- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101135076
感想・レビュー・書評
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ずっと気になっていた本で、ここのところ児童文学を読み始めたことを機に手にとった。東北に残る座敷わらしの言い伝えを生かし、主人公の少年が成長する話。妖怪のおどろおどろしい空気はなく、ユーモアあり、心打つ話あり。まさに小学高学年の子供たちに読んでほしい一冊。2018.6.8
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東京から東北の村へ転向してきたユタ(勇太)は周囲になじめず他の子供たちからはモヤシと呼ばれていた。
そんなユタに旅館で働く寅吉じいさんは満月の晩に大黒柱のある部屋に一人で泊まると座敷わらしと出会えると話すのだった。
ユタが意を決してその部屋に泊まると・・・。
先日行ってきた金田一温泉を舞台にした三浦哲郎さんの児童文学。
そういえば、東北旅行してから甥っ子が少し逞しくなったみたいです。
オイラはオーブを写せただけで、ペドロみたいな座敷わらし達には出会えなかったけど、甥っ子たちは秘密にしているだけで座敷わらしに会って冒険してきたのかもしれないなぁ。 -
言葉の使い方が良い。バリカンよりハサミ。20人に1人足りない数。とか。
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勇太(ユタ)は父を事故で亡くし、母と二人東北の山間の村に越してきました。
彼は東京もんとしてなかなか受け入れて貰えず、寂しい日々を送っていました。
そんな時仲良しの釜焚きの寅吉爺さんから、座敷童の話を聞き母の働く宿の一室に一人で泊まる事にしました。
すると座敷童のペドロ達が現れ、彼を仲間として受け入れてくれました。彼はそれから度々座敷童達と時間を共にし、彼らがどうして座敷童になったのかを知ります。
座敷童達は皆、村の凶作の時に口減らしとして行われていた「間引き」で命を奪われた子供達だったのです。
彼らは優しく、時に厳しくユタと接し、座敷童達の境遇や想いに触れたユタは次第に自分を鍛え、村の子どもたちに受け入れられて行くのでした。
そんな時にユタと座敷童たちにある事件が・・・・。
ペドロはじめ座敷童の面々は、生きたくても生きられず、成仏したくとも成仏も出来ず、人を恨むでも無くただただ身を寄せ合って暮らしています。いつまで果てるともしれない時間の中を。
言葉の端々に彼らのやるせなさが滲み出ます、俺が人間だったらなあ・・・、母ちゃんただいまって言いたいなあ・・・、お盆にやってくる霊たちにこんな姿見られたくないから隠れてるんだ・・・。
あー駄目だ書いているだけで泣けてきてしまう。
一言だけ言えることは、もっともっと彼らと一緒の時間を過ごしたかったです。3倍くらいのボリュームが有ってもよかったくらいです。これ子供の頃に読みたかったです。結構寂しい子供だった自覚は有るのでこの本読んでいたらきっと座敷童に会いたくて古い家に泊まりに行ってたと思います。 -
死に縁どられた、あたたかいファンタジー。
お父さんが海難事故で死んだという設定は、ああ、三浦作品だな、と思ってしまう。
お寺の鐘の乗り合いバスとか、エンツコのエレベーターとか、子どものころ読んだら、きっとわくわくしただろう。
悲しさとおかしさが、絶妙なバランスでまじりあっているのも、この作品ならではの味わいだろう。
梅雨の時期は座敷わらしたちにとって、憂鬱な時期だということ。
彼らが永遠に子どもの姿である悲しい事情とは別に、おむつが乾かないという、リアルな「事情」には笑わされてしまう。
この物語を読んだ直後に、冲方丁の「光圀伝」を読んだ。
個人的な偶然といえ、「水子」にするという共通点があって、ちょっとどきりとした。 -
中学で読んだ思い出の本
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現代の昔話といった感じ。するすると読める秀逸な児童書です。