女の一生 (新潮文庫)

  • 新潮社
3.54
  • (44)
  • (78)
  • (125)
  • (15)
  • (4)
本棚登録 : 1050
感想 : 87
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102014011

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • これ結構あるあるだったのかな…とおもうとガーンとなるが、
    まあこのくらいてんこ盛りじゃなくても、要素要素はいまでも見聞きするか…

    結婚した女の一生に起こる最悪のあるある詰め放題パック300ページどん!!!!

    逆にこれの反対をいけばめちゃくちゃ幸せになれそうとさえ思える

  •  今となっては個々人が独立して自由に生きている印象が強いフランスにも、女性が自分の意志では何も決められない時代があったんだなあと、最初から最後までなかなかの衝撃を受けながら読んだ。一回では物足りなかったので読み終わってすぐ二周目に突入。さすがフランス人、事あるごとに接吻するなあと思って「接吻」というワードを最初から全部数えてみたら77回だった。言うほど多くなかったジャンヌ。
     思春期のほとんどを学校にも行かず家と修道院で過ごし、修道院を出た直後にほとんど何も知らない相手と結婚。最初感じた熱烈な恋に落ちたような感覚は所詮幻想で、度重なる夫の不貞で結婚生活は早々に破綻。一人息子は家族総出で甘やかしすぎたせいで立派なろくでなしに成長。男性や年長者や司祭に言われる「こうすべき」に忠実に従ってきたジャンヌは、大人になっても、自分が何をしたいのか、自分にとっての幸せとはなんであるかがわからない。考える能力もない。唯一自分を必要としてくれた幼い我が子に執着の照準を合わせて付き纏い、その子が成長と共に離れていくと、加速する老いの中でただただ孤独と絶望を深めていく。天真爛漫で快活だった少女がそうして落ちぶれていく過程は、読んでいて辛いけれど、なんら想像に難くはない。母親が隠し遺していた古い手紙を読んだ彼女が家族の過去を知って震撼するシーンがあるけれど、当時は彼女のみならず周囲の女性たちもみな同じような状況だったから、それ以外の生き方があるという可能性に思い至ることすらなかっただろう。
     物語の終盤はジャンヌの情緒不安定さがなかなかのホラーだった。自然の美しさに歓喜したと思えば分かち合う相手がいないと打ちひしがれ、かつての友と昔を懐かしんでいたと思えば過ぎ去った日々への寂しさと悲しさで咽び泣きながら深夜に家中を彷徨い歩く。わたしはこうならないように生きたいなあと読みながらずっと思っていた。
     

  • 3.5/896
    『修道院で教育を受けた清純な貴族の娘ジャンヌは、幸福と希望に胸を踊らせて結婚生活に入る。しかし彼女の一生は、夫の獣性に踏みにじられ、裏切られ、さらに最愛の息子にまで裏切られる悲惨な苦闘の道のりであった。希望と絶望が交錯し、夢が一つずつ破れてゆく女の一生を描き、暗い孤独感と悲観主義の人生観がにじみ出ているフランス・リアリズム文学の傑作である。』(「新潮社」サイトより▽)
    https://www.shinchosha.co.jp/book/201401/

    原書名:『Une vie』
    著者:ギ・ド・モーパッサン (Guy de Maupassant)
    訳者:新庄 嘉章
    出版社 ‏: ‎新潮社
    文庫 ‏: ‎397ページ

    メモ:
    松岡正剛の千夜千冊 558夜

  • 主人公ジャンヌが次々とフラグを踏んでいく様子に昼ドラ的展開を感じた…。文学作品として有名だけどテーマが大衆的なので比較的読みやすいかも。

  • やっとジュリアンいなくなったと思ったら、、ポール、お前もか〜〜〜い。 世間知らずコワイ。

  • 思っていたよりは読みやすかった。
    良妻賢母がよしとされる時代の女性の人生について、非常にリアルに感じることができた。
    「夫に恵まれなかった」という考え方はイスラムの物語でも見かけたことがあるけれど、そんなことを理由に自分の人生を振り回されたくないよね。
    フェミニズムの議論の題材にも使えそう。
    読んでそのまま、ではなく誰かと議論したくなる作品。

  • 思いっきり暗い。人間の欲と利己性の波にさらわれてどん底まで突き落とされる女の一生。大好き。

  • (01)
    ある女性の半生が14章に分けて描かれる。同時にレ・プープルと呼ばれるノルマンディー地方の家の物語(*02)でもあり、一人娘の彼女のために男爵が用意した屋敷がその半生を包み込み、放り出す。
    母、父、夫、子や叔母(*03)といった親族のほかにも、使用人や夫の愛人、友人、司祭、犬や馬といった人物や動物も登場するが、それほど多くはない。視点はいつも女主人公ジャンヌのまわりにあるが、いっとき、彼女のまわりを離れることがある。近隣に住むフールヴィル伯爵は、ジャンヌの夫ジュリヤンと自分の妻が不貞を働いている現場をのぞき、怒りに任せた蛮勇を奮う場面である。第10章のこの場面までの時の流れはややゆったりとしているが、ここから最終章までの4章で一気に20年以上が進んでいく。
    人生は、ほぼ全ての人間が経験しているように、一様に進むわけではない。急速に進むとともに普通は単調な時が過ごされていく。その単調さは、愚鈍な感性や惰性とともにあり、人は滅多な事では驚かなくなる。ジャンヌの愚かな魯鈍もこの終盤の4章に顕著に現れ、人生は皮肉にも停滞し、時は急速に進んでいく。

    (02)
    もちろん家だけではない。家の周囲にはポプラ並木、漁村、海があり、ジャンヌたちによって散歩された風景があり、貴族ではない漁民や農民がそこにはいて、風景と化している。
    ジャンヌには、この家と風景を出なければならない事態が終盤に発生する。そして、わずかな時間だけその家に戻ることが許される。その時、家の諸々の家具や傷が記憶とともに蘇る。家や風景に流れる時間は、その保存状態さえよければ、遅くとどまり、人間のように変化せずに残される。この時間差にジャンヌは襲われるわけであるが、序盤にこの家と風景が輝いてみえたのは、ジャンヌの前途の栄光を幸福を暗示していたわけではない。家や風景は、人間が惨めであっても輝いている。特に風景には、特有の時間があり、近代的な一個の人生のような雑多な記憶に左右されず、使用人や漁民や農民によっても共有され、育まれ、あまり変わらずにいつもそこにある。リアリズムや自然主義が、人生と対位的に風景を用いるのはそのためでもあり、ロマンスが宿るのもそのためである。

    (03)
    使用人ロザリも爽快な存在であり、この小説にいつも風穴を開けてくれるが、このリゾン叔母の奥ゆかしさと存在感の薄さは何を表現しているのであろうか。
    彼女は、今にも家や風景に溶け込んでしまいそうな透明感があり、存在しているようでしていない。幽霊的でもあり、その処女性は、村や貴族の淫女性へ対抗する地点に据えられている。かといって、ロマンの女性でもあったジャンヌに目指される地点になることもない。
    後任の司祭のエキセントリックな振る舞いや呪詛や復讐と潔癖もこの風景にあって異様であるが、リゾン叔母はそこまで活性しておらず、ほぼ死にながら生きているという状態にある。彼女もいずれこの場景からすっと退場してしまうが、その存在や時間の薄さは明滅的でもあり、超近代的あるいは古代的でもある。本作にかすかに現れている彼女の人生にも注視したい。

  • 修道院で学んだ、清純な貴族の娘ジャンヌ。幸せな結婚生活が待ち受けているはずだった……。夫、息子、そして母にも裏切られ、夢が一つずつ敗れていった先にあるものとは。

  • 高校生の時に読んで、ここまで悲惨な人生ってある。。?て絶望的な気持ちになったのを覚えてる。てか主人公世間知らずすぎてだな。。あそこまで子どもに依存しちゃダメ。。夫も子どもも酷いんだけどさ。。でもさ、こういう人って現代にもいっぱいいるんだよなあ。モーパッサンの書く宗教性とか、私には理解しきれないところもあるんだけど、複雑で暗い人間味の部分の表現が、今も共感しやすいんだよね。フランス語でも読んだ最初の小説。

全87件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

フランス人。1850〜93年。母の友人フローベールにすすめられ文筆に転向。最初の成功作『脂肪の塊』(1880)で一躍新聞小説の寵児となる。短編約三○○、長編数作を書く。長編に『女の一生』(1883)『ベラミ』(1885)。短編小説『幻覚』や『恐怖』は戦慄させるほどの正確さで狂気や恐怖を描写し、この狂気の兆候が1892年発病となり、精神病院でなくなる。

「2004年 『モーパッサン残酷短編集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

モーパッサンの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ドストエフスキー
ドストエフスキー
谷崎潤一郎
安部公房
三島由紀夫
夏目漱石
ヘミングウェイ
ドストエフスキー
ヘルマン ヘッセ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×