- Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062178129
感想・レビュー・書評
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高校の時に読んだ梅原猛の法隆寺の本を思い出した。隠された十字架、だっけな。
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<閲覧スタッフより>
土地の様相に着目して、生駒山から大阪湾へ抜けていく「東西」の軸を重要視し、大阪という都市がどのように創られ、文化や生活はどのような変貌をとげたのかを新たな視点でひも解きます。知っている地名がたくさん出てくるのでイメージを捉えやすいのでは。大阪の歴史の深さを感じながら、改めて大阪を歩いてみませんか。
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所在記号:216.3||ナカ
資料番号:10216602
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東京編が先なのか。未読なのでちょいちょい前提がわからず。
まずアースダイバーって意味がわからんw
今度読みたいです。
ソースは??みたいなのが多すぎて理由無く、だから、であるって飛躍した結論ばかりで納得いかない記述がしばしば。
独特の用語?アポロン軸とデュオニソス軸??なぜ経度線緯度線ではだめなのか‥‥使うならそれなりの理由を書いといてほしい。それがないから混乱する。
文章が独りよがりな良くも悪くもサブカル本
無縁こそ商売の原理。わかるようなわからんような。 -
タイムマシンに乗って数千年前から数百年前の大阪に行ってドローンから空撮した映像を見ている気分になる本。アースダイバーというよりバードビューアーか。学問的な裏付けがあるかどうかはともかく、人間の生活・移動の観点から大局的に分析して推論を組み立てていて、とても面白い。
この本を読み始めたことで、この週末に生駒山と摩耶山の両方に登り、大阪平野を東西それぞれから眺める機会を作れた。 -
五割も理解できなかったけれど、大阪の本質が少しわかる気がする。
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大阪の街の成り立ちがよくわかります。
人類学的な立場から大阪の歴史を学べて面白かったです。 -
大阪の民俗学と観光ガイドを足したような内容です。大阪に住んでいながら、ほとんど気にしたことがなかった大阪形成の本質を独特な観点で暴露していく内容で、読みやすさもあって楽しめました。
学術的にはどこまでがどうなのかは分かりませんが、人とのつながりを重視する土着の文化と、朝鮮半島から渡ってきた海民がそのような縁に縛られることなく形成した商業都市とが入り混じって今の大阪に発展したという説は、面白い視点でした。
地名は知っているが、そこに含まれる意味、各地にのこる神社の由来など、大阪人をくすぐるマニアックなガイドのような内容でもあります。
岸和田などで有名なだんじりは昔の海民による捕鯨の名残だという話が特に印象深かったです。山車をクジラとみたてて、それを追い込む漁師。発射装置で銛を打ち込むのではなく、鯨と人間の命をかけた勝負のイメージとだんじりの動きのイメージが重なるというのです。海民の文化がそういった形で今も受け継がれているとして大阪の歴史を見直すとたしかに面白いかもしれません。
近年の大阪の開発はどうも大阪らしくなくてあまり好きではないのですが、こうしてグローバル化の前に、日本国内自体が画一なものになっていくと、ますます形だけが残って、そこに込められている歴史的な意味合いがどんどん忘れられていくのでしょうね。それは大阪のもつパワーの減退を意味するようにも思えます。数十年後に大阪のおばちゃんがいなくなってしまうことがあり得るかもしれない? -
大阪という土地がどのようにして出来上がり、そこにどんな人が住み着いて大阪という場所を作り上げたかと言う非常に興味深い試みなのだが、中沢氏の妄想やこじつけが不協和音のように感じられてしまい話には入り込めなかったのが残念。それと時代ごとの地図があればもっと親切なのだが文章に現れる地形と実際の地形の感覚が少しずれて感じた。
古代の大阪は河内湾という内海で、大和川の沖積平野が次第に出来上がって弥生人が稲作を始めた。河内湖は南から大和川、北からは淀川に運ばれる土砂で徐々に埋められていき、今の御堂筋界隈は淀川河口に堆積したいくつもの洲が生まれてきたところで、ナニワの街ができるのはだいぶ後になる。渡来人や海民は住吉のあたりから大阪平野に入り住み着いた。大阪のルーツの一つは古くから西の海からやってきていたことになる。朝鮮半島の伽耶国の文化圏の東の端が大阪だったらしい。
天皇家が八尾に本拠地を持つ弥生人の末裔物部氏を下して権力の座につき当時は岬の突端であった上町台地の北端、今の大阪城の当たりに難波宮を築き上げた。その後に石山本願寺、大阪城と変わっていっても大阪の権力の象徴は常にここにあり続ける。一方の大阪の古代からの象徴は四天王寺で排仏派の物部氏を破る誓願を守って聖徳太子が建立した。上町台地の上に立つ仏塔は当時であればかなり遠くから見える仏教文化の象徴でもあり、悲田院は日本で最初にできた福祉施設でもある。ついでながら世界最古の企業である金剛組は渡来人の技術者集団が元なのだが今では日本企業のシンボルのように扱われているあたりやはり海外文化を取り込むのはこのころからの伝統なのか。
権力の象徴である大阪城に対し、商人の街ナニワは淀川下流の堆積により生まれた八十島を中心に発達していく。中之島、福島、堂島など全て砂州が島になった土地で、梅田は埋田で江戸時代は湿地帯だった。大江山の酒呑童子退治の渡辺綱の出身も天神橋のあたりで平安期には渡辺氏の系統を遡ると新羅からの渡来人で後に水軍を持つ武士団としてナニワの地に渡辺津という最大の港を拠点としたが秀吉に追い出されて歴史の部隊から消えていく。ナニワの商人が隆盛するのは江戸時代になってからのことである。共同体を作ったムラ社会と違い、自治による商人の街は堺とナニワは自由都市に近い成り立ちで日本の歴史上ほぼこの二つしか目立つ物がない。中沢氏は「無縁」が商品や商人の本質と捉えているが、結論ではなぜか新自由主義的グローバリズムが大阪の空洞化を加速すると嘆いている。海民や渡来人をルーツに持つ商人の街ならば、昔から日本のグローバリズムの中心だったという方が素直なのだが。大阪は中沢氏が似ているというパリではなく、商業港湾都市ジェノバじゃないのか?アジアの街で一番違和感がないのは大阪のオバチャンだと常々思っている。
「無縁」が生み出したもう一つの大阪の特徴がお笑いだ。道頓堀から法善寺ができたころ千日前は墓場だった。刑場があり法善寺(千日寺)に向かう通りが千日前になったのだ。ここも無縁の庶民の街で芸能が生まれていく。芸能のルーツは神事であり、また河原者の無縁の人達でもある。墓場の跡地には人は住まず、見世物小屋や遊郭などが出来、今の繁華街へと生まれ変わる。中沢氏は生と死とエロの話が好きらしく、ラブホテル街の成り立ちにまで1章を裂いている。新世界も元はと言えば上町台地の下の荒陵という荒地でこちらの墓地の跡地も後に飛田遊郭に生まれ変わった。
個人的に一番興味を覚えたのがこの本で何度も出てくる俊徳丸の物語で高安から四天王寺へいく道が俊徳街道として今も姿を留めている。難波宮から飛鳥へ向かう十三街道は一部をこの俊徳道と共有し、暗峠を超える奈良街道と並んで古代の主要街道だったのだがこの奈良街道と俊徳道の合流点が実家のすぐ近くだというのが俊徳丸の話を調べているとわかったのだ。アースダイバーの影響を受けたらしい人が俊徳街道を歩き、地図までつけてくれている。小学校の通学路の細い道なのだが。ほんまかいな?
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