- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093884006
感想・レビュー・書評
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面白かった。ジョジョが好きな住職さんが書いた本です。
日本では、オウム真理教の事件が起きてから、何かに信仰することがあやしいことのように言われるようになってしまった。それはつまるところ「無宗教」教という宗教が出来上がったということだ。そして、「無宗教」教とカルトは大差ないという。
そんなことが書いてあって興味深かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
執着しない、こだわらない。
なかなか難しいことだ。
可能な限り、軽やかに生きたいと思ってはいるが、
何でもいいということにはならない。
ある意味、一切のこだわりがなく人間は生きれるのだろうか? -
自らの「こだわり」に合う人やモノに触れると「快」を感じ、「こだわり」に反する現象に触れると「不快」を感じる。こだわりが強ければ強いほど「不快」な身体感覚を味わう回数と強度がアップしてしまう。「執着=こだわり」を手放し放棄することで人は幸福になれる。「それ、どうでもいい」と。嬉しかったことすら「ああ、これもまた今だけのもの、諸行無常」と心につぶやきながら受け流してやる。嬉しさを拒絶したり否定するのではなく、その瞬間をしっかり味わい尽くして執着しないという、一期一会の作法。
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何にもこだわらない人生なんて、生きる意味があるのか? などと考えながら読み始めましたが、やはり納得できない部分が多くありました。
しかし、「こだわらない」ことにもこだわらなくて良いと思えば、気が楽になりますね。
ひとつ、非常に共感できたのが「ありがとう」についてです。
『薬師』という漫画で「有り難し」を知って以来ずっと思っていたことが、そっくりそのまま書かれてあり、ビックリしました。
私も「ありがとう」という言葉は使いたくないのに、相手が満足するっぽいから使ってしまいます…
他の著書でも言及されているようなので、ちょっと見てみようかなぁ -
p92 勝者を引きずりおろしたい「平等精神」
p94 敗者の妬み、奴隷道徳
p102 他者のマナー違反が脅かすのは社会の平和ではなく、自分のこころの平和
p125 自分を正しい都思いたくてしょうがない、という自分の見解への執着は、
性的な思考はAVなどの妄想にとりつかれ、現実はただの皮膚の摩擦であるためのGapに萎える
p190 男性の性欲は、「自分の力が相手に大きな影響を及ぼしている」という支配欲にささえられている。
感じやすい女性が選ばれる⇒自分の影響力でこの人が気持ちよくなっている -
サラリーマンをしてると自分自身こだわりを持つこともあるし若いものたちに「こだわりを持って働け」と指導することもよくある。従ってすべてのこだわりから解脱することは無理と言えるがせめて「自分濃度」はほどほどにしていこうと考える。
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『考えない練習』と比べると、著者の人間臭さをより強く感じる。
肩のちからを抜いて書いている感じ。
物事を違ってた角度から照らし出して、「こだわること」から頭を解放させてくれる。
ただ、「こだわらない」というのも一歩間違えたら「こだわり」になってしまうのではないか、という疑問がわいた。
「ありがとうは『有り難し』」とか、逆に考え過ぎのような部分もあった。
他にも、「平等にこだわらない」の章にモヤモヤしたりした。
ブッダが身分差別を否定しなかったから、著者も身分差別を否定しないのか(奴隷の身分があっても良いと考えている?!)と正直引いてしまった… -
「私が見るところ、現代社会では、人々の流動性が高まり、個人個人の取り替えがききやすくなっています。それゆえに、特殊なこだわりによって差別化を図り、『自分は取り替えがきかないんだ!』と叫ぶのが流行っているのでしょう。
仏道という道すじは、それに真っ向から反して、『執着=こだわり』を手放し放棄することでこそ、人は幸福になれると指し示しています。」
「私たち人間がもっともこだわり、そこから”快”を引き出したがるのが、『理想的な、良いかんじの自分でいたい』という、自我に関するこだわり。そして、理想どおりの自分でいられないことが起こるたびに、”不快”を感じて苦しんでいるのです。
そんな袋小路から抜け出して、こだわりのない柔らかな心を味わうべく、本書が導きの糸となれましたらと願うところであります。
『それ、どうでもいい』と、軽やかに。」(はじめに)
「こだわりを手放す。(中略)まずは『自分が何にこだわっているのか?』に気づきを向けてみることが、第一歩となります。
そうした思考の姿勢の転換によって、ひょい、とこだわりが手放せることもあります。ただし、手放せるものは、手放せる。けれども、手放せないものは、手放せない。
心に強く食い込んでいて、強力な執着については、仮に「手放そう」と思っても、心がそれにより、”快”が得られた過去にしがみついて、手放せないものです。
そうしたレベルで心に染みつき、言わば”洗脳”されてしまっているこだわりを解き放つには、単なる思考の転換ではなく、修行という身体レベルでの、トレーニングこそが有用です。」(おわりに)
小池さんの本に出合ってそろそろ5,6年。
そうそう。そのとおり。そう考えよう。心を整えよう。
と思っても、そんなに簡単には、変わるものではない。
修行かー。