サイゴンから来た妻と娘 (小学館文庫 こ 27-1)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094088496

作品紹介・あらすじ

大宅賞に輝く伝説の名著が小学館文庫に登場

特派員としてベトナムに赴任した新聞記者が出会ったのは現地の美しい女性とその娘。結婚して日本にやってきた彼女たちが 繰り広げるカルチャーギャップと国際結婚の現実を描いた笑いと涙の作品。一九七八年に発表されるや 大ベストセラーとなり、NHKドラマ化もされた名作の新装版。 「夜中に腹が減ると納豆と卵で一杯かきこむことがよくある。妻は身震いしならが見ている。そして、『ああ、とんでもない野蛮人と結婚してしまった』と、嘆く」(本文より )著作累計100万部以上のノンフィクション作家となった著者の原点といえる傑作。解説は新井信さん。

感想・レビュー・書評

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  • 近藤紘一(1940~1986年)氏は、早大第一文学部仏文科卒のジャーナリスト、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家。
    近藤氏は、大学卒業後、産経新聞に入社し、1964年に元駐仏日本大使の長女と結婚、1967~69年にフランスに留学(欧州移動特派員兼務)したが、1970年に夫人と死別。その後、1971~74年に支局長としてサイゴンに赴任し、1972年にベトナム人と再婚(当時13才の娘も引き取る)。帰任後の1975年に臨時特派員としてサイゴンに派遣され、南ベトナムの無条件降伏、サイゴン陥落を現地で経験。1978~83年にバンコク支局長、その後、国際報道部次長、編集委員を歴任するが、1986年に胃がんのため死去。(享年45)
    サイゴン陥落を描いた『サイゴンのいちばん長い日』は、1975年の大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考まで残り、次作となる本書で、1979年の同賞を受賞(同年の同時受賞は沢木耕太郎の『テロルの決算』)。本作品はNHKの連続ドラマにもなった。(私は当時10代半ばで残念ながら記憶にはない)
    本書は、サイゴン駐在時に再婚したナウ夫人と娘のミーユンを東京に移住させ、共に暮らした3年ほどの間の日常を、ベトナムと日本のカルチャーの相違点(や共通点)という視点を中心に、綴ったものである。
    内容(目次)は、サイゴンからの子連れ妻、ベトナム式子育て法、わが家の性教育、妻は食いしん坊、夫婦そろって動物好き、いくらしたかね?、ミーユンの思春期、ベトナム難民の涙、ベトナムからの手紙、であるが、『サイゴンのいちばん長い日』でも垣間見られた、近藤氏の洞察力とユーモアのセンスにさらに磨きがかかり、時に納得し、時に驚き、時に笑い、時にしんみりしながら、あっという間に読み終えてしまった。
    そういう意味で、本作品はそれ自体を純粋に楽しむことができるのだが、近藤氏(もちろん、その作品も)をより深く理解するためには、最初の夫人との死別の経緯を知る必要があるだろう。近藤氏と付き合いの深かった編集者・新井信氏は、本書の解説でそれについて触れているのだが、外交官の娘として世界各地を転々として育った前夫人は、「文化的無国籍感」の重圧を抱え、近藤氏のフランス留学時に心身に不調をきたして、それが原因で亡くなったのだが、近藤氏は当時その不調に気付けなかったことへの罪の意識から逃れることができなかったのだ。近藤氏は、『パリへ行った妻と娘』(1985年)の中で「前の妻の死後、私は、過去のすべてを石の塊にして心の隅に封じ込めてしまうことにより、人生の継続をはかった」、そして、(人生の継続のために、ナウ夫人を)「利用した負い目を軽減し、蘇生させてくれたことへの借りを多少なりとも返すためには、可能な限り、彼女をしあわせにしてやる以外あるまい」と書いているのである。
    そして、その近藤氏は、ナウ夫人とミーユンを残して、45歳の若さで世を去ってしまうのだ。
    近藤氏の葬儀では、司馬遼太郎が弔辞を読み、その中には「君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました」というくだりがあったという。
    前述の通り、本書は単独で十分に面白いものだが、同時に、近藤紘一をもっと知りたいと思わせる作品である。
    (2022年10月了)

  • 誰か、自分を評価してくれる大きなものに承認されんがための文章を書かない人なのかな、と感じた。
    こう書いておけば間違いない、というアンテナ高き日本の「エリート記者」の定型文の嘘、面倒を嫌う怠惰に対し、それに対するカウンターをしっかりかたちにする力、胆力のある人だったのだろうと思う。
    佐々木俊尚さんのお勧めだったので手にした一冊。

    司馬遼太郎氏による弔辞抜粋。
    流石の文章。

    競争心、功名心、そして雷同性というこの卑しむべき三つの悪しき、そして必要とされる職業上の徳目を持たずして、しかも君は、記念碑的な、あるいは英雄的な記者として存在していました。それは、稀有なことでした。 君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました。他人の傷みを十倍ほどにも感じてしまうという君の尋常ならなさに、私はしばしば荘厳な思いを持ちました。そこにいる人々が、見ず知らずのエスキモー人であれ、ベトナム人であれ、何人であれ、かれらがけなげに生きているということそのものに、つまりは存在そのものに、あるいは生そのものに、鋭い傷みとあふれるような愛と、駈けよってつい抱きおこして自分の身ぐるみを与えてしまいたいという並みはずれた惻隠の情というものを、君は多量にもっていました。それは、生きることが苦しいほどの量でありました。

    p200
    皆といっしょに右向け右をしていれば、世間も人並みに扱ってくれる。余りうるさく異論を唱えるものがいたら、衆をたのんで押しつぶしてしまえばいい。しかも人々は、自分を自由だと感じることができる。権威は自らの存在にとって無害の自由に対しては寛容だからだ。
    自由を享楽し、保護され、しかも自ら判断、選択を下す必要はないのだから、これはこれで気楽な状況だろうと思う。私たちがはたからみればファッショとしかいいようのないような、がんじがらめの組織社会、管理社会に生きながら、結構満足して日々を送っているのは、この気楽さを好む習性からなのかもしれない。

    同時に、もしそうなら、自由とは案外しんどいものなのだな、というようなことをたびたび感じた。

    なぜ解放された国から難民が出るのか。それを理解しようとしないのも、基本的にはこの心の貧しさからだろう。最初から理解しようという気持ちを放棄して、もっともらしく辻褄だけ合わせようとするから、短絡な解答しか見出せない。

    p288
    なぜ人々は生命の危険を冒して夜の海へ逃げるのか。生まれ育った地に断腸の思いを残しながら、なお難民という、日常の想像力の埒外の境遇を自ら選ぶのか。
    畢竟それは、心の問題ではないのか。
    それが正しかったか正しくなかったかは別として、旧南ベトナムの多くの人それなりに自由な境遇の中で、その自由を享楽し、かつ、その重さに苦しみながら、したたかに自らの価値観に従って生きてきた。いま、そうした自由はすべて"偽りの自由"である、ときめつけられる。てんでんばらばらの発想や生き方は反革命行為として最も厳しく糾弾される。朝は六時に起きて体を鍛えろ、ホー・チ・ミンの名前を口にするときは必ず「ヴィーダイ(偉大な)」という形容詞をつけろ、何? 隣の県へ旅行したい?何の目的で、誰に会いに――。
    自由な人生を生きてきたものにとって、この価値観の強制転換ほど辛いことはあるまい。やはり人々は、その辛さ、苦しさも含めて、自由の味を知っていたから逃げたのではないか。だからこそ、精神の自由を知らず、自前の価値観を持たぬ人々には、なぜ彼らが逃げたのか理解できぬのではないかと思う。
    同時に私には、いまなお難民を生むことの悲しみに最も心を痛めているのは、ハノイの指導者たちではないのか、と思えてならない。

  • 「近藤紘一」の作品で1979年の第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品『サイゴンから来た妻と娘』を読みました。

    『目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より』に続き「近藤紘一」作品です。

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    大宅賞に輝く伝説の名著が小学館文庫に登場

    特派員としてベトナムに赴任した新聞記者が出会ったのは現地の美しい女性とその娘。
    結婚して日本にやってきた彼女たちが 繰り広げるカルチャーギャップと国際結婚の現実を描いた笑いと涙の作品。

    一九七八年に発表されるや 大ベストセラーとなり、NHKドラマ化もされた名作の新装版。
    「夜中に腹が減ると納豆と卵で一杯かきこむことがよくある。
     妻は身震いしならが見ている。
     そして、『ああ、とんでもない野蛮人と結婚してしまった』と、嘆く」(本文より )
    著作累計100万部以上のノンフィクション作家となった著者の原点といえる傑作。
    解説は「新井信」さん。
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    「近藤紘一」が、サンケイ新聞サイゴン支局長としてベトナム赴任中に結婚(再婚)した「ナウ婦人」と、その娘「ミーユン」との生活について描いた作品です。


     ■序文 野地秩嘉
     ■サイゴンからの子連れ妻
     ■ベトナム式子育て法
     ■わが家の性教育
     ■妻は食いしん坊
     ■夫婦そろって動物好き
     ■いくらしたかね?
     ■ミーユンの思春期
     ■ベトナム難民の涙
     ■ベトナムからの手紙
     ■あとがき
     ■解説 近藤紘一の死と再生 新井信


    国際結婚の苦労も多かったと思いますが、軽い語り口で愉しく描かれており、「近藤紘一」の奥さんや娘に対する愛情が感じられる一冊でしたね。

    「ナウ婦人」や「ミーユン」のことだけでなく、二人を通じてベトナムや、ベトナムに住む人々の文化や風習、価値観等を知ることができました。


    自然の恵みがケタ外れに豊かで、長年にわたり中国、フランスという食文化の二大師匠の薫陶を受けた豊かな食文化、

    人数が流動的な大家族… その中での家長を中心とした厳しい上下関係(家長への絶対服従)や、意外にも厳しい子育て、

    どの家庭でも妻の地位が高く、将軍であっても恐妻家、

    与えられた状況をいかに利用し、いかにこの世を楽しく生きるかという現実主義から生まれるさまざまな面でのエネルギー、

    ベトナムに対する、これまでの漠然としたイメージが、少し明確になりましたね。


    ひと口にベトナムと言っても、自然環境や歴史的背景の違いから南北で大きく気質が違うことや、、、

    インドシナ半島の各国… ベトナム、ラオス、カンボジア、タイって、ひとくくりに考えていたけど、それぞれに違いがあることについても、なんとなく理解できました。


    ベトナムのことを、もっと知りたくなりましたね。

  • ベトナム難民というのはこういう事情でだったんだ。知らなかった。
    奥さんにベトナム女性を迎えて色濃いベトナム文化を教えてくれるこんな本が大好物。
    ウサギの話、好き。続編も気になる。

  • 文春文庫の復刻である。サンケイ新聞特派員なので、南側というバイアスはかかっているものの、ベトナムの文化、特にホーチミンの文化については詳細に理解することができるので、ベトナムに旅行に行く観光ガイドの一部として読むことがいいであろう。卒論には使えないが。

  • 作者は若く亡くなっていた。その後の妻子の情報を少しネットで調べてみた。作者は、自殺した前妻と真逆な逞しいベトナム人妻との生活で再生を図ったのかなあ。

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