こだわらない練習: 「それ、どうでもいい」という過ごしかた

著者 :
  • 小学館
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感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093884006

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。ジョジョが好きな住職さんが書いた本です。
    日本では、オウム真理教の事件が起きてから、何かに信仰することがあやしいことのように言われるようになってしまった。それはつまるところ「無宗教」教という宗教が出来上がったということだ。そして、「無宗教」教とカルトは大差ないという。
    そんなことが書いてあって興味深かった。

  • 著者が日頃から思考実験を繰り返して結論の引き出しを蓄えているということがよく分かる。お酒でも飲みながら色んなテーマで語り合ってみたいw
    仏教のエッセンスとしての「執着しない」という価値観を、人生の様々な物事にどう適用すれば良さそうか、という内容。

    執着を捨て去ればなるほど苦しみはなくなるのかもしれないけど、同時に自己実現ゲームからは完全に降りることになる。苦しくもないけど楽しくもないんじゃないだろうか。分からん。

    メモ
    ・快を喜ぶと快に執着してしまい不快に苦しむことになるので、快を喜ぶことをやめ、諸行無常の構えで生きる
    ・自分のアイデンティティを仕事に置きすぎると、遊んだりゆっくりしたりしている自分に存在意義を見出せず不安になって、働きすぎてしまう
    ・他人の足を引っ張ることで平等を作ろうとする奴隷道徳が蔓延っている。官僚の特権はいけない、男女不平等はいけない、政治家が不正に利益を得ている、etc

  • 執着しない、こだわらない。
    なかなか難しいことだ。

    可能な限り、軽やかに生きたいと思ってはいるが、
    何でもいいということにはならない。
    ある意味、一切のこだわりがなく人間は生きれるのだろうか?

  • 自らの「こだわり」に合う人やモノに触れると「快」を感じ、「こだわり」に反する現象に触れると「不快」を感じる。こだわりが強ければ強いほど「不快」な身体感覚を味わう回数と強度がアップしてしまう。「執着=こだわり」を手放し放棄することで人は幸福になれる。「それ、どうでもいい」と。嬉しかったことすら「ああ、これもまた今だけのもの、諸行無常」と心につぶやきながら受け流してやる。嬉しさを拒絶したり否定するのではなく、その瞬間をしっかり味わい尽くして執着しないという、一期一会の作法。

  • 何にもこだわらない人生なんて、生きる意味があるのか? などと考えながら読み始めましたが、やはり納得できない部分が多くありました。
    しかし、「こだわらない」ことにもこだわらなくて良いと思えば、気が楽になりますね。

    ひとつ、非常に共感できたのが「ありがとう」についてです。
    『薬師』という漫画で「有り難し」を知って以来ずっと思っていたことが、そっくりそのまま書かれてあり、ビックリしました。
    私も「ありがとう」という言葉は使いたくないのに、相手が満足するっぽいから使ってしまいます…
    他の著書でも言及されているようなので、ちょっと見てみようかなぁ

  • p92 勝者を引きずりおろしたい「平等精神」
    p94 敗者の妬み、奴隷道徳
    p102 他者のマナー違反が脅かすのは社会の平和ではなく、自分のこころの平和

    p125 自分を正しい都思いたくてしょうがない、という自分の見解への執着は、

    性的な思考はAVなどの妄想にとりつかれ、現実はただの皮膚の摩擦であるためのGapに萎える

    p190 男性の性欲は、「自分の力が相手に大きな影響を及ぼしている」という支配欲にささえられている。
    感じやすい女性が選ばれる⇒自分の影響力でこの人が気持ちよくなっている

  • 情報過多でごちゃごちゃした自分をスッキリさせるための本。思考の断舎利おすすめ。こだわるなこだわるなこだわるな。


     仏教の真理は「こだわらないこと」それは知ってた。それを実践するためにはやっぱりコツが必要で、それを教えてくれるのが和尚さんで、この小池さんはそれを教えてくれる。
     瀬戸内寂聴ほど煩悩にまみれた人じゃない、ただの凡人だけれど、それでもこれだけ煩悩に囚われているんだ。一般人はもっと悶々しているはず、この本を読んでこだわりから解放されよう。


     この人の本を読んでいると、葬式仏教の終わりも近いだろうなぁと思う。物質社会になったからこそ、くだらない葬式仏教にも囚われることなく本当の精神的解脱が目指されるようになる。

  • サラリーマンをしてると自分自身こだわりを持つこともあるし若いものたちに「こだわりを持って働け」と指導することもよくある。従ってすべてのこだわりから解脱することは無理と言えるがせめて「自分濃度」はほどほどにしていこうと考える。

  • 『考えない練習』と比べると、著者の人間臭さをより強く感じる。
    肩のちからを抜いて書いている感じ。
    物事を違ってた角度から照らし出して、「こだわること」から頭を解放させてくれる。

    ただ、「こだわらない」というのも一歩間違えたら「こだわり」になってしまうのではないか、という疑問がわいた。
    「ありがとうは『有り難し』」とか、逆に考え過ぎのような部分もあった。

    他にも、「平等にこだわらない」の章にモヤモヤしたりした。
    ブッダが身分差別を否定しなかったから、著者も身分差別を否定しないのか(奴隷の身分があっても良いと考えている?!)と正直引いてしまった…

  • 「私が見るところ、現代社会では、人々の流動性が高まり、個人個人の取り替えがききやすくなっています。それゆえに、特殊なこだわりによって差別化を図り、『自分は取り替えがきかないんだ!』と叫ぶのが流行っているのでしょう。
    仏道という道すじは、それに真っ向から反して、『執着=こだわり』を手放し放棄することでこそ、人は幸福になれると指し示しています。」
    「私たち人間がもっともこだわり、そこから”快”を引き出したがるのが、『理想的な、良いかんじの自分でいたい』という、自我に関するこだわり。そして、理想どおりの自分でいられないことが起こるたびに、”不快”を感じて苦しんでいるのです。
    そんな袋小路から抜け出して、こだわりのない柔らかな心を味わうべく、本書が導きの糸となれましたらと願うところであります。
    『それ、どうでもいい』と、軽やかに。」(はじめに)
    「こだわりを手放す。(中略)まずは『自分が何にこだわっているのか?』に気づきを向けてみることが、第一歩となります。
    そうした思考の姿勢の転換によって、ひょい、とこだわりが手放せることもあります。ただし、手放せるものは、手放せる。けれども、手放せないものは、手放せない。
    心に強く食い込んでいて、強力な執着については、仮に「手放そう」と思っても、心がそれにより、”快”が得られた過去にしがみついて、手放せないものです。
    そうしたレベルで心に染みつき、言わば”洗脳”されてしまっているこだわりを解き放つには、単なる思考の転換ではなく、修行という身体レベルでの、トレーニングこそが有用です。」(おわりに)
    小池さんの本に出合ってそろそろ5,6年。
    そうそう。そのとおり。そう考えよう。心を整えよう。
    と思っても、そんなに簡単には、変わるものではない。
    修行かー。

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著者プロフィール

1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照(のちに空朴に改名)。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行う。執筆活動も手がけ、『考えない練習』(小学館文庫)、『しない生活』(幻冬舎新書)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、多くの著作を持つ。2018年9月に月読寺を引き払い、路上生活者に。11月には修行の旅に出る(現在は音信不通)。

「2019年 『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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