ぼくはあと何回、満月を見るだろう

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104106035

作品紹介・あらすじ

命が尽きるその瞬間まで、新たな曲を作りたい。世界的音楽家、最後の言葉。自らに残された時間を悟り、教授は語り始めた。創作や社会運動を支える哲学、国境を越えた多彩な活動、坂本家の歴史と家族に対する想い、ガンと共に生きること、そして自分が去ったあとの世界について――。『音楽は自由にする』を継ぐ、決定的自伝第二弾。坂本氏の最期の日々を綴った、鈴木正文氏による書き下ろし原稿を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 前著『音楽は自由にする』は坂本龍一さんの57歳までの記録であり、この『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』はそれ以降2014年に中咽頭ガンが発覚されてからの記録です。

    『音楽は自由にする』は私が少女期にファンだった頃の昔懐かしい坂本さんがいましたが、この『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』は私のあまりにも知らなかった晩年の坂本さんでした。

    2014年に中咽頭ガンを発覚。
    2020年6月にニューヨークで直腸ガンと診断され、何もしなければ余命半年といわれ、肺にも転移し絶望的だったそうで、手術は20時間かかり終わりの見えない闘病生活が始まったそうです。

    しかし、その間の坂本さんの活動は世界的で目を見張るものがたくさんありました。

    東日本大震災からは原発に反対し環境問題に取り組まれます。その頃の記録に
    「人間ごときが努力して音楽や表現物を作っても、果たして何の意味があるんだろうという無力感に襲われた」と残されています。

    世界的な活動をして世界のサカモトになってもこんな根源的ともいえる悩みがあるのですね。

    芸大の客員教授をされたこと。
    辺野古基地の問題にもかかわられコロナ禍においてはオンラインコンサートをされています、。
    数々の映画音楽を始めとする音楽活動ももちろんされています。

    病気になられてからもとても充実した人生だったのですね。
    プライベートでは再々婚なさっているようですが、新しいパートナーのことはパートナーとしか書かれておらず、息子さんやお孫さんにも恵まれていたのですね。

    でも、もっと生きてもっと坂本さんの新しい活動をもっともっと続けて欲しかったと思います。
    心よりご冥福をお祈りします。


    この手記のタイトルが『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』というのもぎりぎりの悲しみを誘う一歩手前のラインで詩情があってとても坂本さんの最期の作品として素敵だと思いました。

  • 2009年以降の音楽活動と闘病を振り返った、
    坂本龍一最後の言葉の数々。
    死を前にしてその言葉は深く重い…
    でも、生きる姿勢は真っ直ぐで力強さを感じました。

    音楽家、映画監督、映像関係者、作家、画家
    被災地の人々、子ども達。
    国内にも海外にもこれだけの人脈があって
    死の間際まで新しい音楽を創作し続けていた。
    本当に生来の偉大な芸術家だったんだと思います。
    “Music sets me free”

  • 坂本龍一、最期の日々を自らの言葉で語った「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」書籍化(コメントあり) - 音楽ナタリー
    https://natalie.mu/music/news/524703

    坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/410603/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      ◆才人の親密な語り口[評]篠崎弘(評論家)
      <書評>『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一 著:東京新聞 TOKYO Web
      http...
      ◆才人の親密な語り口[評]篠崎弘(評論家)
      <書評>『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一 著:東京新聞 TOKYO Web
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/266381?rct=shohyo
      2023/08/02
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      最晩年も美意識絶やさず [評]湯山玲子(著述家)
      <書評>ぼくはあと何回、満月を見るだろう:北海道新聞デジタル
      https://www.ho...
      最晩年も美意識絶やさず [評]湯山玲子(著述家)
      <書評>ぼくはあと何回、満月を見るだろう:北海道新聞デジタル
      https://www.hokkaido-np.co.jp/article/903252/
      2023/09/06
  • 死を意識した中での様々な活動。強い芸術家だった。
    合掌。

  • 「YMO」を初めてテレビで見たときは、衝撃的だった。
    CMソングの「君に、胸キュン。」はむすっとした顔の首振りダンス?

    「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」などの、
    映画音楽でしか、知識があまりなかった。

    ニューヨークでの911を体験して、
    東日本大震災で、チャリティーコンサートや、
    被災地の子供達への音楽活動支援。

    吉永小百合さんとの、平和への活動、
    森林保全の「more trees」の設立。

    「自分に有名性があるなら、むしろそれを積極的に利用したほうがいい。」
    海外で活動しているからこそ、日本の閉鎖的な考えから脱して、たくさんの世界的リーダーたちと支援活動が可能になったと思う。

    この本を通して、改めて、坂本龍一さんの偉大さを知った。

    癌との闘病をつづけながら、最後の最後まで音楽と人と関わったすごい方。

    「芸術は永く、人生は短し」
    最後の言葉が、ジンと胸に響いた。

  • 2023年3月28日に亡くなられた音楽家・坂本龍一さんが口述筆記によって書かれた自伝です。2009年に発刊された『音楽は自由にする』の続きに位置づけられる、最晩年の活動の様子を知ることができる一冊です。

    江戸時代の貴族は月を愛でて酒を嗜んでいたそうなんだ、と本書序盤で坂本さんが述べています。音楽って不愉快な思いを忘れていられる、ともある。本書の題名の『あと何回、満月を見るだろう』とそれらの発言を、僕は重ねてしまいましたね。「ぼくはあと何回、素晴らしい音楽を得ることができるだろう」みたいにだって、ちょっと強引かもしれないけれど、読めてしまうじゃないですか。

    坂本さんは2014年に中咽頭ガンが見つかり、それから闘病生活に入られていますが、その放射線治療のつらさが綴られています。7週間に及ぶ放射線治療の5週間目には、あまりのつらさのため坂本さんが涙ながらに「もう止めてくれないか」とドクターに懇願したことが明らかにされていました。ガンは中途半端に叩くと勢いを増し、逆襲してくるので駄目だと言われて、残りの治療も続けたそうですが、口腔内はただれ、治療が終わってからもふつうの食事がしばらくとれなかったようです。しかしながら、その5年後にはガンが寛解とみなされるほどまでに回復します。

    そういった苦しい時期でも、『レヴェナント』をはじめ、数多くの映画音楽のオファーを受けられていますし、高谷史郎さんらとのインスタレーションなどやコンサートを多数されている。音楽そして芸術を仕事として、ガン治療と療養期以外は仕事から離れることなく、人生を太く駆け抜けられた印象を持ちます。闘病中も、体調が思わしくない時期でも、旺盛に仕事に向かわれている。また、「人はパンのみに生きるにあらず」などというキリストの言葉が引用されている箇所もあり、物質的な面だけじゃなくて精神的な面も同じくらい大切だ、とする坂本さんの感覚がくっきりと知れるところもありました。

    そんななか、本書では坂本さんの昔話もあるのです。若い頃(70年代)、麻雀がしたくなると、いっしょにいる大貫妙子さんに加えて、電話で山下達郎さんに「来ない?」と連絡。すると、達郎さんは実家のパン屋から軽トラを運転してすぐにやってくる。さらに伊藤銀次さんも呼んで、ひたすら雀卓を囲んでいた、と。三徹もザラだったそうです。

    芸大の授業はサボっていましたが、、腹が減ると大学に行って学食の前にクモの巣を張り、知った顔をみつけたら「ちょっと食わせてくれない?」とたかってた、ともあります。かつ丼が90円の時代だったそうです。(世の中で否定されがちな、人生のこういうゴロツキみたいなところを、もちろんその苦味込みでですが、僕はもう少し肯定したいほうです)

    そういう部分も含めて、坂本さんには、「はぐれガキ大将」という感じがします。そういうふうに見える一面がある。ガキ大将的に傍若無人で腕力でものを言わせるような猪突猛進なところがありますが、大勢を囲って支配的になってのし上がろうとするのにはちょっと不器用に過ぎるようにも見えるのでした。だから、「はぐれガキ大将」なのです。

    傍若無人さでいえば、たとえばポルトガルで観光案内してもらっていたとき、坂本さんは観光が嫌いで、あげく渋滞に巻き込まれてしまい「I hate sightseeing!」と言い放って車を降りて歩いて帰ったそうなんです。ガイドを務めていた人が、坂本さんが帰国するときに空港でワインを一瓶、お詫びの品として贈るのですが、坂本さんはそれを、手を滑らせて床に割ってしまう。しょうがないところはあるんですが、こういうふうに他人の気持ちを踏みにじってしまうようなふるまいが他にもあり、坂本さん自身悔いていました。

    こういうのもあります↓
    __________

    若い頃には、多摩美術大学で東野芳明さんの持っていた授業にゲストとして呼ばれたものの、当日の朝まで飲んでいて八王子まで行くのが面倒くさくなり、ドタキャンしてしまったほどのひどい人間ですからね。(p163)
    __________

    ただ、こういうことを隠さず本書では言ってしまっています。老年になって、じぶんそのものを以前よりも公に対してさらけだしているように感じられます。まあ、もともと虚栄的ではないように見受けられる方ですが。

    あと書いておくべきは、MRプロジェクト(p234あたりです)。VRより上位の技術で、坂本さんの演奏がデジタルで記録されていて、坂本さんがいなくても、同じ演奏を再現できる技術です。このデータが残されている限り、音楽家・坂本さんのパフォーマンスは永遠に残ります。

    巻末、本書の坂本さんの話の聞き役だった鈴木正文さんによる「著者に代わってのあとがき」では、坂本さんの最後の数か月についての様子が綴られています。とくにその後半部分などは、涙無くして読めなかった。

    僕は小学校高学年の頃から坂本さんの音楽に傾倒していたので、武道館でのオペラ上演『LIFE』を含め、何度か坂本さんのコンサートには足を伸ばしてきました。CDは100枚以上買いましたし。坂本さんは亡くなられましたが、彼の音楽、思想、価値観、パーソナリティなどに、これからも僕は反抗を感じたり、共感したりしながら、たぶんずっと彼と格闘を続ける、といように影響を受け続けるのだろうと思います。

    坂本さん、ありがとうございました。
    あらためて、黙祷を捧げます。

  • 坂本龍一さんが音楽に何を載せようと奮起したのか、そして人生を通して音楽から何を学んだか。
    その断片をこの本から読み取れた気がする。
    あくまで断片でしかないが。
    自分の死を感じた人が世の中に何か残してやろうと奮起することに強く心を打たれた。
    歳を取ると自分が成長できる天井みたいなものが見えてきて、、
    自分の場合はそこでこう思うんだと思う。
    成長することこそが自分の生きがいだったのに、それができなくなった今、命を繋ぐ理由が見当たらない。
    歳をとっていく過程で自分の外側に自分を評価してくれる人がいないと、いつかそういった自殺衝動みたいなものに駆られてしまう気がしてならない。
    坂本龍一さんからはそんな弱気な感情が一切感じられなかった。最後の最後まで創作活動に励み、そして自分の技術がどこかで人の役に立つのではないかと最後まで模索し、その模索を形にしていた。
    自分という存在を自分の中でも、そして他人の中でもここまで上げてあげられる人もそういないと思う。
    自分もいつか、病床の上でそう考えたい。
    自分の創作物を必要としている人がいる。
    自分のできることがまだある。
    死を手前にしてもなお、自分に活動をやめる理由は見当たらない。

  • 今までの人生で、これほどその人の人生とその終わりまでを追い続けた人はいなかった。
    死そのものが、坂本龍一の最後の作品であるかのようでした。
    教授、最後まで見届けましたよ。

    ひとりのミュージシャンがこれほど多岐にわたって活躍したという事実に心が奮い立たされますね。
    教授からはたくさんのことを学んだけれど、死は時間をかけて準備し、納得して迎えるものだと最後に教わった気がするんです。
    細野さんも言ってましたね。

  • 世界を股にかけて活躍する日本人作曲家のなかで
    坂本龍一さんはナンバーワンではないでしょうか。
    この本はそんな彼の2009年から今年3月28日亡くなるまでを中心に、いろいろ。

    勝手に孤高の天才のようなイメージを持っていたけど、
    考えていることは意外と普通で
    環境平和への活動を熱心にされているかたでした。
    ニューヨークにいたのは、移動に便利だからということでした。

    一番興味があったのはガンについてでした。
    彼は長いこと代替医療に傾倒してきました。
    しかしガンについては、調べてみると
    代替治療だけで中途半端に叩くと、
    より狂暴になって仕返ししてくる。
    だからまずは西洋医療で対処し、
    免疫力が落ちるところを代替医療でバックアップする
    という複合的な方法を取ることにしたそうです。

    結局発病から治療→寛解→再発→転移→手術……
    ということになりましたが、
    これが最善だったのではないかと思いながら読みました。

    一度目のガンをきっかけに、それまで浴びるように飲んでいた酒をやめたとありました。
    食生活にも気を付けたようです。

    やはりガンという病気はすごく辛そうなので
    元気なうちから健康に気を付けようと改めて思いました。
    断酒して良かったです。

  • 坂本龍一の深い執着と音楽、自然との絆が印象的でした。彼の自然への尊敬と音楽に感謝。この読書体験を通じて、新しい視点での世界との出会いを感じることができました。

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著者プロフィール

さかもと・りゅういち:1952年東京生まれ。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京藝術大学大学院修士課程修了。78年にソロ・アルバム『千のナイフ』でデビュー。同年、細野晴臣、髙橋幸宏とともにYMOを結成し、シンセサイザーを駆使したポップ・ミュージックの世界を切り開いた。83年の散開後は、ソロ・ミュージシャンとして最新オリジナル・アルバムの『async』(2017)まで無数の作品を発表。自ら出演した大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83)をはじめ、ベルトルッチ監督の『ラスト・エンペラー』(87)、『シェルタリング・スカイ』(90)、イニャリトゥ監督の『レヴェナント』(2015)など30本以上を手掛けた映画音楽は、アカデミー賞を受賞するなど高く評価されている。地球の環境と反核・平和活動にも深くコミットし、「more trees」や「Stop Rokkasyo」「No Nukes」などのプロジェクトを立ち上げた。「東北ユースオーケストラ」など音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動もおこなっている。2006年に「音楽の共有地」を目指す音楽レーベル「commmons」を設立、08年にスコラ・シリーズをスタートさせている。2014年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが翌年に復帰。以後は精力的な活動を続けた。2021年1月に直腸癌の罹患を発表し闘病中。自伝『音楽は自由にする』(新潮社、2009)など著書も多い。

「2021年 『vol.18 ピアノへの旅(コモンズ: スコラ)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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