- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065216156
作品紹介・あらすじ
相貌論、懐疑論、ウィトゲンシュタインの転回、過去、隠喩、自由――スリリングに展開する、著者会心の「哲学的風景」。
感想・レビュー・書評
-
可能性世界論、ウィトゲンシュタイン、不完全性定理、メタ数学、などをやる人はとても楽しめるのではないだろうか。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ウィトゲンシュタインの入門書として読んでみた。優しい語り口と章ごとの解説で入口は通過した気がする。これを機に他の関連書も読んで、また再読したい。
-
タイトルからわかる通りウィトゲンシュタインを叩き台と
した著者の哲学的立ち位置─著者が哲学的にどういう風景を
眺めているのかについて書いた本と言えるかな。読んでいて
だまされたような気になったり、わかりやすい言葉なのに
一向に理解できなかったりするのが常で、そこから改めて
もう一度考え直すというのが哲学書のある意味良いところ
だと思うのだが、この本はそういうところが一切無く、実に
わかりやすく全ての点でストンと腑に落ちてくる。良い物語
を読み終えたような読後感さえしてくる、非常に稀有な本で
あった。あまりの素直さに自分のほおをつねって珍しく二度
読んだほどだった。自分の直感や肌感覚を大事に哲学的な
考察を積み重ねていくのは素晴らしいと思う。 -
クリーニャー。ネコまたは掃除機のことを指す。なんのことやら。概念の説明で出てきた、著者のアイデア。「語りえぬものには沈黙せねばならない。」、「論理哲学論考」でのウィトゲンシュタインの言葉。本当にそうなのか。著者はその姿勢を否定しているが、真っ向から反論している。大物に向かってのガチ問題提起は面白い。
正直に話すと、私は哲学に詳しくない。センター試験で倫理を選択したくらいだ。でも倫理と倫理の先生が好きだった。カントの純粋理性批判に挫折した。「神は死んだ」とかいうニーチェがかっこよかった。その程度のレベルである。なのでウィトゲンシュタインもよく知らない。
この本の内容はむつかしい。抽象的なお話で言葉もなかなか使わないものがあるので、理解するまでは私レベルでは苦労する。でも、なぜかスっと入る部分があり、1章を読み終えると授業が終わったかのような安堵感がある。
その発想はなかった、ということが多々あるからだろうか。たとえば、「翻訳できなければ、言語ではない」ということに反論する話。そもそも、概念があってそれを言葉に言い表す、というのは私の頭にあったが、翻訳できるから言語なのだ、という発想がなかった。言葉というものをまた考えさせられてしまった。
本当はもっと腑に落ちて読みたかった。しかし私の頭が足りなかった。なので正直にいって星4.5くらいな燃焼感である。これは、また歳を重ねて読む本だろう。いつか、また。 -
最高また読む。言い回しがかわいい。癒し系哲学書。
-
ウィトゲンシュタイン再挑戦。本書は理解しやすい。
-
眠る前に少しずつ読んだ。
語りえぬものについては沈黙しなければならない。
そう言った哲学者ヴィトゲンシュタインに対する哲学者野矢茂樹のいわば挑戦状である。語りえぬものについてできるかぎり語ろうとした思考の軌跡が本書。
日頃自分が日本語をいかに自動的に使い、その言葉には手垢がつき、自身の身体から出た言葉を使っていないかを痛感した。ただ論理というフラットなおもちゃを弄んでいるだけだ。その背後にははるかに豊かな世界が横たわっているのだということを毎晩思い出させてくれた。 -
とにかくも、読み終えることができた。面白かったなあ、と感じたのだけれど、何が面白かったのかと聞かれると答えられない。じゃ何について書かれていたのかと聞かれてもたぶんあてずっぽうのことしか言えない。けれど面白かった。語り得ないことを語ろうとする試みはこれからも続くのだ。