- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062748155
感想・レビュー・書評
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水俣病については中学、高校では名称を習うだけで深くは勉強しなかったが、この本を通してどういったものかを詳しく知ることができた。
当時の人々との会話を交えることで、水俣病の生々しさがよく感じられた。
書かれていたことが完全な事実かどうかは判断できない。筆者が患者のことを思って少し誇張したりしているかもしれない。ただ、水俣病の悲惨さ、様々な患者の心情を知るための参考としては読むべきだと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ずいぶんと長い時間をかけて読了
水俣病の人達の感情が
ひりひりと身体に入ってくる感じ
それと同時に
なんと美しい自然の描写のある事か
ドキュメンタリー的な箇所では
現実に引き戻され
不思議な感覚を呼び起こす本だった
また読みなおししたい
ブックオフ津島店にて購入 -
水俣病、当時水俣に生きた人々は恐ろしかったろうな。まさか普段から口にしている魚や貝、海藻から自分達の体をむしばむ毒性物質が取り込まれているだなんて思いもせず、連綿と続く暮らしをしていただけなのだろうに。
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水俣病の話。描写や方言はきれい。
患者と行政、会社との間のほか、患者と(会社により裨益している)その他の住民との間、患者内部、会社内部でもいろいろありそう。 -
「見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった」
「市民たちのひとり残らず、なにか重圧な空気に犯されていた。今にもどこか、なにかが深い根元からひき裂けそうな緊張に、人びとは耐えていた」
「人びとの衣服や履物や、なによりもその面ざしや全身が、ひしひしとその心を伝えていた」
「水俣病対策が今日までほとんど放置された状態にあったことがこの事態をまねいたといえよう。〜 寺本知事が就任後はじめて水俣病の現地をみたのも、何と調査団が水俣に行く一日前だった。〜 坂田元厚相も“この問題では関係各省が敬遠しましてね”と述懐している」
「触れれば飛びあがりそうに、彼らの心も暮らしも追いつめられていたのである」 -
金大生のための読書案内で展示していた図書です。
▼先生の推薦文はこちら
https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18354
▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA68200435 -
某所読書会課題図書:水俣病の患者が熊本弁でうめき声をあげる.このような本では患者さんの声を聞いてそれを記述するのが一般的だが、本書はそのような手法を取っていない.著者が耳にした多くの言葉、全て熊本弁だが、それを一旦取り込んで再現する際に、あの人が心の中でこのように思っている ことをおもんばかって表現している.このような表現手法は他には見られないと思う.ある意味で普遍的な言葉に変換されているとも考えられる.このような本に出会えたことを嬉しく思っている.
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強烈な個々の苦しみがなまなましく描かれている。
時代とともに風化していく事件が魂魄をこめて真空パックされていて貴重。
沈痛なテーマながらも著者の表現力の豊かさにより人物の描写や散りばめられた比喩が美しく、心地よい。
資本主義とそのマイナス面が浮き彫りになっていて、現代にも通づるテーマである。
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水俣病に苦しみながらも、人間としての尊厳と美しさを失わない被害者達の視点に立った作品(と、最後の最後まで思っていた)。
湯堂部落の描写から始まり、ページを捲って初めて「湯堂、出月、月ノ浦と来て、『水俣病』多発地帯が広がり」というように、何気ない村紹介から水俣病が突如として現れてくる、この表現法に吸い込まれてしまった。
山中少年や仙助翁など、一人の人間にスポットを当てたかと思うと、淡々と書かれた犠牲者のカルテを付したり。マクロとミクロがふんだんに盛り込まれ、臨場感がある。
しかし、いかんせん方言が読みづらい。程よい行数ならともかく、数ページに渡ってどぎつい方言を読み解かなければならなくなる。当事者の声をそのまま、と言うのならせめて標準語訳を付けていて欲しかった。
さらに、巻末解説によれば、本書はルポではなく、石牟礼氏の私小説に該当するらしい(彼女は一度か二度かしかそれぞれの家を訪れなかったそうである)。自身が味わった極限的世界を、彼女は患者とその家族に見出した、本書の原点はそこであるとのこと。それを知った瞬間なんとも肩透かしを食らってしまった。人生は真実のみ追い求めれば良いのか、と言われれば違うが、少なくとも本書においては現地に足繁く通い、患者に寄り添った聞き書きであって欲しかった。