草枕 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010090

感想・レビュー・書評

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  • 人の世に疲れた主人公の非人情の旅ということで、あまり接点はないが、彼女に振られた悲しみを別の形に変えるべく70キロ自転車を漕いで大阪から滋賀まで行った当時の一人旅を思い出したりした。

    正直かなり難しかった…
    那美さんとの会話は自分も心地良くて、楽しかった。

    読むにあたって文体そのものにも苦労したけど、1番は自分の頭の中に当時の様な情景を補完できる元のイメージがなさ過ぎる所。
    頭で情景を組み立てながら読んでいるから、当時の日本の資料や写真だったりでイメージを作ってから読むのがいいかもしれない。

  • 墨画を旅するような。
    エッセイとも詩とも。
    こま切れの時間で読み進めるには難しく感じた。
    再読したい。

  • 最終盤で急に尾崎豊みたいなこと言い出す小説、と表現すれば読む興味も多少湧いてくるのではなかろうか。
    文章は難しく、そして長い。頁をめくった時に目に見える範囲が丸々文字で埋まっていた時の絶望感。我慢して読むしかないが、正直内容はほとんど頭に残らない。
    しかし、終章で様子が変わる。文章がスラスラと頭の中に入ってくる。そして現実へ引きずり出された余≒夏目漱石がどこか尾崎豊みたいな調子で汽車に詰め込まれた人間の個性について「あぶない、あぶない」と嘆き出す。
    『草枕』と言えばその冒頭が有名だが、この最後の部分にこそ読者の心を動かすエッセンスに満ちていると思う。そして何よりラストの余韻。芸術の本質がほんの一瞬だけ覗いたような、そのとても美しい終わり方には惚れ惚れする。

  • 北鎌倉の円覚寺へ行くたび、本著を想う。漱石と同じシチュエーションで僧侶から「その先は何もありませんよ」と言われ、私の姿を振り返ることなくそのまま過ぎ去って欲しいと。

  • 椿が池に落ちる様は、毒々しくも鮮やかだ。詩的な文体がリズムを与え、画家の旅情を効果的に演出する。風景を孕みながらの展開が穏やかで、心情に迫る。読むのではない、言葉や音を聴き、映像にする。作者がその様に導いた。夢み心地の読後感に、またうつらうつら..夢をみる。

  • あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

    明暗は表裏の如く、日のあたる場所には屹度影がさす

    大事なものが殖えれば寝()る間も心配だろう

    冴える程の春の夜だ。

    蚊がいる、、

    食べ物を見て美しい、海老と蕨のいろ、羊羹の肌合

    この夢の様な詩の様な春の里に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは温泉(いでゆ)のみと思い詰めていたのは間違いである。

    世界はもう二つに為った。

  • 主題がよくわからない・・・。文語調的であることもあって、読みづらく感じました。内容がよくつかめないまま読了・・・

  • 素晴らしく情の通った文章の美しさに、びっくりしてしまう。
    織りなされる風景のひとつひとつが、なんと鮮やかな光を宿し、あるいは柔らかい影を宿していることか。そして、その美しさが、どれほど人の心というものに根ざしていることだろう。

    あまりごちゃごちゃ感想を言うより、その文章を抜き出す方がいいだろうと思う。以下、私がもっとも好きだった、木蓮の描写。

    「庫裏の前に大きな木蓮がある。殆んど一と抱(ひとかかえ)もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があれば猶見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間がほがらかに隙いている。木蓮は樹下に立つ人の目を乱す程の細い枝を徒には張らぬ。花さえ明かである。この遥かなる下から見上げて一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまでも簇(むら)がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにも関わらず一輪は遂に一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望まれる。花の色は無論純白ではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥ゆかしくも自らを卑下している。余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏に蔓(はびこ)る様を見上げて、しばらく茫然としていた。目に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
     木蓮の花許(ばか)りなる空を瞻(み)る
     と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。」

  • 「智に働けば…」だけは知っていた。いつか読まなきゃとずっと思ってて、先日『神様のカルテ2』を読んだのを機会に読んでみた。

    きっと那美さんとの恋愛が描かれるんだろうな思いながら読み進めていたら、まったくそんなことなく、いわゆる小説としては「結局なんなの?」といいたくなるような作品。ただそれも解説を読んで腑に落ちたり、反省したり。

    解説によれば、漱石自身この作品を「俳句的小説」と呼び、「筋」のようなものが積極的に斥けられている。「漱石が過剰に“言葉”をもっていた」にはとてもよく頷ける。漢語がたくさん出てきて、いちいち注解を見るのが面倒でけっこう流してしまった。鷗外の作品でも似たような状況になったな。

    作中で紹介しているように、おみくじを引くように、ぱっと開けて、開いたところを漫然と読むのがいいのかもしれない。振り返ってみれば主人公が「筋なんかどうでもいい」って発言してた。

    漢語をふんだんに使った文章は無駄が少なく、リズムが良い。神様のカルテを読んだ後だからかこの調子にはすんなり入れた。

  • 冒頭の数行を、宙で諳んじられるようになりたい。

    そんな本書を読むにあたっては、柄谷氏の解説がとても役に立ちました。
    解説では、本書を、徹頭徹尾、「言葉」で織りあげられたものと評しています。解説のとおり、絢爛豊富な「言葉」に終始圧巻のおもい。まるで厚塗りの油彩画の様な印象を抱きました。

    また、作中、主人公が述べた筋を読まない小説の読み方に、本書はうってつけではないかと思う。
    先ほども述べたとおり、本書は豊満な言葉群を有しておりますが、その言葉群に比して、その物語性は極めて希薄です。そんな本書だからこそ、適当に開けた頁をいい加減に読む楽しみが出来るのかもしれません。
    そういう意味で、本書はこれまで読んできた本と一線を画する特異な本で、むしろ詩に近い気がします。

    「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
    住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が造った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。」

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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