- Amazon.co.jp ・本 (759ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102060025
作品紹介・あらすじ
愛情も人間性も理解せず、世間体を重んじる冷徹な夫カレーニンの黙認的態度に苦しむアンナは、虚偽と欺瞞にこりかたまった社交界を捨て、ひとり息子セリョージャへの愛にさいなまれながらも、ヴロンスキーとの破滅的な恋に身を投じる。一方、ヴロンスキーがアンナを愛していることを知った失意のキチイは、理想主義的地主貴族リョーヴィンの妻となり、祝福された生活をおくる。
感想・レビュー・書評
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「道ならぬ恋人たちのアンナとヴロンスキー」「行き違いの失恋になってしまったキチイとリョーヴィン」のカップルたちは、さてどういう展開になったでしょう。
時は19世紀ロシア帝国の末期、貴族階級が近代化に揺れているのであります。しかし19世紀も21世紀も関係なく、このようなテーマは永遠に続くのです。
上巻、この小説の有名な冒頭
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」
のモデルとしてその家庭問題騒動(これも浮気が原因)が描かれる浮気性お気楽なオブロンスキーは、どうも橋渡し役というかピエロ的存在なのです。この軽薄だけど憎めない人物も傑作ですねえ。トルストイさんは登場人物すべて生き生きと描写されています、さすが文豪だと感心します。とにかくそこが読んでいてとても面白いのです。
アンナは夫カレーニンに仮面夫婦でいいから体面を保ってくれと言われたのに、ヴロンスキーの子供を宿し、ヴロンスキーが競馬場で落馬をすれば、観衆の面前で取り乱してしまうのです。
当然「もう、離婚だ」となったカレーニンは、いくらアンナの兄オブロンスキーに頼まれても、崩さない固い決心だったのに、アンナが出産し産褥が酷く死にそうになるとほろりとしてしまい、アンナを許そうとするのです。アンナはその傲然たる(上から目線)がたまらなく嫌で、夫カレーニンとの間の息子に未練を残しながらも、離婚はせずヴロンスキーと外国へ出奔してしまうのです。悪女極まれりですかね。
一方、キチイもリョーヴィンもそれぞれ不如意で孤独な日々をすごしていましたが、キチイは義妹(妻ドリーの)であり、リョーヴィンが親友のオブロンスキーはうまく橋渡しします。トルストイさん、うまくすじ運びましたね~(笑)
その二人の結婚式の様子の描写が、やたらものすごく詳しいのです。こんなめんどくさい結婚式をしたら、二度と結婚式はたくさんだと男性は思うでしょう、とおっしゃっているみたいですね。
ここまで再読してきて、はて?わたしの印象に残っているリョーヴィンの哲学的思索はどこ?と、記憶があいまいに・・・下巻に続く -
中巻では本作の主要人物であるアンナ・カレーニナが夫と別れヴロンスキーとの恋に身を投じていく様子と、地主貴族リョーヴィンとキチイの結婚生活の誕生という2つの恋愛が並行して描かれていく。
本筋を追うだけでも十分面白いが、特筆すべきは各登場人物が語る様々な社会・宗教・政治・経済等に関する思想の表出である。例えばキチイとの結婚生活の前にリョーヴィンが最も生産性の高い農場経営に関して思考を巡らす場面は、産業革命以前の段階の社会において、農業の生産性を高めるためにどのような課題を当時の社会が抱えていたのかということを知ることができ、ここだけでも一読の価値がある。
そして、多様な登場人物の鋭い造形の中から、どこか読者は自分と近い価値観を持った人物がいることに気づかされ、さらに物語の深みへと誘い込まれる。 -
【所感】
・心理描写がとてつもなく厚い
・登場人物の優柔不断さが人間らしい
・登場人物多いし、一度出てきたら後から解説がないのでメモは必須
【上巻からの印象の変化】
・やっとこの物語の登場人物の日常に慣れてきた
演劇を映画のように観に行く日常、その場(社交界)でのやりとりや座席、入るタイミングそのものがコミュニケーションになっていることなど、自分が持っていた知識や概念におさまらない生活だったので。慣れた後はより登場人物の心理描写に集中することができ、面白かった
・各ページを読書「体験」的に捉えて楽しめるようになった
ささいな出来事やすこしの会話に、見合わないと思われるほどボリューミーな心理描写が描かれている。はじめは物語全体に楽しみを求めて中だるみしたが、途中からこの本の世界観の傍観者として楽しめるようになった。
【印象に残ったフレーズ】
どんな人でも、自分をとりまいている条件の複雑さを、とことんまで知りつくすと、その条件の複雑さや、それを解明することのむずかしさは、つい自分だけの、偶然な特殊なものだと考えがちで、ほかの人も自分とまったく同じように、それそれ個人的に複雑な条件にとりこまれているなどとは、夢にも考えないものである。 -
もうお話が終わるんじゃないかと思えるような人生における決定的な出来事がどんどん出てきます。それでもまだまだ続くので凄いです。個人的にはカレーニンの変化と、兄ニコライの最期がぐっと来ました。基本的に特権階級な人たちですが、社交会の悩みが妙にリアルなのはなんなんでしょう。アンナとヴロンスキーのすれ違いも辛かったです。
私の中でリョーヴィン夫妻は癒し枠でした。この2人の話、主にリョーヴィンの悩みが長いんですが、リョーヴィンなのでなんだが愛らしくなってきました。
読了まで長く濃厚だったので時間がかかりましたが、読み応え抜群で大満足です。凄い本だと思います。 -
中巻が1番おもしろい!
繊細で誠実な、感情の起伏が激しいリョーヴィンと、生まれ変わったカレーニンが好き。
死にそうでなかなか死なない人の描写が、モラルを取り払ってこまかいところまで現実的に書かれている。
感動!
そして、これは再読だったと確信した。この後何があるか私は知っている。 -
この作品は、誰を軸にして読むかでずいぶんと景色が変わってくるはずです。私はオブロンスキーが好きなので、出てこないと退屈で、出てくればちょっとだけわくわくします。「ちょっとだけ」というところが、オブロンスキーのよさです。軽薄な人物かもしれませんが、オブロンスキーがいなければ物語は流れませんし、こんな人物がいなくては、そもそも社会は成り立ちません。タイトルも、『オブロンスキーの優雅な日々』でもよかったのでは。