河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101025063

感想・レビュー・書評

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  • 「大導寺信輔の半生」(だいどうじしんすけ)
    大正十四 年一月
    芥川の自書自伝ということ
    とても、とても興味深いです
    本所、牛乳、貧困、学校、本、友だち、、

    「玄鶴山房」(げんかくさんぼう)
    昭和二年 一、二月
    読み進めるうちにぞわぞわぞくぞく、、山房内の物理的には狭い空間での出来事。しかし内部の人間の仄暗い思いがどこまでも這うように広がっていくかんじがする。
    解説によると、これは“念には念を入れた、まったく用意周到な、細工のこまかい、小説である”と。

    「蜃気楼」
    昭和二年 三月
    文庫解説より“芥川がもっとも自信をもった作品であり、(中略)全篇無気味な美しさから成立っている。”

    「河童」
    昭和二年 三月
    kappa memo
    医者 チャック
    漁師 バッグ 最初に見かけた
    硝子会社の社長 ゲエル 資本家
    学生 ラップ
    詩人 トック 超人倶楽部
    哲学者 マッグ 超人倶楽部
    作曲家 クラバック 超人倶楽部
    裁判官 ペップ
    政治家 ロッペ クオラックス党
    新聞社社長 クイクイ プウ・フウ新聞
    音楽家 ロック
    元郵便配達員 グルック 万年筆を盗んだ
    長老

    これは何度読んでも傑作。大好き

    「或阿呆の一生」
    昭和二年 十月(死後発表)
    ほぼ遺書なんだろうけどもう死の淵にもう両足を突っ込んでいるであろう闇

    「歯車」
    昭和二年 十月(死後発表)
    未読、、、また別の機会に読む

  • 怖くて怖くて悪寒を感じながら読んだ
    私が今まで知っていた作者とは違う
    それでも惹きつけられる世界観に
    次々とページをめくってしまう
    心が軋む音が聴えそうな1冊

  • 悲しくて痛々しい
    引きずり込まれそうになる

  • 芥川龍之介の命日「河童忌」はこの作品のタイトルにちなんでいるとか、芥川は河童の絵を描くのが大好きだったとか、この作品のあとに「将来に対する唯ぼんやりとした不安」と遺書を残して自殺した、など聞き、気になっていたものの、ン十年も心の中で積ん読になっていました

  • 幻覚、幻聴、タイムスリップ、過敏性、あらゆる病的体験が網羅されている印象があります。最初に読んだのは高校生のときだったけれど40年ぶりくらいに読み直してみて記憶にあったのは「1行のボオドレエル・・・」の部分だけだった。

  • 総じた感想は晩年作は河童が一番面白かったが
    他はさほどでもなかった。


    ・河童
    精神病院患者が河童の世界での
    体験談を語る話。
    河童とゆう架空世界側から
    当時の人間世界の社会を風刺している。

    河童の世界では
    産む側がこの世に産まれさせるかを判断する
    人間の世界と違い、
    産まれる側がこの世に産まれたいかを判断できる。

    個人的に再度読み返したい。
    印象的な陰鬱な作品だった。


    ・玄鶴山房
    暗澹たる一家とその亭主の最期。
    告別者の参列者たちが話す、
    「あの爺さんも本望だったろう。
    若い妾も持っていれば、小金もためていたんだから」
    とゆうセリフが印象的。


    ・歯車
    精神を病み死の淵にいる人の
    心理状態が書き表されていた。

    芥川の死の動機は
    「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安。」
    だとゆう。

    今作中の妻の言葉。
    「どうもした訳ではないのですけれどもね、
    唯何だかお父さんが死んでしまいそうな
    気がしたものですから。……」


    ・或阿呆の一生
    印象的なシーンは
    「おれはこの女を愛しているだろうか?」
    「おれはいまだに愛している。」

  • 天才。子供の頃に「鼻」、「父」といった作品は読んでいるし「鋭い心理描写だなぁ」と感じた様な記憶は何と無くある。ただ大人になってこうした晩年の作品を読むと、「心理描写」といった言葉に括れない凄味があることがわかる。

    日本文学は夏目漱石や森鴎外といった系統と、川端康成や三島由紀夫といった系統に大きく分かれると勝手にカテゴライズしていたが、芥川はその二系統を軽く凌駕する。強いて言うなら太宰に近いものを感じるが、太宰は此処まで心象風景が上手くない(太宰ファンの方々、ごめんなさい…)。

    「彼は今で言うところの統合失調症だったんだろうなぁ…」この一冊に収められている短編を読み終えて、そんな事を感じた。

  • ―僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?(239)

    ここには芥川の晩年のすべてが詰まっている。


    「大導寺信輔の半生」
    予は父母を愛する能はず。否、愛する能はざるに非ず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌を以て人を取るは君子の恥づる所也。況や父母の貌を云々するをや。然れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。(15)

    信輔を以て彼の心の吐露を連ねる。信輔の半生にどれほど自身を重ねたか。


    「玄鶴山房」
    のみならず死はいざとなって見ると、玄鶴にもやはり恐しかった。彼は薄暗い電燈の光に黄檗の一行ものを眺めたまま、未だに生を貪らずにはいられぬ彼自身を嘲ったりした。(53)

    愛人に入れ込んだ玄鶴の終わりを描いたもの。彼の家庭は静かに、だが確実に崩壊しており、彼はそれでも愛人を求めようとする。その様を淡々と眺めて冷笑する看護婦の甲野は、やけに人間臭く、だがこれが世間だと思い知らされる。


    「蜃気楼―或いは「続 海のほとり」―」
    芥川の文体の美しさを表現した短編。この本の中では特殊な位置にあるように思う。


    「河童」
    我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化していない。(115)

    或拍子に、河童の世界に足を踏み入れた「僕」。その世界は人間の世界とは種を異にしていた。河童の語る宗教や生死感、恋愛感などは芥川の代弁であろう。
    そして河童の世界から人間の世界に戻って精神病患者扱いされる様も。


    「或阿呆の一生」
    いえ。死にたがっているよりも生きることに飽きているのです(184)

    五十一編の中に彼の死への羨望がよく読みとれる。彼は彼自身を嘲り、死の齎す平和を思った。

    「歯車」
    彼が見たという歯車は、閃輝暗点だと言われている。私もその症状を持っており、改めてこれを読むと同じものだと思う。彼は歯車を見るたびに自分が狂人になったと悲観する。私は、果たして狂人なのだろうか?彼が見たという歯車が見える私は。

  • 独特な河童の世界に引き込まれる。

  • 「大導寺信輔の半生」
    必要以上に露悪的である
    自虐がかっこいいと思っていそうな内容だが
    それは半分間違ってると思う
    半分正しいと思う

    「玄鶴山房」
    いずれにせよ、人間最後は一人で死んでいくしかない
    死こそ唯一平等に与えられた個人の特権である
    しかしそれは生を謳歌する者にとっての恐怖でもある

    「蜃気楼」
    蜃気楼の見えることで有名な海岸を、昼と夜の二度にわたり
    妻や友人を連れて龍之介が散歩するという
    ただそれだけの小説であるが
    一日の変化が、丸ごと一枚の絵に凝縮された
    四次元的風景画とでも呼ぶべき、奇妙な迫力と美しさがある

    「河童」
    芥川の思う理想世界を、河童に託して描いた物語
    しかしそこに住まう河童どもは、ことごとく鈍感で無神経で
    他者に対する冷淡さを隠そうともしない
    自意識ばかり高い、物質主義者のご都合主義者で
    自虐すらナルシシズムを満足させるための道具とする
    それが、理想主義の正体であると
    芥川は見抜き、自己批判して見せたわけだ

    「或阿呆の一生」
    太宰にせよ三島にせよ川端にせよ
    小説家の自殺原因は、いずれもその根底に
    「才能の枯渇」への恐怖があると思う
    芥川は、一人の人間であると同時に
    一個の小説製造マシンでもあった
    彼の中では、常に人間とマシンがせめぎ合っていたようである
    人間性にこだわって小説を書き続けるならば
    彼はいずれ発狂を免れないだろうし
    マシンとして生きながらえる道を選ぶことは
    おそらく彼の自意識が許さなかっただろう
    そこで第三の道、と相成るわけだが
    しかし僕がこの「或阿呆の一生」を読んで感じたことは
    書けなくなる絶望からの逃避というよりも
    死を踏破し、戻ってこようとする妄想的な希望であった

    「歯車」
    何者かの意志が運命の歯車を回し、おれの命を狙っている
    そんなような妄想に恐れおののく芥川
    しかし心のどこかではそれを待ち望んでいたはずなのだ
    小説のネタになるから

著者プロフィール

1892年(明治25)3月1日東京生れ。日本の小説家。東京帝大大学中から創作を始める。作品の多くは短編小説である。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材を取ったものが多い。また、『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向け作品も書いている。1927年(昭和2)7月24日没。

「2021年 『芥川龍之介大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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