- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065122051
感想・レビュー・書評
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遠いと思っていた戦争に島が否応なく巻き込まれる様子や、本土と島の関係、戦後の混乱(この島も含めて沖縄は米国に統治され本土との往来は禁止された)など満遍なく描かれる。
地元(沖永良部島)の言葉で書かれた会話が醸す独特ののんびりした島の雰囲気の中で、翻弄されながら力強い生きる人々の姿が印象的だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦争末期の沖永良部島
守り神と崇めた軍人は年端もいかぬ少年航空兵であったり沖縄からの逃亡兵で編成された守備隊であったり。
古より那覇世、大和世と時代の波に翻弄された島が次はアメリカ世になるとも知らずに日本国を信じる島民の真っ直ぐな気持ちが哀しい。
そしてそれが現実となったとき我が子らを含む全てを失った父親が弔いの場では禁忌の三線を搔き鳴らし言葉にできない気持ちを唄にぶつける姿は捨て石にされた離島の悲劇を物語る。
密航で島を出るもの残るもの…永良部の人たちの前途がその名の通り選べる未来であったことを心から祈りたい -
美しい南の島にも、子どもにも、ただただ平和に暮らす人々の上にも戦争という、理不尽なものがあったことを、改めて感じた。
家族の命を奪われ、家や田畑を失っても力強く生きる人々。
神と崇められた特攻隊の真実。
島の言葉で風景が浮かび、より切ない。 -
戦時中の沖永良部島に生きる少年マチジョーと少女カミ。
島の人たちや不時着した特攻隊員や見張りの朝鮮出身の兵士とか、
隅々まで神経行き届いた宝物のような本。
こんな本に出逢うことがたまにあるから、読書はやめられない。 -
文化の違いや情報の格差、という言葉だけでは替えられないものってあるよなー、と読んでいる間、ずっと感じていました。
2018/8/25読了 -
第二次大戦、そして終戦直後の沖永良部島を舞台に、戦争の中でもたくましく生きていく島の人々の姿をこの島の子供の目を通して描いている。
沖縄を舞台にした戦争当時の小説等は色々あるが、本島ではなくその近くの島を舞台に一体、当時どのような生活を送っていたのか、戦争をどのように受け止めていたのか、私は全く想像さえできなかった。
この小説では、島の言葉が多く使われ、その言葉や会話にはルビが振られている。はじめのうちは、その言葉を理解し読み進めていくことに煩わされたが、途中からこの島の言葉があるから、この小説のこの島の人々の感情や思いがわかるのだ。本土の人間との違いを的確に表していると感じた。
どのような状況でも子供たちはなんとか楽しみを見出していくが、子供目線で描かれる戦争やそれに巻き込まれていく島の人々の姿は大人にありがちな建前や大人の理想がなく、本音と真実を写実的に描き、読者の心をうつ。
辛い物語でありながら、沖縄本島ではなく、南の島を舞台に子供たちを中心に描いているからだろうか、読後も暖かな余韻を残す作品だ。 -
★3.5
太平洋戦争末期、沖縄のそばにある沖永良部島。語尾を伸ばす方言が優しくて、空襲や家族の死を目の当たりにしながらも、どこかほんわかとした空気が感じられる。そして、まるで天国に思えるような自然、裸足で歩き回る子どもたちがとにかく魅力的。中でも、主人公・マチジョーの恋心が可愛く、ついつい彼を応援してしまう。が、終戦によって食糧難が深刻化し、アメリカの一部となった“えらぶ”。ハナみーたちの死も悲しかったけれど、思わず泣きそうになったのは船の上であやがマチジョーにかけた言葉。いつか二人が再会できますように。 -
この作品に歴史はあるが、ストーリーがない。
視点もありきたりではないだろうか。
靴のエピソードだけ、グッときたが、しかし、これも布置に失敗している。 -
ルビは振ってあるものの、カタカナだらけの奄美の言葉にかなり難儀し、思いのほか時間がかかって読了。
舞台は戦争末期の奄美群島は沖永良部島。少年・マチジョーの目をとおして、戦時下の島の日常が語られる。
日々目にする沖縄に向かう特攻機。迎え撃つ米軍機。
グラマンによる度重なる激しい機銃掃射により、学校はなくなり子供たちは貧しい農家の手伝いに明け暮れる。
そんな中でも、無邪気な子供たちの日々の楽しみ、喜びが淡々と語られる。戦地で亡くなった兄への思い、幼馴染へのほのかな恋心、出稼ぎに出て病になって帰ってきた兄へ語りかける「生きていていいんだよ」という言葉。
そのひとつひとつが、しみじみと胸にしみる。
そして迎える終戦。ラジオも無線もない島の人たちがその事実を知ったのは、終戦から2週間もたってからだった。
内地で空襲にあい、故郷・沖永良部に帰ってきた家の子供を最初は遠巻きにしながらも、受け容れていく子供たちの懐の深さ。体力のない子に対するさりげない思いやり。
終戦後再開した学校生活に、この上ない喜びを見出す子供たちのやり取りが嬉しい。
戦争が終わった時、大人たちから何度も聞いた「兵隊さんたちにだまされた。」という言葉
マチジョーは考える、
ーーだまされたといってすましてしまったら、一度だまされたぼくたちは、きっとまた、だまされる。何度でもだまされる。
ーー一度だまされたぼくたち。また、僕たちはだまされているのかもしれない。また、だまされはじめているのかもしれない。今もう、すでに。
少年は、戦争から何かを学び、考え、成長した。
戦後の一時期アメリカ領となった奄美群島。貧しさから島を出ていった少年の家族が、後に日本に返還された故郷の島に帰っていけていればいいなと思った。 -
戦時中の沖永良部島。
水道はなく、女性は毎日水くみをして甕をいっぱいにするのが仕事。
人々は空襲におびえながら、日本兵を「島を守ってくれる神」と信じ、田で稲をつくり、牛を追い立ててサトウキビから砂糖をつくり、芋を食って生きている。
ラジオもなく、本島からは遠く離れた土地で暮らす少年マチジョーの眼を通して、戦争末期から終戦までが描かれている。
鮮やかな日差しと美しい自然が目に浮かぶのに、物語はなんとも切なく、胸がひりつくように寂しい。
物語の後半でマチジョーが「だまされる」ことについて考えるくだりが、戦後の沖縄を暗示しているようで、物悲しかった。