- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062585446
作品紹介・あらすじ
「世俗化」=「近代化」「イスラム」=「反動」では、ない。「共和国トルコの父」ケマル・アタテュルクによって否定されたはずのイスラムは、なぜその後も長く生き残ったのか。幾重にも複雑に絡まった糸を解きほぐし、イスラム世界における近代化の問題を「脱イスラム」のフロントランナー、トルコ共和国の歩みから読み解く。
感想・レビュー・書評
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トルコの近現代政治史です。ケマルの大胆な改革による世俗主義とイスラム主義との100年にわたるせめぎ合いが描かれています。日本も含めて、近代社会、近代国家の歴史と今後を考えるために、多いに考えさせられる本です。
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【間を通るか,橋をかけるか】題名が示すとおり,イスラムと近代化という重要な課題を,トルコ共和国の例を通して眺める作品。近代という位相を通り抜けるにおいて,トルコの人々がいかに格闘してきたかを簡潔にまとめています。著者は,東京外国語大学でトルコ近代史を専攻する新井政美ほか2名。
オスマン帝国の崩壊から現在にかけてのトルコの歴史が,まさに「怒涛」とも言えるものですので,その歴史を概観するだけでも興味深いのですが,そこに更にイスラムとの関係性という縦軸を引くことにより深みを与えることに成功した作品。イスラムと近代化という課題が,(トルコだけでなく複数のイスラム諸国で)現在進行形であることもよくわかる説明となっています。
〜ムスリムが圧倒的多数を占める国でありながら,そこを統治する者がイスラムを排除しようとする稀有の経験をしたのが,トルコ共和国なのである。〜
親日国という理解から更に一歩進める上で☆5つ -
トルコ近現代史。世俗主義とイスラム主義で揺れ動くトルコ。
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アタテュルクからエルバカン、エルドアンへ。オスマントルコの地理的な広がりと、トルコ人という想像の共同体の変遷を理解するには良かったが、それほど良い本ではない。
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宗教と政治。そのどちらもがナショナリズム=自分たちとは何かというアイデンティティの主導権争いの舞台であり、道具であることをトルコを通して詳述。
トルコのデモが今、メディアを通して報道されているが、その主導権争いはまだまだ続いている。
それにしても、イスラムについても、トルコについても知らないことが多すぎる。
最後に、多元主義の実現はなぜ難しいのだろうか。本書では明示されていないが、大衆が重要なファクターではないかと私は思う。 -
p.244,L.27~ムスリムが圧倒的多数を占める国でありながら、そこを統治するものがイスラムを排除しようとするという稀有の経験をしたのが、トルコ共和国なのである。
著者がおっしゃっていた通り、西洋の科学って真にかぶれやすいという厄介なものなのですね。
イスラムの考え方には共感する。
神は「存在するもの」としてではなく、信じようとすること、生活様式としてしか表せない。
科学、技術は素晴らしい。世の中を分類し何とか人間が制御しやすいようにしようと努めてきた積み重ねだもの。
自然を敬い、おそれ何とかそれと付き合おうとするとき「神」というものが生まれる。
そこまではいいんだけど、その「神」を人間が人間を支配しようとして利用すると泥沼。
科学技術がその泥沼を酷いものにしてしまう悲しさ。
人間と自然が豊かであるための科学技術でありたいね。
近代化を越えて未来に向けて、トルコと日本は仲良くできそう。 -
トルコの近現代が概観されている。結局は計画経済的手法から抜け出せなかったイノニュ、イスラム主義的な側面は目立たぬようにしながら、経済成長をすすめていったオザル、急進的なアタテュルク批判から現実路線に転じてイスラム政党を率いてきたエジェビットなど、興味が尽きない。