- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062922654
作品紹介・あらすじ
「天災は忘れた頃にやってくる」の名言で知られ、東日本大震災を契機に、その文明観・自然観が近年再び見直されている物理学者・寺田寅彦(1878-1935)。夏目漱石の門下生として「吉村冬彦」の筆名をもち、科学と文学を高い次元で融合させた寺田に間近に接してきた教え子・中谷宇吉郎による、恩師の追想録。
いつも飄然とした姿で実験室に顔を出し、古ぼけた器械を持ち出して「変な実験をやって途方もない理論をそれにくっつける」ような研究をしておられた――。自身も随筆家として名を成した中谷の筆致は、大正から昭和初期の「学問の場」の闊達な空気と、師弟関係の濃密さを細やかに描きだした貴重な記録でもある。「漱石先生に関することども」や、寺田が嗜んだ油絵とセロ、晩年に注力した「墨流しの研究」「墨と硯の研究」の紹介など、その話題は広範囲にわたる。
そして、昭和21年に執筆された「あとがき」には、――私たちの祖国は、今寺田物理学を再認識しなければならない悲しむべき境遇にある――と綴られる。
『寺田寅彦の追想』(甲文社 1947年刊)の文庫化。
感想・レビュー・書評
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寺田の漱石先生からの流れで読む。
寺田が書く漱石、そしてその寺田を書く中谷という知の流れを時間軸で辿るのも面白かったが、何よりその文学的、哲学的な科学という思想を垣間見ることができたのが非常に面白かった。
自分などは足元にも及ばないが、彼ら先達の「思想の方向」には非常に共感できる。
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日本の物理学者であり、夏目漱石の薫陶を受けた文筆家でもあった、寺田寅彦の追想記。
著者は、中谷宇吉郎。雪の結晶に関する研究では世界的に知られた物理学者であり、寺田寅彦の教え子にあたる方らしい。
22歳年上の師匠を、筆者中谷は、生き生きと温かく描写している。直弟子の脳裏に焼き付けられた寺田寅彦像は、鮮明に精彩を放ちながら現在の我々に強い印象を与える。
寺田寅彦の時々飛ばす機智に富んだジョークやブラックユーモア、教養深い箴言警句の数々、科学や文芸への哲学観、すべて面白く、興味深く、読み手をニヤリとさせるものがあった。
同じ研究室で共に働く研究員たちとの思いで噺も興味深かった。
夏場は真っ裸に白衣だけひっかけて、水素の研究をやってたとか、想像するだけで面白すぎるw寺田先生の御念願 “線香花火の研究“ では、大の大人が寄り集まって、真面目腐って線香花火の燃焼(スパーク)を見つめて議論する様子を想像すると、これも笑えた。w
傍から見たら、遊んでるようにしか見えないよね。。しかも裸に白衣で。変質者ですやん! -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741168 -
ともきんずな本。
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科学に関する内容もさることながら,中谷先生の寺田寅彦先生への思いが横溢する,人と人との強い繋がりをひしひしと感じる.両先生の為人が透けて見えるし,こうありたいと思う.
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寺田寅彦について、雪の結晶の中谷宇吉郎が書いた追想録。
この二人の名前が挙がって、買わないわけがない。
寺田寅彦にしても、なんで物理学者がこんなに上手い随筆を書くんだろうと思っていた。
そこに関する答えがあった。
個人の教養が深まるにつれ、随筆が文学のあるかなり重要な領域を占めるようになる。
そこでは文学の意味を「人生の記録と予言」という観点から見るため、主観的真実の記録たる随筆にスポットが当たることになる。
この目的は、結局科学の目指す所と同一だという所に行き着くわけだ。
なるほど、ただひたすら、なるほど、である。
線香花火の火花や、霜柱、風紋、墨。
寺田物理学の「物の理」の触れんとする感性が、なんだか愛おしい。
物理をする者は、「物の理」を学んでいる気持ちを失ってはならない。
これを寺田寅彦が言うから、またやっぱりなるほど、と思ってしまう。
姿勢があっての言葉は、重みが生きている。
(2015.04.03再読)
気になった言葉を引用羅列。
p154「今一つには現在の物理学には、物性の研究に大きい欠けた部門がある。……ところが化粧品の場合と限らず、日常の吾々の生活に密接な関係のあるものは、中間的性質に支配されるものが多い」
p176「オリジナリティというものは、何も無いところから出るものじゃなくて、出来るだけ沢山の人のやったことを利用して、初めて出せるものだからね。」