- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106101410
感想・レビュー・書評
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大ベストセラーだから読んでみたが、発刊された日からかなり経過しているため流し読み気味になってしまい残念。内容としては日本人らしさ、まさに日本国家としての品格を保ち続けることの大切さを説いており、世界が誇るべき日本人の素晴らしさを力説してくれている。
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この本の発売当時はどうだったのか分からないが、今の日本はこの本の内容からは遠い所に来てしまったなと思う。
第一章〜第三章は大きな事を語り過ぎていて読んでいて疲れる。ただ「論理には出発点が必要」の考え方は面白かった。情緒力がなくて論理的な人がいると困ると言うのは共感しかない。
第四章〜第七章がとにかく良かった。日本人の自然に対する感受性、もののあわれの考え方、武士道精神等...これが国家の品格かと思う。今は失われつつあるこの品格を持ち続けていきたい。
ただ、作中に度々出てくる作者の妻に対する暴言が気に入らない。作者は受け狙いで書いているのかもしれないが、この余計な一言のせいで作者がどうしても好きになれない。「四つの愛」で「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」「人類愛」をあげているのに....。私が作者の妻なら冗談でも殴りたい等言われたく無い。 -
国家の品格、昔のベストセラーで積読にのせてたから読んでみたが割と日本賛美の内容でしんどめだったかな。
論理だけでは成り立たない。
論理は仮定だから。
人殺して良い論理はない。
論理は大事だが出発点を選ぶのも大事。
カルヴァン主義、予定調和の神がいる。
ハーグ条約 43条で占領者は現地の制度や法令を変えてはならない。
アメリカも1916の対ドミニカで奇襲をしている。
ナショナリズム、パトリオティズム
宗教無しの道徳教育→武士道?
普遍的価値を生むと英国みたいに?!
論理だけでは総合出発点を選べない?
情緒で総合判断力を上げる
天才の集積地は?ー条件は?
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久しぶりに読み返した。
筆者の言う「孤高の日本」など、夢のまた夢、幻であることはコロナ禍においてよくわかった。
この本か書かれてから、日本人の質の劣化はさらに加速したように私は思う。
今の日本に誇りなどあるのだろうか。
2007.4.13
物と金にうもれて、日本人が忘れてしまっていることが書かれていた。あたたかく豊かに生きるということはどういうことなのか、久しぶりに思いめぐらせた。少数派であってもいい。日本人として誇りを持って生きたいものだ。目が覚める思いがした。 -
高校時代に教師からオススメされた一冊。
国際人=英語が出来る ではないというのは確かにわかる。
美的感受性など、日本人らしさを無くしてはいけない。自分の生まれた日本を誇りに思っていこうと思った。 -
著者のズバッと主張するところ、個人的に好きですね。
世界のあらゆるところに自ら赴き、様々な国の歴史を広く学んでいるからこそ見える国家のあり方。
特に印象的だったのは、学校のいじめ問題と武士道を絡めているところです。いじめはなぜダメなのか?という問題は、理屈で説明できない。卑怯なからダメだと、ならんものはならんのだと、頭ごなしに子どもに教えなくてはならないというのは、将来教育者を目指す私にとってはグッときました。当事者の気持ちになってみようなんてヌルいことは言ってられないのです。いじめられた経験なんてものは、想像で理解できるものではないからです。こうなって、ああなるからダメだなんて理屈で説明する方がピンとこないのです。
論理的でなくていいというのは、新しい発想のようで、実は戦前の日本人に根付いていたというのが面白かったです。 -
2か月前の読了なのでだいぶ内容は抜けてしまったが。『銃・病原菌・鉄』を読んだ直後だったので、どうしても考察や議論が浅い感は否めなかった。日本の伝統芸能や義理人情の文化などを改めて確認できるが、著者の言うこの日本の文化こそが世界を豊かにするという論調はいささかなナショナリズム的な物に後押しされた飛躍を感じるし、ではどのようにして日本の美徳を世界へ浸透させ、それがどのように世界を変えていくのかという具体性に欠けた。個人的にはpatriot でありたいと思っているのでイデオロギーとしてはわかるのだけどね。
ただ、近現代の論理主義(著者はこれを欧米的価値観とよぶ。まあ近現代の思想は欧米思想が基調なのでそうとも言えるだろう)に対する反駁は興味深かった。人類普遍の論理を尽くすことで、必ずお互いが合意する一般解を求めることができる。しかし実際は論理というのはそんなに素晴らしいものではない。論理というのは、結論から辿っていけば結局は主体が自明と考える命題を出発点とせざるを得ない。主体の思考力によってその根本の前提命題のレベル感は異なるだろうが、究極的には、全ての論理的帰結のよりどころとなるその命題は「自明」とするしかない。ここの説明に、何ら「論理」はない。そして、何を自明とするかというのは、主体の価値観、尺度、哲学(そしてこれららはしばしば主体の立場や状況に大きく左右される)に依って決定される。すなわち、「論理」というのは、何ら普遍的解を提示する保証などなく、むしろ主体の依る前提によって異なる帰結が生まれるものなのだ。そこで著者は、真に重視するべきはこの詭弁的な論理ではなく、その根本を成す価値観だと述べるのだ(彼はその価値観こそ日本的価値観に統一されるべきと述べるのだがそれはさておき)。
うすうす大学に入ったあたりから自分でも感じていたことではあったが、他者により言語化されたものを読んだことで改めてその認識をブラッシュアップできた。世界の全てについて論理で絶対解が出せる、心のどこかでそんな風に信じていた時期が、僕にもありました。まあ最近は統計学でそれに近いことができるんじゃないかなって思ってきているのだけどそれはまた別のお話。 -
論理ではなく、情緒と形こそ大切。
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以前アメリカ人と相撲の話をしていて、「始まるまでの時間(=仕切りの時間)が長いから嫌」と言われ、相撲好きの自分はなんとかして相撲の面白さを彼に伝えたいと感じたのを思い出しました。
日本のよさがわからなくなって外国に飛び出してみたこともあったけれど、外から見てみると日本にもいいところがたくさんある。
そういうものを大切にしたいと思うのは、自然なことのはず。
私はできる限り三食お米を食べて日本の農家さんの収入確保に貢献したい。(パンも好きなので、食べちゃうんですけど…)
日本文化の素敵なところを外国の人たちにきちんと説明できるような国際人になりたいなぁと、思います。 -
250万部突破のベストセラーなのだそうです。
日本語書籍に飢えていたとき、オフィスにあったので手に取りました。
ヒットを狙ったいかにもなタイトルですが、内容は欧米コンプレックスを感じました。著者も言っていますが、「品格」と言いながら品に欠ける印象。 -
今更ながら読了。著者の藤原さんは自分の高校で演説をしてくれたということもあり、個人的に親しみを持っています。本の中では情緒や弱者への配慮など日本人が持つ固有の資質を大事にしろ。祖国愛が今の日本、そして世界に必要である。そのようなことを述べていました。アメリカ化する世界や日本に危機感を感じているのが良く伝わってきました。偏った意見が目立つ為、考えを鵜呑みにするのは問題ですが、あくまで一つの、そして一人の考えとして自分達が適切な判断をする時の材料にはなるのではないかと思います。
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国家には真のエリートが必要
エリートとは
文学、哲学、歴史、芸術、科学といった何の役にも立たないような教養をたっぷりと身に着けていること。そうした教養を背景として圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。
いざとなれば、国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があること。
愛国心「ナショナリズム」(国益主義)と祖国愛「パトリオティズム」は全く異なるもの。
「ナショナリズム」自国の国益のみ追求するという、浅ましい思想
「パトリオティズム」自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛するということ。
欧米人の精神構造は「対立」に基づいている。自然は征服すべき対象であり、他の宗教や異質な価値観は排除すべきものである。
日本時にとっては、自然は神であり、その一部として一体化している。
日本は異常な国であり続けるべき。
5世紀から15世紀の間に日本の文学は全ヨーロッパの文学を凌駕した。江戸時代の識字率もおそらく世界ダントツ一位。これらの背景があったため、明治維新から第2次世界大戦をはさみ、世界2位の経済大国へ成長できた。
筆者の記載していることにすべて賛同できることはできなかったが、もう少し、日本人は自分の国民性に対して誇りを持ってもいいのではないか?という部分には大きく共感できた。
文中で紹介されていた、「武士道」新渡戸稲造、「文明の衝突」サミュエル・ハンチントンは機会があれば、読んでみたい。 -
2chのまとめサイトに時々見る、日本国のすばらしさを教えてスレのような意理屈と傲慢さ一辺倒の著者が清々しい竹を割った意見を持つ人物に見えるのは、著者が批判しているそのままの理由を当てはめることで説明がつく。そしてその理由を確実なものとするためには、だってそうなんだもん、と一言つければ足りるだろう。
日本は本来如何に素晴らしい国家であるか、それは情緒をもった国民がいて、情緒を君たちは失いつつあるのだよ、という内容が書かれています。情緒を養うべき、と書かれて方法も記されているが、何を実践すればいいか迷う人も多いと思う。迷いつつも何かをできる人には、少なからず情緒を感ずる心があるだろうし、情緒を知る本をアマゾンで即検索した人はもうきっと駄目でしょう。 -
論理というのが最上級の概念だと思ってる人はいませんか?それは下品ですよ。
植民地主義も、当時は、「劣等な人種を優れた人種が統治してあげるのは、文明の神聖なる指名」と立派な論理を展開している。人間は、論理が通っていれば、残酷なこともできてしまう。
共産主義も、論理的にすばらしかったが、人間という「種」に適さなかった。
会社の中で無能なものかクビにしていくのは、会社の論理であるうちは結構だが、それが、国家自体がそうなってしまったら明らかに間違いだ。1:重要なことは、論理では、説明できない。論理には出発点が必要:例えば、彼女
が一番好きだって根拠ないでしょ?複雑性原理
2:論理は、コペルニクスが非難されたように、ある歴史的パラダイムに依拠してる
に過ぎない。つまり理性の限界がある。パラダイム的不完全性
こんな無根拠の上に我々は秩序を作らねばならんのだよ!
ではどうしではどうしたいいのか?
論理とか合理化を否定する必要はない、ただこれを「剛力」とするなら、「柔力」と
なる両輪があっていいだろう。ここがしっかりしないと文明が進歩しても、文化は退化する。
ある人は真善美という。
ある人は「情緒」と「形(行動基準)」という。弱いものをいじめるなとか、後ろか切るなとか。
ある人は「宗教」や「武士道精神」に見て取るのだろう。たいいのか?
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自己中
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論理の限界
一つ一つの論理の信頼度を掛け合わせる
論理を超越したダメなものがある
「なぜ人を殺してはだめなのか」等 -
※2010.8.20売却済み
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ベストセラー