- Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087715408
作品紹介・あらすじ
明治20年代中頃、雑木林と荒れ地ばかりの東京のはずれに、異様な書店「書楼弔堂」が佇む。
書楼弔堂(しょろうとむらいどう)という書店を舞台に、月岡芳年、泉鏡花、井上圓了、勝海舟ら、江戸の面影が残る明治を生きた人々を描く新シリーズ!
感想・レビュー・書評
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ひだまりトマトさんのレビューで、明治の知ってる名前、知らない名前が次々と出てくるお話と聞いて興味が湧く。どうせならば最初から読もう。「世界でいちばん透きとおった物語」を読んで京極夏彦さんのグラフィックデザインを改めて確認したいという動機もあった。いやあ、改めて隅々まで目配りの効いたデザインで感服。しかも今回は、サプライズのように鮮やかな絵画が突然現れる。
ときはおそらく明治25年。我々にとって、阪神大震災やオウム事件がまだまだ歴史になっていないように、彼らにとって江戸や御一新はまだちょっと前の過去であっても歴史ではない。
四ツ谷辺りのいなか道に、そうと思わなければ通り過ぎてしまうような奇体な書舗(ほんや)がある。街灯台よりももっと大きな三階建、軒に簾が下がり半紙にひとつ屋号が貼られている。ー「弔」と。店主は、本は呪物でございますよ、という。
「文字も言葉もまやかしでございます。そこに現世はありませぬ。虚(うそ)も実(まこと)もございませぬ。書物と申しますものは、それを記した人の生み出した、まやかしの現世、現世の屍なのでございますよ」署名は戒名、洋装本の背表紙に刻まれているのは墓碑銘、さながら書舗は墓地。よって「弔堂(とむらいどう)」という。
元服仕立ての頃に髷を切ったので武士に拘りはない、元旗本の嫡子で高等遊民的な精神の持ち主高遠さん(35歳)が、京極夏彦の分身のような弔堂店主が勧める「本人にとって一生に一冊の本」の話に耳を傾ける話である。
グラフィックデザインも興味深いのだけど、京極夏彦さんがわざわざ漢字にふるルビがとても面白い。曰く。
亭主は莞爾(にこにこ)と笑った。
墓は石塊(いしくれ)
動作も緊緊(きびきび)しているが
暫く見蕩(みと)れていた。
時に君、幾歳(いくつ)だね
無論ですと決然(きっぱり)云って
珍粉漢粉(ちんぷんかんぷん)である←なんと、スマホ漢字にあった!
この二人は従者(ただもの)ではない
変梃(へんてこ)な被り物
ふ、巫山戯(ふざけ)ないでくだいよ
辿々(たどたど)しく伝えた←スマホ漢字有り
背徳(うしろめた)いだけである
鹿爪(しかつめ)らしい在り方をして
「探書弍 発心」において、店主は尾崎紅葉のいち書生の悩みを解きほぐす。尚且つ書生のデビュー作にと、或る資料を売り渡した。現在デビュー作は「泉鏡花集成1(ちくま文庫)」の巻末短編にあり読めるのではあるが、残念ながら県立図書館に蔵書していないので諦めた。その代わり、青空文庫において「おばけずきのいわれ少々と処女作」に、弔堂店主との会話の多くをそのまま写したような文章が載っている。是非ご一読いただきたい。
━━━━凡ては推測でしかなく、弔堂との関わりも、知りようのないことである。知ってもしょうがないことだし、またどうでもよいことでもある。文字に書かれてしまえば、皆嘘なのだから。
そして私、高遠彬がその後どうなったかもー。
誰も知らない。
書楼弔堂 破曉・了
結論をみなさんに読ませて仕舞いました。終わりから始まることも、実はあるからです(←でまかせ)。
久しぶりの京極夏彦煉瓦本也。
癖になりそうで、怖いʕ •ﻌ•; ʔ。
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どのような本をご所望ですか?
書楼弔堂シリーズの第一弾。第二弾を先に読んでから、だいぶ間が空きましたが、主人の弔堂の語りに引き込まれていく感覚は、やはりこのシリーズなんだなと改めて思わされます。百鬼夜行シリーズの中禅寺とも違い、相手と語ることで、徐々に腑に落ちさせていく感じですかね。
序盤曖昧な感じから、語っていく内に正体がわかっていく客(どうでない人もいますが)を類推するのも楽しいですし、その時代の文学を読んだ人の感覚に沿って説明するのも、楽しく読めるところです。
しかもクロスオーバーも仕掛けられていて、オッと思います。しかし元ネタ読んだのがだいぶ前で、記憶が曖昧なのが、ちょっと悔しい。
相変わらずの語りにどんどん引き込まれ、楽しく読めました。 -
古今東西、あらゆる書物が集う書楼、それが「弔堂」。
主曰く、
ここは本の墓場で自分は本を弔っているのだ。読まれない本は屍。しかし読む人がいれば、その屍は蘇る。そして本は己自身に相応しい一冊があればそれでよい。ただその一冊に巡り合うことが叶わぬから、何冊も何冊も読む羽目になる。
そのたった一冊となるべき本を然るべき相手に売ることが供養となるのだという。
訪ねくる客たちは、歴史上実在の人物たち。
京極さん、または弔堂の主人の語り口に、どこまでが本当の話でどこからが創作なのか、わからなくなってくる。
なかでも「探書 肆 贖罪」に出てくる中浜翁に付き従う影のような人物には驚いた。
読んでいると、すぐに正体には思い当たるのだけど「いやでも、あの人は……」となるので、その場までどう繋げるのか、謎明かしは、と気になってページを繰る手が早まった。
この章の最後をはじめ、史実かどうか確かめたくなる部分がいくつかあったけれど、調べるのはやめた。
京極作品は虚と実のあわいにあってこそ、楽しい。
“読まれぬ本は紙屑ですが、読めば本は宝となる。宝と為すか塵芥(ごみ)と為すかは人次第。”(473P)
本は「読むもの」と思っているけれど、半分以上は「積むもの」になっている私には耳のイタイ言葉です。
墓標と化した本たちに囲まれながらも、
己自身に相応しいたった一冊の本。
自分のそれが何か知りたいけれど、まだ出会いたくはないと思ってしまう我が業の深さよ。
・・・・・
昨年「遠野物語remix」で久しぶりに京極さんを読んで、リズムのいい文章にまた読んでみたい熱が上がる。
んが、京極堂は数冊読んだ後は積んでるし、他の作品も積んだり積んでもなかったりしてるうちに巻数が出てるし、さてどうしたものかと思っていた矢先に新シリーズ!喜んで読んだものの他の作品ともリンクしているもよう。
単独で読んでも問題なく面白いけれど、リンクを知ればなお面白そう。
(ううー、京極堂の再読から始めるか。いや分冊版を買いなおすところからか) -
2016年マイベスト10に入ってくると思います。つい続けて2回読みました。今作は初めて『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』を読んだ時の感動が甦るような作品でした、もっと読みたいです。
主役は本、ワキが高遠彬、世界の本の墓場弔堂という本屋の主/龍典(りょうてん)、丁稚/撓(しほる)で、客として色んなビッグネームが訪れ、その客に”本”を会わせるという豪華な設定。『臨終』大蘇月岡芳年 にWilliam James『The Varieties of Religious Experience』、『発心』泉鏡花に真土事件関係資料、『方便』矢作剣之進(巷説百物語の不思議巡査)、勝海舟、井上圓了(越後長岡の慈光寺の子、哲学者/妖怪博士)そして圓了に鳥山石燕『画図百鬼夜行』、『贖罪』中濱”ジョン”万次郎、岡田以蔵で以蔵に杉田玄白訳をさらに弟子の大槻玄澤が訳し直した『解体新書』、『闕如』巌谷小波に渋川清右衛門版『御伽草子』、『未完』中禅寺輔(京極堂シリーズの主役、京極堂/中禅寺秋彦の祖父、こちらで秋彦の父が耶蘇教に改宗しているというのも語られる)秋彦祖父には”武蔵清明社縁起”とその父が著した未完の陰陽に関する秘伝書のたぐい、高遠にはローレンス・スターン著『トリストラム・シャンディ』(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman)。そして挿絵もトリストラムシャンディかと思いきや、何故かオリバー・ゴールドスミス著『The Vicar of Wakefield』やと思いますねぇ。色々と含み多いです。
ともかく、こんなフランスのカタコンベのような本屋でうもれられたら至福でしょうねぇ、夢のような場所です。 -
お、重い!!分厚くて電車の中で読むのには不向き。
持ち歩いていたら「重くないんですか?」と聞かれる始末。
重いに決まってるわ!!
久しぶりの京極さん。
これも漢字で表記するんだ〜と、漢字のとじひらきに関心がいく。
情報ではなく、本を売っている。
本という存在をちょっと考えてしまうな。 -
古今東西の書物が集う墓場。移ろい行く時代の中で迷える者達。誰かが〈探書〉に訪れる時、一冊の虚は実になる。
明治20年代中頃、雑木林と荒れ地ばかりの東京のはずれに、異様な書店「書楼弔堂」が佇む。書店を舞台に月岡芳年、泉鏡花、井上圓了、勝海舟ら、江戸の面影が残る明治を生きた人々を描く新シリーズ!
(2013年)
— 目次 —
探書壱 臨終
探書弐 発心
探書参 方便
探書肆 贖罪
探書伍 闕如
探書陸 未完 -
またしても古本屋………だがこの古本屋は怪異な殺人事件を扱うのではなく、悩む人と話すことでその人が私たちのよく知る偉人になる手助けをしているようだ。ただ、その手助けの仕方は「背中を押す」というようなポジティブなものではなく、じわじわ追い込んでいくようなやり方は例の漆黒の古書店主にも似ているが………。
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これほど深い物語を流麗、明快に描き出していく著者の手腕に感服。
明治25年、雑木林と荒れ地ばかりの東京の外れに佇む楼閣のような書店「弔堂」を舞台に、月岡芳年、泉鏡花、井上圓了、勝海舟ら実在した偉人たちと弔堂主人との、人生の転換点となる対話を描く新シリーズ。
ファンとしては、京極堂シリーズと対をなす要素が満載で思わずニヤリ。弔堂主人は京極堂を、語り手の高遠は関口を髣髴とさせる。
それぞれ人生の懊悩を抱えた偉人たちが弔堂を訪れ、本当に大切な本に出合っていく。その過程で交わされる、哲学論議とも呼びたくなる対話がこの本の醍醐味だと思います。
取り上げられるテーマは、人生観の再考を迫るほどに深い。人はなぜ本を求めるのか。近代合理主義がとりこぼしているもの。日本の主体性とは。義と不義を分かつものとは。前進、決着とは…。普段疑問に思いながらも通過しがちなこれらの問題について、言葉の匠である著者が、思索にいざないます。 -
書生時代のあの人はこのような感じであったのだろうか。
京極流ここに有り。
ご安心下さい。最初に出た時点で全部ルビ振ってますから。
でも巫山戯る(←げ!スマホ変換した!学習機能?元々あ...
ご安心下さい。最初に出た時点で全部ルビ振ってますから。
でも巫山戯る(←げ!スマホ変換した!学習機能?元々あった?)を最初から読めるって、それだけでもすごい‥‥。
次巻だったかな、柳田国男の若き日が出てくるそうで、それを目当てに次巻も読みます!
(^3^♪
明治の偉人たちはほとんど知らないので苦労しましたが。
個人的には乃木大将の話がよか...
(^3^♪
明治の偉人たちはほとんど知らないので苦労しましたが。
個人的には乃木大将の話がよかったかな。
あ、ぐうぜんですが私のレビューにも難読漢字を1つ載せとります(笑)
土瓶さん、久しぶりの本格レビュー、読んだのに忘れていました。
勝も、福澤も、平塚も、乃木も、柳田も、私に言...
土瓶さん、久しぶりの本格レビュー、読んだのに忘れていました。
勝も、福澤も、平塚も、乃木も、柳田も、私に言わせれば偉人じゃないす。と、展開しだすと長くなるので止めますが(^_^;)。
罔(な)くなるも、出そうと思ったのですが、どうやって出せばいいのか、おそらく時間かかるだろうと思って止めたんです。ところが、スマホで「なくなる」でやって下まで行くとあるじゃないですか!恐るべしスマホ!
というわけで、すぐにではないですが、読みます!