- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102122013
感想・レビュー・書評
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夜間飛行(サン=テグジュペリ/新潮文庫)
初めて読んだサン=テグジュペリの著書。「読書会すみれ」で開催されているオンライン輪読会出席のために読みました。いい本を読む機会を頂きました。ありがとうございました。
本書は夜間飛行という当時は危険きわまりなかった事業、その死活を賭けた夜間飛行に従事する人々の行動を描きます。
主な登場人物は厳粛な経営者のリヴィエール、監督者のロビノー、飛行士のファビアンとその妻。
小説の前半はリヴィエールの厳格さと会社の中の立ち位置を描きます。
「『規則というものは、宗教で言うなら儀式のようなもので、ばかげたことのようだが人間を鍛えてくれる』リヴィエールにとっては公平と見られようと、不公平と見られようとそんな事は一切平気だった」
「あの連中はみんな幸福だ。なぜかというに、彼らは自分たちのしていることを愛しているから。彼らがそれを愛するのは、僕が厳格だからだ」
「部下の者を愛したまえ。ただそれと彼らに知らさずに愛したまえ」
現代の企業では受け入れようがない人物ですが、危機に瀕している企業を動かすには必要な思想、行動です。一方で、この小説ではリヴィエールの誰も知ることがない孤独や苦痛も表現されていて、魅力的な人物像が出来上がっています。
リヴィエールから「あいつは何にも考えない人間だが、それだけにかえって間違った考えを持つ心配のない男だ」と酷評されているロビノーは自分第一主義の凡人。我々の誰もがロビノーの要素を持っていると思います。そのロビノーがリヴィエールに対して物語の最後に見せる行動は興味深く、読書会のテーマにしてもいいかもしれません。
本小説は一種の企業小説とも読み始めましたが、リヴィエールの性格が強烈すぎるのと事業内容が危険過ぎるので、企業小説としては違和感があります。
小説の後半は操縦士ファビアンの悪天候での苦難、リヴィエール、ファビアンの妻を中心に描かれます。ここでもリヴィエールは次のような独白を行います。
「『愛する、ただひたすらに愛するという事は、何という行き詰まりだろう』リヴィエールには愛すると言う義務よりもいっそう大きな義務があるように漠然と感じられるのだ」
結局、後半も本小説はリヴィエールの物語です。
「実録性価値と文学性を合わせもつ名作」として評価されている通り、操縦士が見る風景の描写、リヴィエール他登場人物の心情表現は朗読したくなるような文章で書かれています。訳者の堀口大學の文章はとっつきにくいと最初は感じましたが、慣れてくるにしたがい心地よいものになりました。
本書は1回の通読では理解できないと思います。短い小説ですので、もう一度読んで見ようと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宮崎駿氏の装丁の絵コンテが
本書に出会うきっかけでした
創成期の航空郵便の世界で働く
男達の覚悟を賭した人生観や人間関係を
作者の経験で綴られています
同時併録されている『南方郵便機』の方が
物語性豊かで、主人公の内面と空との描写の対比が印象的です -
久々に綺麗な日本語を久々に読んで満足。
リヴィエールの考え方よりもファビアンの飛行の描写にドキドキしました。管理職の苦悩よりも一社員とその家族の生活の方が自分ごとに捉えれたということかな。 -
サンテグジュペリ 飛行シーンがリアルな2編。「 夜間飛行 」は 飛行士の崇高な使命感、「南方郵便機」は 日常と死をかけた飛行の対比 が印象に残る
読みにくいが 慣れると 小説の中に引きこまれ、読み手は リヴィエール、ファビアン、ベルニスを追体験できる
「 夜間飛行 」上司リブィエールの厳しい言葉
*人間=生の蝋(ろう)→魂を吹き込み意志を造る必要がある
*過誤が 現れたときに 見逃すことは 罪悪
*不測の事変に対応するために 人員を訓練する必要がある
*勝利、敗北という言葉に意味がない〜勝利は国民を衰弱せしめ 敗北は国民を衰弱から鼓舞する〜大切なのは進展
アンドレジッド の序
*人間の幸福=自由の中でなく、義務の甘受の中にある
*義務の危険な役割に〜熱中し、成就した中に幸福がある
*勇敢な人間は、金持ちが慈善を隠すと同様に、その行為を隠す
「南方郵便機」僕は泉を見つけ出した〜ジェヌヴィーヴ
*ストーリーテラー=ベルニスの友人
*日常と死をかけた飛行の対比→住むことと飛行の対比
*ジェヌヴィーヴ=日常、住むの象徴
「南方郵便機」の構成意図
*1部 ベルニスの飛行=非日常。飛行士目線の風景を楽しめる〜描写うまい
*2部 ベルニスの回想。ジェヌヴィーヴとの恋=日常
*3部 ストーリーテラーの回想。恋とベルニスの結末
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朝と昼に読みたくなる本はそんなにないのに、夜限定で読み返したくなる本はたくさんある。これはその中でも深夜1時以降向けの本。
飛行機で1人飛ぶ時間は孤独で、その中で研ぎ澄まされた考えが文章になって表れている、そんな印象を受けた。孤独の中で生まれた文章は、孤独な時間と場所で読むのに相応しい。私はきっとこれから何度もこの本を読み返すだろう。しかし、太陽の元で開くことはないと確信している。 -
読み進むほどに萎えていく嫌な小説だった。小説家としてのテグジュペリを僕はどうやら好きにはなれないみたい。併録されてる「南方郵便機」もダメだった。
表題作の主人公リヴィエールとやらはプチヒットラーだな、と思いながら読み終えて、ジッドの前書きを読んでみると(ネタバレを嫌って後回しにしてあった)、彼もまたこの作品を貫く全体主義的ダンディズムを全面的に称賛してるのね。時代の空気ってもんなんだろうか。
ジッドはもともと好きな作家ってわけでもないから大きなダメージはないけど、改めてちょっとがっかりした。 -
郵便を少しでも早く配達できるよう試みで始まった夜間飛行。無謀ともいえる”夢”のような夜間飛行。”夢”に対し、犠牲を払いつつもその夢の実現のために奮闘した人の物語。大人になってこの物語に出会ったけど素敵だったな。
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文体の美しさとストーリーの過酷さよ。
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夜間飛行
夜間の郵便飛行がまだまだ危険だった頃、その事業にかける支配人と従業員である飛行機乗りたちの物語。従業員たちを生死の危険が伴う夜間飛行に送り出さなければならない支配人の苦悩と使命感が語られている。命よりも大切な目的とは…というくだりはとても興味深かった。 -
サン=テグジュペリの初期の作品ふたつ。
危険だと知りながら、命はないものになると知りながら、それでも…と空へと向つていく。
命のやり取りはそれはもう極めて論理的に行はれる。大義名分など彼らにはない。生きるか死ぬか。ただそれだけだ。燃料が尽きれば飛行機は墜ちる。嵐に巻き込まれても墜ちる。航路から外れれば仲間でさへ見つけられない。賴れるのは心もとない電波通信と計器、握つた操縦桿。乗つてしまへば、あとは委ねるより他ない。何に? 空に大地に海に未来に。
この時もはや操縦者は誰でもない。死と隣り合はせの、たつたひとりの「ひと」である。地上では愛する者が仲間が待つてゐるかもしれない。しかし、空では己ひとりで生命の賭け事に飛び込まねばならない。人生は他でもない自分の人生だ。空はそのことを冷酷に、確実に搭乗員に示す。
彼がパイロットとしてあるひは作家としてどのやうな経緯を辿つたのかは知らない。けれど、どこまでも残酷でそして確かな人生といふことに関して、どこかで握りしめたには違ひない。そしてそれは飛行機として身を結んだ。これが海に出ていたとしたらなら、ヘミングウェイであつただらう。
ジッドはその序文で『夜間飛行』を評価してゐる。夜間飛行は、ただひとりのパイロットとしてだけではなく、支配人として命令する、地上の人間をも描ききる。死に赴くパイロットも、それも命令する支配人も同じ人生だ。パイロットだから特別なのではない。何かを選び決定するといふそこに、違ひなどない。それは義務と呼ばれる何かを超えたもの。ひとがひとである何かに根差してゐる。操縦士としてのサン=テグジュペリを越えた、ひとりの作家としてのサン=テグジュペリの目覚めだ。 -
『星の王子さま』に続いてサン=テグジュペリの作品を読むのは2冊目。『星の王子さま』の思想にはそれほど感銘を受けず、「確かにいいことを言ってるけど、よく言われてることだしそれほど感動することかな??」という気持ちだった。
『夜間飛行』と『南方郵便機』は全く異なり、徹底的な真面目さと強かさの上に物語が成り立っている。主人公の葛藤とそれが整理される過程を詳らかにする文章には、小説というより哲学書のような雰囲気すら感じられる。不思議なことは、この真面目さと強かさに触れて初めて、『星の王子さま』の背後の奥行きが見えてきたことである。今まで『星の王子さま』の表層だけを撫でていた自分が恥ずかしい。
人称が分かりにくい、表現が詩的など読者は随所でふるいにかけられる。しかしだからこそ私達は、訳者堀口大學の言葉を借りれば、「あくまで純粋な金」に出会えたのだ。私はこの採掘作業が大好きだ。ぜひとも苦悩しながら読了し、訳者のあとがきまでたどりついてほしい。 -
シモーヌがファビアンを送り出すときに言った「お星様のためのおめかし?」が好きすぎる
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これは、、読み込まないと良さに気づけない
たぶん、色々落っことしてる気がする
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夜間飛行・南方郵便機の2篇が入っていたけれど、夜間飛行のほうが好きだったな。人生とは小説であり、小説とは人生であるということを確かに感じさせる。
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翻訳の日本語が古くて、ちょっと物語に入り込めなかった。。
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個人的に夜間飛行よりも南方郵便機の方が印象に残っている。