習得したいという欲求はい。自分のことすら日本語で満足に話せないのに、外国語をべらべら話せるようになれるとは思わない、という箇所に納得した。なるべくなら日本語だけで生きて生きたいが、そうもいかない。パソコンの関係で英語を目にするだけでうんざりする。

  • 村上春樹さんがプリンストン大学にいた頃、私も場所は違えど、アメリカの大学に居たので勝手な親近感が湧く。そしてアメリカあるあるの話が本当に面白かった。特に美容院・床屋難民事情。綿棒2本渡された時の様子が想像できて笑えた。 村上さんのアメリカでの生活を知れとても楽しかったし、言葉を紡ぐ人の頭の中を少しだけ垣間見れて嬉しかった。

  •  あらゆる言語は基本的に等価である。
     母国語を美しいと感じ近隣の国の言葉を美しくないと感じることとは全く相反しているようですが、皆がみな同じことを感じるのであればこの言葉はまさに真実でしょう。
     その言葉でしか言い表せない事柄があって、母国語にはその言葉がないとき、翻訳者はきっと途方に暮れることになります。あるいはその事柄をその土地の人と等価なものとして感じることさえできていないのかもしれません。題名がこのことを言っているのかどうかがわかりませんが、なんだか良い題名だと思いました。
     君は君、我は我也。されど仲よき。

  • 淡々とした文章で読み心地が良かったです。

  • 村上春樹の書くものに憧れていた頃が私にはある。それは「これなら私にも書ける」と思えたからで、つまり書き手として村上春樹を低く見ていたからできた蛮勇でもある。だが、今になってこの本を読み返すと侮れない知性と批評眼を備えていて、それが「一見すると」鋭利に他人を傷つけるかたちとして現れ得ないことに気づく。つまり「一見すると」毒がなさそうで、その奥には確かな切れ味のナイフを潜ませている。ここに収められたジャズやアルトマンの映画、小説論や文化論を「今」読むと、流石に古びている感もあるが「今」なおアクチュアルと思える

  • 大雨とウイルスの蔓延で外に出られない夏の午後、巷で再評価されている80年代シティポップをBGMにして1994年に上梓されたエッセイを貪り読む。

    1990年前後の世界像とか村上春樹個人の想いとか、空気感とか、いま読むからこそ感慨深く感じるものがある。村上龍との差異とか、COACHの位置とか。「ヒエラルキーの風景」で語られていた〈共通一次男〉はあれから30年経ってもまだ日本に巣食っているし。

    最後の「さらばプリンストン」は珍しく文学研究の匂いを醸し出していて面白かった。しかし一方で、いま誰が「第三の新人」を読んでいるだろうか、と寂しさにも似た冷笑を浮かべたくもなる。山下達郎や大貫妙子のリバイバルみたいに、吉行淳之介や小島信夫が再注目される日は来るのだろうか。アルトマンの『short cuts』は観ようかしらん、と思った。

  • 1994年3月18日 第二刷
    エッセイ 再読はしないな

  • 1990年代初めのアメリカ・プリンストン在住時のエッセイ集。話題は小説、街、ジャズ、車、映画、外国語など。各界著名人や当時のアメリカ社会の裏話など、うなずきながら楽しく読了!

  • ゆっくり、ふ〜んと読むのがいいと思う。
    何も考えずにアメリカの田舎町を旅行できる。
    突出して面白い箇所はなかったが、読んでいる内に何故か活力が芽生え部屋の掃除をした。そしたら溜まっていた不満や蟠りが浄化された。この本が関係あるのかは知らないが、この本を読んだときに何かのきっかけで自分は少し救われた気がする。だから少しこの本を大切にしようと思う。

  • アメリカ、プリンストンで村上さんが暮らしたときの話。

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    NBAを小学生のころから観ていてよかったな、と思うのはこういうときだ。村上さんはプリンストンに暮らしながら、フィラデルフィアに行ったり、ボストンやらニューヨークに車で向かったりする。それを読んだとき、アメリカの都市の位置関係が頭に入っているから、なるほどね、とわかる自分がいる。村上さんはけっこうロングドライブできる人みたいだ。やれやれ、とか言いながらハンドルを握っているのかな。

    ジャズを聴いておけばよかったな、と思うときもある。村上さんの本(主にエッセイ)にはジャズ関連の話題がわんさか出てくる。この本でも何度も取り上げられていたが、自分にはちんぷんかんぷんだった。ルイ・アームストロングと山下洋輔くらいしかわからない。こういう話題に対して、なるほどね、と感じる人はかっこいい。

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    『ミッドナイト・イン・パリ』という映画を先日DVDで観たばかりだったので、フィッツジェラルド夫妻の話題になったときには嬉しかった。やはり自分がわかるテーマの話は面白く感じてしまう。

  • 図書館で借りてきた。

    面白かった。書籍のタイトルになっている文章は、特に、自分のいま考えようと思っているところの契機になりそうなので、抜き書きをWFにしてみた。

    「大学村スノビズムの興亡」P41より引用
    <blockquote>でも「これはコレクト、これはインコレクト」という風に考えて暮らしている生活も、考えようによってはなかなか悪くないものである。とくに日本みたいな「何でもあり」という仁義なき流動社会から来ると、かえってほっとする部分もなきにしもあらずである。余計なことを考えずにとにかく細かい部分をコレクトに揃えておけば、それですんでしまうわけだから。とにかく『NYタイムズ』を購読しておけばいい、とにかく『ニューヨーカー』を取っておけばいい(まわりを見ていると取ってるだけで読んでいない人が多いようだ)、とにかくオペラを聴いておけばいい、とにかくガルシア・マルケスとイシグロとエイミー・タンを読んでおけばいい、とにかくギネス・ビールを飲んでおけばいい。でも日本ではそう簡単にはいかない。たとえばオペラなんて流行じゃないよ、今はもう歌舞伎だよ、という風にどうしてもなってしまう。情報が咀嚼に先行し、感覚が認識に先行し、批評が創造に先行している。それが悪いとは言わないけれど、正直言って疲れる。僕はそういう先端的波乗り競争にはもともとあまり関わってこなかった人間だけれど、でもそういう風に神経症的に生きている人々の姿を遠くから見ているだけでもけっこう疲れる。これはまったくのところ文化的焼き畑農業である。みんなで寄ってたかってひとつの畑を焼き尽くすと次の畑に行く。あとにはしばらく草も生えない。本来なら豊かで自然な創造的才能を持っているはずの創作者が、時間をかけてゆっくりと自分の創作システムの足元を掘り下げて行かなくてはならないはずの人間が、焼かれずに生き残るということだけを念頭に置いて、あるいはただ単に傍目によく映ることだけを考えて活動し生きていかなくてはならない。これを文化的消耗と言わずしていったいなんと言えばいいのか。</blockquote>

  • 同じエッセイとは言っても「村上朝日堂」シリーズにくらべてやはりアメリカ(と、そこからみた日本)という国の文化論に近いところがある。文体も比較的まじめだし・・・。アメリカでの生活が作者のものの考え方などに結構影響を及ぼしているなあ、というのがよくわかる。

  • この作家は鋭い観察力を持っているし、視覚で得たものを文字に置換する能力にも長けていると思う。アメリカ社会で生活している私の、日々感じる事がまさに代弁されているような書だった。

  • 久しぶりに読もうかなと思ってふと奥付を見たら、1994年第一刷とある。なんとまあ20年以上前ではないか。驚愕。わりに最近のエッセイだと思ってたのに。

    村上春樹がプリンストンで教えていた頃のことが中心。当然のことではあるけれど、アメリカの状況もずいぶん変わったものだなあと慨嘆する。この頃のアメリカって、いろいろ問題はあるにしろ、自信と活気に満ちている感じだ。今やあんな大統領を選んじゃうほどだものなあ。

    日常生活のことがすごく詳しく書いてあるというわけではないのに、海外で暮らすということがリアルな実感をもって伝わってくるのが、村上春樹の文章の力。これはつくづくたいしたものだと思う。

    あと、ウンウンまったくそうだと深く納得したのが、ある程度年齢を重ねると、外国語(会話)習得にかける時間が惜しくなるという話。いや本当にそう思う。他にもっとすることがあるはずだ。流暢にしゃべることができるからって、それがなんぼのもんやねん。

  • 途中で文体が変わる。後半はいつもの先生。最初2編は明らかに堅い。この時期がちょうどグラデション時期だったのだなと推測。外国にあってもつねに日本を意識して威高くならないところが好感の秘訣。この辺が龍センセと違って。

  • 日本を離れて海外で生活すると気づくことーそんなことをまとめたエッセイ。



    印象に残ったもの(断片的に)


    そんなに勉強する方ではなかった。
    勉強しなかったからといって困ったことはなかった。(周りにはしないと困るとは言われたが)
    英語はもともと原書で読んでいた。
    国語も本を読むから、まぁまぁ。
    世界史は本を20回くらい読んでいたので、頭に入っていた。

    →これは結果論としての戦術なのかもしれないが、こうして、流れに身をまかせるとうまくいくこともあるんだなぁと思った。


    アメリカと日本のマラソンの違い
    →アメリカの方がフランク。


    アメリカで専業主婦は納得の出来ない答え

  • 村上春樹の作品は何冊か読んだが、はっきり言って僕にはピンとこなかった。だが、このエッセイは面白い。書かれた当時の時代の空気みたいなものがよく伝わってくる。今となっては歴史的な記述もあるが、それはそれとして楽しめる。村上作品がどの辺で評価されているかほんの少しだがわかった気がする。

  • 20年以上前の渡米した頃の数々のエピソードが楽しく、あっという間に読み終えた。小説はあまり好きじゃなかったけど、読み易く、大作家なのにとても謙虚に普通な感覚で生活していて驚いた。

  • 旅行記。うふーん、そうですか、という感想しかない

  • すっかり村上春樹エッセイのファンに。小説も好きだけど。プリンストン時代のことが色々分かって面白かった。翻訳に生かすために、スペイン語を勉強していたことも知ってびっくり。

  • 「僕は日が暮れてから働いたり勉強したりするのはあまり好きではない」
    ・・・ぐっときた。

  • 若干シニカルな内容だなぁ、という印象。
    時代が違いすぎるのかもしれない。
    パソコンの普及し始めの様子や、COACHの知名度の認識のずれなど
    それはそれとして楽しめましたが・・

    飄々とご自身のスタイルを貫く氏のブレなさ具合は今も変わらない気がします。

  • 1990年ぐらいのアメリカ滞在期中に著者が感じたことが書いてあります。
    ワリと難しいことが前半に書いてあって、後半は日常的雰囲気が書いてあるような……気がする。というわけでムラカミだらだらエッセイを好む人は後半がノリが好きかもしれない(たぶん)。
    しかし当時の(今は知らない)アメリカもアメリカでものすごくめんどくさい国なんですね。白黒はっきりつけたがりすぎじゃねえかと……(全員がそういうわけじゃないんだろうけどさ)。

  • 2年半に渡るプリンストン大での滞在記。
    読んだ気でいたけれど読んでいなかった。でもこのタイミング(英語やアメリカでの暮らしに関心がある)に読めて正解だった。村上春樹は小説よりエッセイの方が当たり外れが少ない。なんというかマトモ。

  • 2013.5.31

  • 1991年から2年半の間プリンストン大学に滞在中に著したエッセイ集。
    2作の長編小説を書き上げながら、異文化に囲まれて日常生活を送る中で感じた日本、日本人であることの違和感を軽妙にそして生々と綴った好著。

    ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/NP09404353

  • 2012/10/28 読了

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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