- Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103259237
感想・レビュー・書評
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913.6クボ 2015.8.1
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妊娠、出産、育児に関する常識や価値観は、生きる時代によって変化している。それは、祖母や母、私、娘を通してすごく感じる。同時に、あらゆること、国家とか家族とか死生観だって、ぎゅっと囚われてしまう必要なんてないよね、なんて思ったりして。
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戦前生まれと平成(おそらく)生まれの二人の女性の人生が、出産と東日本大震災をきっかけに交錯する話。
構成を分けてそれぞれの人生を追うのだけど、戦前生まれの主人公については地に足が着いていて、とても丁寧に描かれていて良かった。
現代パートに入っても、彼女が現在どうしてそういう行動を取るのか、どうしてそういう考えになったのか、どうしてそういう迷いを抱くのか、そういったことがすっと理解出来る。
そちらがしっかりしている分、平成生まれの主人公は随分と薄っぺらく思えてしまった…。
絶対にあり得ない設定とは言わないけれど、差をつけようと頑張り過ぎて浮ついてしまったように感じられた。
けれど、血の繋がりや隣近所は現状、コミュニティーとして難しくなっていて、それ以外でも人が繋がっていける社会に、という本書の望みは私も強く願っていることなので、結末は良かった。 -
「何気なく選んだことが未来を決めている」この言葉が重かった。
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震災や戦争を描いたものを無意識に避けていたけど、この本は深く深く受け入れられた。幸せや不幸せや、お金やおせっかいや。誰かを大切にしても誰かはそう思わないかも…という一文にどきりとしつつ、深い闇が歴史とともに溶けていく感覚が好み。突き刺すのではなく、じんわりくる感じかな。
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☆☆☆3つ
この作家さんの場合、何時まで経っても『ふがいない僕は空を見た』という先だって本屋大賞にノミネートされた作品を思い出してしまう。
ちょっと強烈なナニの描写が特徴の本だった。
今回のこの本も、まあそれに近い記述の部分はある。
でも、存外に読みやすく気が付くとづいぶんと読み進まっている。
いったいに何のどういう記念日なのかはやはり終いまで読んでもちっとも判かりはしなかった。まあ、そこが窪美澄なのだろう。
はていつかブレイクするときはくるのであろうか。
来てもいいのでは、思う。 -
大きな質店の末娘として生まれ、戦争を体験した後、紆余曲折を経てマタニティスイミングの講師として高齢になっても働き続けている晶子と、有名料理研究家の娘として裕福に育てられながらも欠落を抱えてカメラマンとなり臨月を迎えた真菜。
生まれた時代も生き様も考え方も異なるふたりの女性が、東日本大震災という未曾有の事態に直面し、生きていくこと、求めること、について向き合っていく物語だ。
女であるからこその痛みとは、あるいは価値とはなんなのか。
震災、放射能汚染、その世界でこれからどうやって生きていくのか・・・あまり深く考えないようにしていたことに目を向けさせられる。 -
14/10/06読了
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2014.9.23読了
本日2冊目。窪さんにしては、明るい感じの作品。戦後を生きた晶子と、シングルマザーとなった真奈を中心とした話。時代が変わるに連れて、家族のあり方、母のあり方が変わった。捉え方も変わった。妻であり、母である状態から仕事を始めた世代の祖母たちはいかにたくましいか。今は働く女の人も普通であるが、それゆえに気苦労もあり、大変さもある。住みにくい世の中だ。
私は…どうしたいのだろう。