- Amazon.co.jp ・本 (470ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102113431
感想・レビュー・書評
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空想好きなアンも大学生となり、過去二作には無かった、戸惑いや、嫌な一面が垣間見えたのが印象的で、そこには大人になっていくにつれて、ものの見方もそうだし、周囲の友人たちも変わっていくことへの、一種の諦観に近いものを感じたからではないでしょうか。
健全な物語といいながらも私には、そうした年齢を重ねるにつれて、どうしても向き合わねばならない鬱陶しい思いをアンも味わうのだといった、予想だにしなかった思いは、逆に言えば、アンに何か神々しい偶像めいたものを、私が勝手に抱いていたんだなと悟り、こうした現実的な描写も見せてくれるところに、名作と呼ばれる所以があるのかもしれないなと思いました。
また、「見えないものは永遠に不滅」、「わからないほうが素敵」と思っていたアンが、初めて、自分のそうした思いと相反する気持ちに立ち会えたことに、人生の複雑さと、生きていることのありがたみを思い知り、とりあえず、ほっと胸をなで下ろしたが、結末を知らなかった私は、読んでいる途中から、もうアンのことだけが気懸かりで、他の登場人物はあまり目に入らなかったことに、少々申し訳ない思いがしました。
実際、物語の内容として、アンのことだけではなく、今を生きているからこそ共感できる、現実的なフィルのキャラクターや、マリラのアンへの思いの深さを改めて知ったり、アンの両親の家を訪ねて、その愛の深さを知ることができたなど、色々、読み所はあったのですがね。
まあ、次はもう少し落ち着いて、ゆっくり読むことができそうです(笑) -
何度目かの再読。
アン・シリーズ3の読みどころは何といってもクライマックスで、アンが本当の自分の気持ち、というと陳腐な表現になるので、ここは思いきって言葉にしよう、「真実の愛」に気づくところでしょう。そうでしょう。
そのクライマックスまでの、アンの華やかな大学生活は、時代が違う今でも羨ましいものがあり、自分のかつての大学生活との充実ぶりの違いに今更ながらガックリくる・・・
前回までは全く注目していなかった、ボーリングブロークの生家を訪れるシーンは、なかなかに感動した。そして、もっと感動したのが、それに続くアヴォンリーへの帰郷で、マリラの「自制を失い、わが娘をひきよせ・・・」という喜びように胸がつまった。なんという深い愛情。「マリラは来しかたを振り返っていた」とあるとおり、今のマリラはアンの存在あってのもの。逆も然りで、今のアンはマリラ(とマシュー)があってのもの。血より濃いものをここに見ることができた。
さて、次はアン・シリーズ4。実は初めて読むので、楽しみ! -
この本を久しぶりに手に取って
読み終わったその日、
東京地方に用事があって
実家に立ち寄ってくれたこれまた久しぶりに逢った弟に、
今度の今度の?朝ドラは村岡花子さん(アンシリーズの翻訳者)
の生涯のお話、と言う(私にとって)不快な話を教えてもらった。
ま、テレビが無いからそれ自体は目にすることはないので
良いんですけれど…、
自分が大好きで大事に大事にしているものは
徒に騒ぎ立てられてると気分が優れなくなるのは
ハートがケチンボの証拠かな。
さて、この「アンの愛情」は、
レドモンド大学に入学したアンが、
仲良しの友達と「パティの家」で共同生活を送りながら
勉学に励み、崇拝者(!)たちを魅了しながら
青春を謳歌し、いよいよ…と言う巻。
アンが、ある人のある申し出をああするところは
もう!と何度読んでもやきもきするけれど、
でも、大丈夫なんだよー。
リンドの小母さん、パイ家、スローン家、
ムーディー・スパージョンなどなど…
おなじみの人たちの名前をみるだけでも
懐かしくて面白い。
モンゴメリ女史はもうアンに飽き飽きしていたけれど、
読者や出版社の強い希望でシリーズを書き続けた、と聞いた。
「なぜ、皆がアンに飽きないのか、不思議です」と
友達のお手紙にもプンプンして書き送っていたらしい。
そのことについては私からも
「お手数とご迷惑をおかけいたしました」と
お詫びを申し上げる次第です。
全体の思い出で言えば、相手に怒りを表明するとき、
「いいこと、アン・シャーリー!」とか
「ギルバート・ブライス、あんたを許さないわよ!」とか
氏名を全部言うところ、なんか、憧れちゃった! -
パティの家での生活が最高で、この先色々なことがあっても支えになってくれるような思い出になるんだろうなと思う。
新キャラクターのフィルも好き!(手紙まできっちりフィルで笑った)
中心になる「恋愛」については、アンもだいぶ酷いこと考えてるので…ちょっと引いてしまうところもあったけど、そこは時代もあるね…。
あちらでなくこちらの花を選んだ瞬間が好きだった。 -
題名の通り、アンやその友達の恋愛が中心の一冊。
アンの恋愛事情については、ちょっとご都合主義なところは否めないが
最後の方のダイアナに対して抱く気持ちはきっと誰しも持つものだと思う。
村岡さんの解説も毎回興味深いので読んでみてほしい。
赤毛のアンは、500ドル買い切りとしたために、出版でも映画でもルーシィ•モンゴメリに印税は入らなかったらしい。びっくり。 -
第1巻と比べ、第2巻はあまり面白くなかったので、第3巻を読もうか迷ったが、既に買ってあったので読んだ。
初めの『赤毛のアン』が大好きだったからこそ、これ以上見ていられない。第4巻は読まないと思う。その方がアンの将来に「空想の余地」があって楽しい。
ただ、同巻の完訳版は読んでみようと思った。
当時のカナダの文化、風俗は大変に興味深く、教育制度や移民たちの地位などにも興味を持った。解説書籍やオンライン講義などもあるようなので、調べてみようと思う。泥だらけになる描写はよくあるのに、入浴についての言及が少なくとも3巻まではなく、どうしていたのかとてもに気になる。
■追記2020.11
アンシリーズの完訳に取り組まれている松本侑子先生のオンライン講座を受け、いくらかアンの世界への造詣が深まった。カスバード家やバリー家、リンド家などアンと近しい人物はケルト系であり、パイ家はイングランド系である等の知見を得た。「ブレア」がスコットランド系のファミリーネームであるというような知識は全くなかったが、そういったことを知っていると、なぜマシューが「ブレアの店」を贔屓にしているかが分かるようになる。
在留外国人は少なくないのだろうが、日本にいると、在日韓国、朝鮮人かアイヌの人くらいしか、〇〇系のとして思い浮かばない。在日の人たちも国籍をとったり、とらなかったり、日本国籍者であっても〇〇民族としてアイデンティティを持っていたり、いなかったりするのだろうが、人のルーツというものは変えられないがゆえに、本人の自意識や肯定感、否定感を規定するバックボーンにならざるを得ないと思う。異なるルーツの人々の中にあって初めて意識されるものも多いのだと思う。
自分の父祖が異国に移り、苦労しながら開墾し、職を得、家庭を築き、まわりとは違う信仰を持ち、まわりとは違う年中行事を行いながら生活してきていたらどうだろうと考えてみる。自分はすでに日本語が分からなくなるくらい同化していても、日本や日本文化に対して想い入れを持ったり、同じ日系移民と新たな移民文化を築いたりするのだろうか。
予備知識があるだけで、同じものを読んでも情報量が全く違う。適切に読解するために、より楽しく本を読むために、あらゆることを知り、考えていきたい。