大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (集英社新書)
- 集英社 (2020年1月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087211061
作品紹介・あらすじ
なぜ大学改革は失敗し続けるのか――?
オックスフォード大学の苅谷剛彦と東大の吉見俊哉が徹底討論!
大学入試改革が混乱を極めているが、大学の真の問題はそこにあるのではない。
日本の大学が抜け出せずにいる問題の本質に迫る刺激的な対論!
【目次】(見出しは抜粋)
第一章 問題としての大学
東大が「蹴られる」時代/キャッチアップ型人材育成の限界/新自由主義と自己責任/問題発見型の学生はどうすれば育つか/世界の大学人が最重要視していること
第二章 集まりの場としての教室
学部生のレベルはハーバードも東大も同じ/日本の学生が「世界一勉強しない」理由/オックスフォードの贅沢な仕組み/チームティーチングへの移行が鍵/教室の外にあった学びの場/世界中の大学で同時発生している問題
第三章 社会組織としての大学
疲弊する若手教員たち/大学が生き残る二つの道/大学の中にある「村の寄り合い」/前例主義は覆せるのか
第四章 文理融合から文理複眼へ
文系学部廃止論とはなんだったのか/文系こそが「役に立つ」/文系を軽視する日本社会の陥穽/微分的思考の理系と積分的思考の文系/AIは人間にとって代われない
第五章 グローバル人材―グローバリゼーションと知識労働
本気が感じられない「スーパーグローバル大学」/グローバル人材で必要とされる本当の能力/東大独自のグローバルリーダー育成プログラム/補助金の計画主義から実績主義への転換
第六章 都市空間としての大学―キャンパスとネット
学生生活の始まりと終わりを儀式化する/大学とメディアのねじれた関係/日本の知が世界レベルだった半世紀/日本の知を誰が背負うのか
【著者プロフィール】
苅谷剛彦(かりやたけひこ)
●1955年東京都生まれ。オックスフォード大学教授。専門は社会学、現代日本社会論。著書に、『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』ほか多数。
吉見俊哉(よしみしゅんや)
●1957年東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は、社会学、都市論、メディア論など。著書に、『大学とは何か』『「文系学部廃止」の衝撃』ほか多数。
感想・レビュー・書評
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吉見さんの本をもう一冊読んでみたいと思ったら、なんと苅谷剛彦さんとの対談が出たところ。
二人から醸し出される意識高い系感(まあ、そもそも副題がトップユニバーシティーからの問題提起だもんね)に、若干たじろぐ。
今の大学改革というよか、次の高校改革に向けて、持っておきたい視点が幾つかあった。
例えば、深い学びについて。
学びを深めるためには、教員一人あたりに受け持つ生徒が多過ぎてはいけないということ。
でも、生徒一人の取り組む授業数が多過ぎてもいけないということが書いてある。
それは知識網羅主義とも関わってくるわけで、より多くの知識を受け取ろうとすれば、そうなる。
高校でも、もうすぐカリキュラムが変わるけど、沢山の科目を設定するのか、一つの科目に単位を多く設定するのかって大きい部分なのかも。
もちろん単位を多く配置することは、教員の技量も問われるし、落とすことのリスクも生まれる。
ただ、週二回の授業でやれることに限りはあって、深い学びを方針として打ち出すなら、その部分をスルーしてはいけないように思う。
二つ目は、教科横断の可能性について。
これも政府のパンフレットなんかで目にはするけど、具体的にどんな取り組みを言いたいのかはよく分からずにいる。
この本では、文理融合から文理複眼へという章があって、以前読んだ吉見さんの本に書かれていた文系知と理系知の違いが書かれている。
いやいや、文系とか理系とか、ないから!
という意見も、勿論あるし、人に落とし込むからそうなるのかなと思っていた。
けれど、それぞれの研究手法、アプローチの違いをちゃんと把握することで、教科横断の可能性が広がるように思う。
そのためには扱う側も、横断的な考えがないといけないとは思うけど……。
そして三つ目。
ただ単に留学することの危険性について。
これはグローバル人材の章にあたる。
一週間やそこら、わらわらと学生連れて行って修学旅行の延長線上みたいなことしたって、自分の中の価値観の揺らぎなんてあるわけないでしょ!
ってか、日本という国のこともよく知らずに海外に浸り過ぎても、根無し草になりますよ!
というご意見。
周り見ても、この留学制度って思ったよりお金かかっていて、そして自分の時にはアイツもコイツも留学してます、なんて状況はなかった。
だから、確かに何かは動いているんだけど。
果たして何のために動いているのかが分からない。
語学研修と自分探しがごっちゃになったような。
結局、日本に比べて◯◯国は違う!え、何が?自由だった!自由って何?みたいな中身ない感に終わってしまう人もいるように思う。
勝手に目的意識持って勝手に行くやつは良いのだ。
でも、システムとして、行事として、それを若い子に与えるのなら、与える側の考えをもっと盛り込んでいく時期が来たと言える。
いや、それはお国のために視察してきなさいってことじゃないからね……あしからず。
最後に、大学のレファレンスが便利になりすぎて、自動で本が出てくるのは悪だという話に笑う。
辞書と同じだなと思った。
偶然の出会いによって自分の知は思いがけず進む。
こういうのも、セレンディピティっていうんですかね。便利って、怖いわ。
そして一言。
なんぼほど長いレビューやねん!(星4で!)
お粗末様でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大学は知識ではなく思考力を得るところ
大学はカレッジ、ファカルティー、ユニバーシティが合わさったもの
積分的思考の文系と微分的思考の理系が合わさって新しい知見が生まれる
グローバル化を履き違えている日本の大学
出版と大学による知の再生
どれも新鮮な視点で、目が覚める様。
日本の大学の未来は明るくないが、絶望的ではないと思う。 -
大学は死んでなんかいない。東大生がいかにすごいかが書かれている。と私には読めた。ただ、もっと優秀な連中は東大は飛び越して海外に出ているようだ。オックスフォードはすごいらしい。しかし、そこはそこでいろいろと問題を抱えていることだろう。日本はダメだ、イギリスやアメリカがいい。日本は後追いだ。などとあると、いやいや、と思ってしまう。梅棹忠夫にかなり染まっているのだ。ヨーロッパと並行して日本は日本でいろいろ進んできたのだ。全面的に遅れていたわけではない。いや、それどころか、日本の稲作漁撈の文化は、世界に誇れるものなのだ。今度は梅原猛に染まっている。まあ、いろんな大学の現状を知ることはできた。おもしろい取り組みもあることが分かった。が、ここで、やっぱりお二人の話は、基本的にトップ層の話なのだと思う。大卒・非大卒間の格差だけでなく、大学間の格差もある。どこも同じ話では済まない。良い方向にシステムを変えるのも大事だが、なるべくは自由度が高い方がいい。私は、理学部で物理専攻だったが、人文学部の科学史の講座に週2回ほどは通っていた。興味がおもむくままに学ぶことができるのが大学であってほしい。留学生を入れるのもいいが、社会人の割合が増えるのもいいだろう。同じように授業料はらうのはちょっと無理だけど。
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宝金総長のおすすめ本
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大学は死んでいる吉見俊哉☆☆☆
現代の大学論・改革論の基礎を網羅している、著者の見識の深さ素晴らしい
されど日本社会は、少子化・財政逼迫の中で争われ、中期ビジョンの実行のための取組は為されにくい
1.大学の環境変化
①18歳人口激減②グローバル競争激化③Digital革命の社会構造変化
91年大学設置基準の大綱化
大学院の劣化 教養教育の弱体化
「カレッジ」大学の基本
生活共同体(旧制高校) 帰属の単位→エリートの育成
2.大学改革の機運
①日本社会にとって大学の重要性が高まる
②従来の大学教育には問題があった
③科目数の多さ15科目
米国は5つゼミのごとく 2冊読破/毎週→ハード実質
④大学入試が大学問題ではない
トータルシステムの見直し=教育・成果が本質
3.印刷革命15世紀グーテンベルク活版印刷→知の拡散
Digital革命も知の体制改革へ
大学<出版の隆盛 知の拡大へ
21世紀 Digital革命→新たな「知の再編・再構築へ」 -
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283ページの新書の中で、日本の大学改革についてから、グローバル人材の定義、日本の大学と知と出版について、日本の大学の成り立ち、難しさ、優位性についてまで、幅広く語られる。
最後は、それまで端端で語られてきたように、オプティミズム。
語られる中で、自分の仕事に結びつけて、考える。それは、大学改革というテーマに関わらず、人の生き方や、考え方や、動き方について。
これが、いわゆる知なのだろうと、文系の学問の意味のものすごい狭ーいけれど、発展的なものなのだろうとも思う。
脳に汗が出るほど考える、思考する日々を、学ぶということを、したい、と思いもする。