永遠の平和のために (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065267301

作品紹介・あらすじ

イマヌエル・カント(1724-1804年)が1795年に発表したこの小著の日本語訳の主なものは四種類あります(高坂正顕訳(1949年)、宇都宮芳明訳(1985年)、中山元訳(2006年)、池内紀訳(2007年))。それらはすべて『永遠平和のために』というタイトルで出され、多くの読者の手にされてきました。
では、なぜあえて新しい訳を出すのか――練達の訳者は、思案した末、やはり新しい日本語訳が必要だという結論に達して、本書を仕上げました。その一例は、本書第1章のはじめにある「Friede, der das Ende aller Hostilitaten〔原文はaにウムラウト〕bedeutet」という個所です。既存の訳の訳文を一覧にすると次のようになります。
(高坂正顕訳)「平和とはあらゆる敵意の終末を意味し」
(宇都宮芳明訳)「平和とは一切の敵意が終わることで」
(池内紀訳)「平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしており」
(中山元訳)「平和とはすべての敵意をなくすことであるから」
これらの日本語を読むと、カントは誰もが「敵意」を捨て、心のきれいなよい人になった状態を「平和」と呼んでいる、と思うのではないでしょうか? そのとおりだとすれば、ほんの少しでも「敵意」を抱くことがあるなら、決して「平和」は訪れない、ということになります。しかし、そもそも「敵意」をまったく抱かないなどということがありうるのだろうかと考えると、カントは現実離れした理想を語っていたと感じられてきます。
でも、ここでちょっと考えてみよう、と本書の訳者は言います。原文にある「Hostilitaten」を「敵意」と訳すのは本当に正しいのだろうか、と。確かに「Hostilitat」(単数)は「敵意」だけれど、カントがここで書いているのは「Hostilitaten」という複数形です。これは「敵対行為、戦闘行為」を意味します。だから、この個所は次のように訳すべきでしょう。
(本書)「平和とは、あらゆる戦闘行為が終了していることであり」
上の四種の訳文とはずいぶん意味が異なるのではないでしょうか。こんなふうに、この著作は現実離れした理想を語ったものではなく、現実から離れずに「永遠の平和」というプロジェクトを提示したものなのです。カントの本当の意図は、本書を通してこそ明らかになるでしょう。

[本書の内容]
第1章 国どうしが永遠の平和を保つための予備条項
 その1/その2/その3/その4/その5/その6
第2章 国と国のあいだで永遠の平和を保つための確定条項
 永遠の平和のための確定条項 その1/永遠の平和のための確定条項 その2/永遠の平和のための確定条項 その3
補足 その1/その2
付 録

感想・レビュー・書評

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  • カントを読んだのは、高一の時に純粋理性批判でやられて以来である。確か100ページもしないうちに、その難解な訳文に耐えられず、結局読まずじまいに終わった。それ以来、カントのことは、頭の片隅に追いやっていた。
    しかしこの偉大な作者の晩年の作品は、驚くほど読みやすく、親しみやすい文体が流れていた。軍事強国となったプロイセンのケーニヒスベルクの街で、フランス革命の動乱とナポレオンの国民軍の足音を遠くでこだまさせながら、71歳の哲学者は「永遠の平和」を問うた。それがたとえ、無意味だと揶揄されようと、彼には考えずにはいられなかったのであろう。
    カントは、永遠の平和の確定条項として、①共和国制②連邦主義的国際法秩序③万人に対するもてなしの心をあげた。よく、ホッブスやロックと対比され、「世界政府」構想と言われるが、実はカントもまた人間は自然状態においては暴力的で好戦的であるという、リアリズムのアナーキー原理を大前提にして出発しているのである。そしてそのうえで、自らの生が尊重されるならば、隣人の生を当然に尊重しなければならないというリベラリズム理論を敷衍し、理性に基づいた行動を、我々に求めるのである。カントのこの論理には、良い意味でも悪い意味でも、流石哲学者と舌を巻いてしまう。
    勿論当時と今の状況の違いに、注意を払う必要はある。18世紀と21世紀、この3世紀の間に、「永遠の平和」なんて訪れやしてないではないか。結局「机上の空論」でしかない「駄作」だと、そう評価したいならすれば良い。
    しかし、私は、だからこそこの名著にあたる必要があると考える。我々が我々の人生を、この世界を、「善く生きたい」と願うならば、「永遠の平和」への希求を、心のうちに少しでも持っているならば。現実にどれほど絶望しようと、無関心でいようと、我々はそれでも希望を探し続け、どこかでつながろうとしているのだから。「ゆっくりとだが、ステップアップして、」(本書 90)問い続けなければならない。

    昨今の情勢は、とても平和とはいえない。この国の行く末もどうなるかわからない。自分の人生など、いわんやである。自分のものででしか決してない、一度きりの人生を「我々はどう生きるか」というカントのまっすぐな問いに、今こそ真剣に向き合わねばならないのではないか。

  • 東2法経図・6F開架:B1/1/2701/K

  • 080||Ka

  • 1795年に公刊された平和論の古典、『永遠平和のために』の新訳。既存の、言ってみればお堅い翻訳を一新することを狙っているであろう訳語・訳文が随所に散りばめられており、従来の邦訳とはだいぶ違ったイメージをもたされる。また文庫本ながらアカデミー版のページ数が記載されており、研究の役に立つだろう。

  • 第1章 国どうしが永遠の平和を保つための予備条項
    その1 将来の戦争の種をひそかに留保して結んだ平和条約は、平和条約とみなすべきではない
    その2 独立している国は(国の大小に関係なく)、相続・交換・売買・贈与によって別の国に取得されてはならない
    その3 常備軍は、いずれ全廃するべきである
    その4 対外紛争のために国債を発行するべきではない
    その5 どのような国も、他国の体制や統治に暴力で干渉するべきではない
    その6 どのような国も、他国との戦争では、将来の平時においてお互いの信頼を不可能にしてしまうような敵対行為をするべきではない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇う、降伏させない、敵国での反逆をそそのかす、などのことはするべきではない
    第2章 国と国のあいだで永遠の平和を保つための確定条項
    永遠の平和のための確定条項 その1 どの国でも市民の体制は共和的であるべきだ
    永遠の平和のための確定条項 その2 国際法は、自由な国と国の連邦主義を土台にするべきである
    永遠の平和のための確定条項 その3 世界市民の権利は、誰に対してももてなしの心をもつという条件に限定されるべきだ
    補足 その1 永遠の平和を保証することについて
    補足 その2 永遠の平和のための秘密条項
    付 録
    I 永遠の平和を考えるときの、モラルと政治の不一致について
    II 公法の先験的な概念から見た、政治とモラルの一致について

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著者プロフィール

1724-1804年。ドイツの哲学者。主な著書に、本書(1795年)のほか、『純粋理性批判』(1781年)、『実践理性批判』(1788年)、『判断力批判』(1790年)ほか。

「2022年 『永遠の平和のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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