- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001661
作品紹介・あらすじ
「良き音楽」は愛と同じように、いくらたくさんあっても、多すぎるということはない――。グレン・グールド、バーンスタイン、カラヤンなど小澤征爾が巨匠たちと過ごした歳月、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーの音楽……。マエストロと小説家はともにレコードを聴き、深い共感の中で、対話を続けた。心の響きと創造の魂に触れる一年間にわたったロング・インタビュー。
感想・レビュー・書評
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予想以上に面白かった。
やはり村上春樹は小説よりこういうインタヴューものやエッセイの
ほうが良いのではないだろうか。
それもクラシックオタクではなくもう評論家・研究家の域なので
小澤さんが知らないことや気づいていなかったことまで
深く掘り下げることができる。
指揮や楽器を学んだらそこそこプロとして活躍できたのでは
と思わせられるほどの注意力、洞察力がある。
題材は以下。いずれも素晴らしい曲ばかり。BGMにどうぞ。
マーラーの9番なんて泣けてきそうです。
・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番
・ベルリオーズ幻想交響曲
・ブラームス交響曲第1番4楽章
・マーラー交響曲第9番4楽章、1番3楽章
小澤さんの指揮は5年前にウィーンフィルの公開リハーサルで見たきり。
リハーサルを聞きに来ただけと思っていたら突如舞台に立ちフィデリオを指揮。
闘病中と聞いていたので胸にグッとくるものがあるのを思い出しました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジャズバー経営の経歴をもつ村上春樹さんだが、クラシック音楽の視聴歴もそれに劣らないくらい長く、かつ深い。
小澤征爾さんが病気療養を余儀なくされた期間中、様々なレコード演奏を聞きながら、小澤さんが師事したカラヤン、バーンスタインがどうやってテンポの取り方やオーケストレーションを作っていったのかマエストロの口から語られる。プロならば当然の常識だろうけれど、一般の音楽ファンにとっては新鮮な知見が披露され興趣はつきない。
聴き手である村上さんのクラシック音楽への理解の深さがなせるわざか、小澤さんへの質問が絶妙で、お二人のやり取りを追っているうちに、こちらも一緒に現場で音楽を聴いているような感覚につつまれる。
まさに奇跡のインタビュー。
白眉は、本書終盤に出てくる、小澤さん主宰のスイスでの若手演奏家に対する弦楽四重奏のトレーニング。
最初はバラバラだった4つの音が、互いの音をきき、プロからの細かなアドバイスを受けながら、全体として人を感動させる「音楽」に仕上がっていく。
クラシック音楽を聴く喜びを堪能できる一冊に仕上がった。 -
音楽の知識がゼロでも読み物としてなぜか楽しめてしまう一冊。わたしはピアノも弾けないし、学生時代の音楽鑑賞会で寝てしまうような音楽好きからしたら怒られるような存在です。そんな自分でもボリューミーな本書を楽しむことができました。それはおそらく、村上春樹さんならではの読ませるテンポのおかげかもと思っています。村上さんは本書の中で、文章も音楽も素晴らしいものには魅せるテンポなど共通点があるようなことを話されています。そして、わたしは本書を小澤征爾さんが指揮されるオーケストラを聴きながら読みましたが、不思議なことに、全く眠くなりませんでした。わたしが大人になったのか、素晴らしいものは眠くならないのか。
とにかく、クラシック音楽に造詣がある方が読んだらもっと楽しめるんだろうなと思います。
■一体どういう曲なのだろうと興味が湧く
クラシック音楽の知識がゼロです。そんな自分でも、どういう曲なのか読んでいるうちに興味が湧き、youtubeで探しました。特にページ数をかけて語られていた、マーラーについては明日からも聞いていきたいと思わされました。
■楽しむ音楽のジャンルが違うだけかもしれない
村上春樹さんは、いつの公演といつの公演がどうとか、同じ曲を違う指揮者が振るとどうとかそういうレベルのお話をされます。そしてその曲ができた背景や時代も考察して音楽を楽しまれており、クラシック音楽をハイレベルで楽しめる方の感覚に圧倒されます。
ところで、わたしはクラシックの知識はありませんが、似たような感覚を思い出しました。薄っぺらい話ですが、アイドルの公演の比較です。確かに、あの時の公演の歌はとか、同じ曲でも違うメンバーとかカバーだとどうとか比較して見がちなんですよね。バンドとか歌手でもそういう感想ってあると思います。音楽の楽しみ方の根本って意外と共通しているのかもしれません。
■本書を読む前に
特にクラシックファンではない方は、
ボクの音楽武者修行/小澤征爾 は必読です。
わたしは事前に読んでいたので、少し前提知識があったので本書を読みきれたかもしれません。こちらは音楽談義よりも、小澤征爾さんの26歳くらいまでの人生を振り返ったエッセイという感じです。
感想:https://booklog.jp/users/rocobooks/archives/1/4101228019-
アイドル公演との比較、全然薄っぺらくなんてないと思います。生とはそういうもの、同じ曲と進行なのに、公演によって全然違うってことあると思います...アイドル公演との比較、全然薄っぺらくなんてないと思います。生とはそういうもの、同じ曲と進行なのに、公演によって全然違うってことあると思います。その違いの一つに観客の中の一人の自分が関わっているかと思うと喜びもひとしおですよね。
わたしも初心者ですが、クラッシックもっともっと楽しんでいきたいと思います。2024/04/06 -
コメントありがとうございます。共感いただき嬉しいです。どうもわたしの先入観で音楽の中でクラシックが一番高尚なイメージがあり、そういう表現とな...コメントありがとうございます。共感いただき嬉しいです。どうもわたしの先入観で音楽の中でクラシックが一番高尚なイメージがあり、そういう表現となりました。
アイドル公演中に、「ここは!」という違いを見つけるのはとても楽しいですよね。クラシックもネットでいろんな公演が聞けるので楽しんでいきたいです。2024/04/10
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深い。深すぎてついていけない。
なんだ、この知識量は!
こんなふうに一つの曲を聴き比べたことなんてない。
ピアノ曲はさすがに弾く人によって違う、好き嫌いもあることが体感としてわかってきた。
でもオーケストラや指揮者の違い、プラスそのコンビネーション、さらにソロを取る人の組み合わせって計り知れない数になる。それらを飄々と語り合っちゃう二人、すごすぎる。
慌てることはない。
人生の最後までゆっくり音楽は楽しめばいい。
とは、思っているけどね。 -
ハルキストでも熱狂的なオザワ信者でもないが、それでも、読み進むうちにどんどん膝を乗り出すように2人の対話に引き込まれてしまった。
音楽家は、楽譜に書かれた音符を通し作曲家と対話することで音楽と向き合う。それに対して、楽器を弾かず、ろくすぽ譜面も読めず、だが人一倍音楽を愛する人間は、とかく聴こえてくる音楽のむこうになにかしら文脈のようなものを読み取ろうとするものである。ここでの村上春樹の立場は、いわばそうした「音楽愛好者の代表」にほかならない。ぼく自身、まさにそのようなごくふつうの「音楽愛好者」なので、この本の中での村上春樹の発言やその意図については手に取るようにわかる。
ふつう、おなじ「音」について語ったとしても、こうしたまったく異なるアプローチの仕方で音楽とつきあってきた者同士の対話は失敗に終わることが多い。
ところが、会話が「滑ってる」という印象を受けないどころか、むしろ「奇跡」と呼んでよいほどに濃い対話が生まれているのは、それが一流の音楽家でありながら誰よりも強い好奇心と行動力をもつ小沢征爾と、音楽愛好者でありながら作家として誰よりも深い洞察力と多彩な語彙をもった村上春樹という選ばれた2人によるものだからにちがいない。元々、音楽を離れたところで2人が友人であったという事情も大きいだろう。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をめぐっておこなわれた「第1回」のインタビューでは、村上春樹による巧みなリードの下、「指揮者という仕事」についてその手の内を明かすようなエピソードがさまざま語られていて興味深い。たとえば、太く長い「線」をつくることをなにより重視するカラヤンの音作りの指向性(文中、小澤は「ディレクション」と呼んでいる)は、たしかに指揮者カラヤンの音楽性を端的に表現したものである。
いっぽう、第3回「1960年代に起こったこと」を読んで、ぼくは、他にもたくさん優れた才能の持ち主がいるなかでなぜオザワが世界の頂点にまで登り詰めることができたのか、その「秘密」の一端に触れえた気がした。それは小沢征爾の天性の「人間力」、そしていい意味での「鈍感力」ではないか。
そのことは、第5回「オペラは楽しい」にもつながっている。しばしば「総合芸術」といわれ、音楽以外にも文学、美術、歴史などヨーロッパの文化や伝統に対する深い理解を求められるその特異な世界にあって、楽譜を深く読み込む力さえあれば十分通用することを小澤は証明してみせた。これは、もう、本当にすごいことだと思うのだけれど、ザルツブルグで、しかも『コシ・ファン・トゥッテ』(!)で彼をオペラデビューさせたカラヤンの慧眼にも驚かずにはいられない。
だが、いちばん興味深かったのは、小沢征爾がスイスで開催している若い音楽家たちのためのセミナーについて語り合った第6回「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」。現地で視察した村上春樹によるレポートも併せて収められている。
技術を超えたところで、はたして「音楽」はどのように教えられるのか、教えられたものはどのように咀嚼され、継承されるのか。音楽家にとってはあたりまえでも、音楽愛好者にとっては秘密めいた儀式のようにもみえるそのやりとりが、「文字で」書かれていることにまず感動をおぼえる。目の前に、予期せぬご馳走を並べられた気分。
「それはちょっと僕には聞けないことだし、聞いてもきっと正直には言わないだろうな」。村上春樹が、セミナーに参加した東欧人+ロシア人からなるクアルテットに「どうして(自分たちのルーツとは疎遠な)ラヴェルの楽曲をあえて選んだの?」と質問したと聞いたときの小澤の反応である。
単身ヨーロッパに渡り、「東洋人がなぜベートーヴェンやモーツァルトを演るのか? バッハは理解できるのか?」と言われながら現在の地位を得た小沢征爾の胸中には、そのときさまざまな思いがよぎったことだろう。そして、なによりも大切なのは、音楽と深いところで対話すること。それさえできれば、どこに行っても通用する。彼が若い音楽家たちに伝えたいのは、あるいはそういうことかもしれない。
文庫版の付録には、一度は引退を決めたジャズピアニスト大西順子を小澤がサイトウキネンフェスティバルになかば強引に引っ張り出し、共演を果たした際のエピソードが明かされている。そんな出来事があったとはまったく知らなかったのが、たまたま入った喫茶店で小澤・大西両氏の打ち合わせ場面に遭遇したぼくとしては、とても興味深かった。
たぶん、いずれまた読み返すであろう刺激的な一冊。 -
当たり障りのない対談かなと思って読み始めたら、とんでもない。ご本人も「これは残すべき」と思われたと言うくらい、貴重な会話でした。
若き日のマエストロの師匠、レニー氏やカラヤン先生の思い出や、コンツェルトでの指揮者とソリストの力関係などクスっと笑える話、音楽の解釈や良き音楽ができる過程など、本当に面白いです。
ブラームスの交響曲で、ホルンの息継ぎを消す消さないの問題があったり、一方で、スイスの合宿では弦楽器は「不幸にして」息継ぎがないのでブレスを意識して演奏しなければならない、と指導があったり。音楽の解釈は一つではなく、幾通りものやり方があって、その中から信じるものを選び、構築していく。大変な作業のようです。 -
3回は読み返してるけど、毎回読んでよかったと思う。
何度も手に取ってしまう理由を言語化しようと試みたけど、諦めました(*´∇`*)
クラシックを鑑賞する面白さを理解したい。
小澤征爾の仕事(指揮者)を少し理解したい。
笑いたい。
そんな欲求を満たしてくれた素敵な本です。
二つ以上当てはまる方、ぜひ読んでみてください!
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クラッシック音楽の聴き方変わる。
「厚木からの長い道のり」に向けての物語のようだった。
村上春樹が見る小澤征爾の想いが胸を熱くさせた。
まさかこんなにすばらしい物語が読めるとは思ってもいなかったので、買ったまま本棚に置いたままで読むのを忘れていたのが残念でしょうがない。
p84 小澤「・・・墨田区のトリフォニーホール。あれが今、東京の中では、レコーディングするにはいちばん良いホールだと思います」
世界の小澤の褒めるホールがうちの近くにあるとは! -
こんなマニアックそうな対談、私に読めるかしらとずっと積読状態だったのですが…
もっと早く読めば良かった -
同じかもしれないし、違うところもある、二人の話。
村上春樹のエッセイが好きだ。ジャズが好きなのは知っていたけれど、クラシックにも詳しいとは。レコードを聴き比べたことがないし、それほどオーケストラに思い入れもないけれど、二人の対談は色々と感心することが多かった。指揮者の話、小澤さんの考え方だけでなく、バーンスタインやカラヤンほかの指揮者、またソリストのことや、弦楽四重奏の魅力など、今まで注目していなかった世界を知ることができた喜び。
「良き音楽」とは。楽譜を演奏するとは。指揮とは。考えたら、楽譜を書いた作曲者の意図は、もしかしたら指揮者や演奏者が思っているのと、全然違うかもしれない。それは、作家が描いた物語が、全然意図していない、もしくは意図していたものを超えて、読者に読まれるのと似ているのかも。でも、音楽は、作曲者、指揮者や演奏者だけでなく、聴く人というポジションもある。
異なるかもしれないけれど、通じ合えるかもしれないところ。それを探すのは、ロマンだな、と。