切れの構造: 日本美と現代世界 (中公叢書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120015342

作品紹介・あらすじ

日本美の最深奥への洞察。プレ・現代の"わび""さび""いき"の根底をなす"切れ"の構造を解明し、ポスト・現代への展望をひらく。内なる異文化の重層を透視しつつ展開された日本文化論の白眉。

感想・レビュー・書評

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  • 著者も取り上げているが「切れ」で浮かんでくるのがビールのCMだ。「切れ」と「コク」はビールを語るうえで切っても切れないキーワードになっている。そんな「切れ」を日本文化の様々な面から取り上げたのが今回の本だ。

     出版されたのは、1986年。もし21世紀版の「切れ」の構造が出版されたらどんなことが付け足されているのか気になる。怒る状況を「切れる」と言い表したり、社会と隔絶してひきこもると言ったことも「切れる」のうちに入るか。

     神道、能、俳句、浮世絵、明治時代の近代建築、京都の竜安寺の庭園などを例に挙げて「切れ」について考察している。「切れ」というテーマを導くにあたって、これだけ多くの素材を使って語っているのには驚いた。「切れ」と日本文化のつながりが浮き彫りにされていく。

     この本は、神保町で開催されていた古本まつりで購入したものだ。偶然見かけて買った。異性とお金は追うと逃げると言うが、本も追うと寄ってこないようだ。構えずにぶらぶら歩いて見て回ったから発見できたのかな。

  • 日本のさまざまな文化を「切れ」という観点から解釈するとともに、現代への指針を探る試み。

    著者は「切れ」という概念を、西谷啓治の論文「生花について」から継承している。生は「時」とともに衰えゆくという本質を持ちながら、「時」に抵抗し、みずからを維持していこうとする傾向を持つ。生け花は、こうした意欲がもっとも強い生の盛りにある花を断ち切ることで、花を「時」の運命へ還すものだと西谷は考える。それは、自然な生を「切る」ことによって、かえってこれを生かすものだということができる。さらに西谷は、芭蕉の句における「切れ字」の使い方にも、「時」を断ち切ることによってかえって「時」が呼応し溶け合っていることを見て取っている。

    著者は、こうした「切れ-つづき」の構造が、禅、能、俳諧、茶などの日本文化を特徴づけているという。さらに竜安寺の石庭、尾形光琳の「紅白梅図屏風」などにその具体相を読み取ろうとしている。

    多様な日本文化を「切れ」という一つの概念でまとめてしまうのは、一種の本質主義だと言わざるをえない。さらに、著者がこうした本質主義的な日本文化論から、いまや行き詰まった「近代」を超克するための指針を取り出そうとしているに至っては、厳しい批判が寄せられることが予想される。また個人的には、葛飾北斎による『椿説弓張月』の読本挿絵の解釈は、牽強付会のような気がしないでもない。

    とはいえ、西谷啓治の難解な思想を自家薬籠中のものにした上で、さまざまな文化的事象の中からそれに通じるようなモティーフをつかみ出してきており、非常に興味深く読むことができた。

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著者プロフィール

1944年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。ミュンヘン大学哲学部博士号学位取得。ヴュルツブルク大学哲学教授資格取得。滋賀医科大学助教授、京都工芸繊維大学・大阪大学大学院・龍谷大学の教授を歴任。定年後、ケルン大学・ウイーン大学・ヒルデスハイム大学・テュービンゲン大学の客員教授を歴任。2014年5月より日独文化研究所所長。著書に『ヘーゲル論理学と時間性 「場所」の現象学へ』(創文社、1983年)、『「切れ」の構造』(中央公論社、1986年)、『西田哲学の世界 あるいは哲学の転回』(筑摩書房、1995年)、『感性の精神現象学 ヘーゲルと悲の現象論』(創文社、2009年)『西田幾多郎 本当の日本はこれからと存じます』(ミネルヴァ書房、2013年)、『共生のパトス コンパシオーン(悲)の現象学』(こぶし書房、2018年)などがある。

「2021年 『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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