- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120040719
作品紹介・あらすじ
1920年代前半、フィッツジェラルドは早くも作家としての絶頂期にあった。20代にして見事に完成された天才的作家が、溢れる才能にまかせ書き上げた膨大な作品群から、『グレート・ギャツビー』の原型ともいうべき五短篇をセレクトした「若き日の名作集」。
感想・レビュー・書評
-
“若者というのは、どうやっても現在という時制をそのまま生きることができず、頭の中で輝かしく思い描かれた自らの未来を尺度にして、今日という日を測らずにはいられない。
しかしそれは欠点であると同時にむしろ至福として捉えられるべきことだ。花々や黄金、娘たちや星 ーすべては、例えようのない、そして決して達成し得ない若き夢の予兆であり、予言に過ぎない。”
『リッツくらい大きなダイアモンド』
“遊園地を見た事はあるかな? 夜に遊園地に行って少し離れた暗がりの中からその姿をよく眺めてみるといい。暗い木の下から。
明かりをいっぱいに灯した、大きな観覧車が空を回るのが見える。細長いボートが滑降して水の中に落ちるのが見える。どこかで楽団が演奏している。ピーナッツの匂いがする。何もかもがキラキラ光っているだろう。(略)
しかし、いいかね、それでお前は何か思い出すわけじゃない。それはただ夜の中にぽっかりと浮かんでいるだけだ(略)近くによってはならない。もしそんなことをしたら、お前がそこに見出だすのは、ただ発熱と汗と人の営みだけだ”
『罪の赦し』
表題作『冬の夢』で誇り高い14歳の少年であるデクスターが抱く夢は、金銭や社交界へのデビューといった世俗の成り上がりだけを意味しない。
“彼は華麗なるもの、それ自体を欲していたのだ”
その象徴としてーあるいは幻想としてのージュディー•ジョーンズへの愛が、渇望がデクスターを駆り立て、そして苦しめる。
移り気なジュディーを一度は諦めて別の女性との婚約を決めて分別に落ち着こうとしたデクスターは、再び彼の前に姿を現したジュディーの魅力に抗えずまた恋に落ちる。
その後はお決まり通りだーあっという間に再び彼女の心は別の男に移り、折しも始まった戦争にデクスターは志願する。戦後にニューヨークで成功した彼は、ジュディーが平凡な結婚生活に収まっていると知り激しく動揺するー。
この話は、美しかった青春時代の夢が壊れたことを嘆くといったセンチメンタルなものではない。
ポイントは書かれなかった時代にあるだろうと僕は思う。
中西部の小都市からニューヨークに移ったデクスターは、産まれながらの上流階級に属する人々や、華やかなフラッパー、狂騒のジャズエイジによる洗礼を浴びたはずだ。
彼が卑屈にもならず、時代と街に飲み込まれることがなかったのは、魔法のように鮮やかで色褪せぬ美が故郷には存在すること、そして決して手に入れることは叶わずとも己は美と夢に殉じて生きてきたのだという一種の誇りと気高さを内に抱えていられたからではないだろうか。
魔法が解けて夢が失われたとき、彼の手に残ったものはビジネスだけだ。
“僕には泣くこともできない。思いを寄せることもできない。それはもう二度と再び戻ってはこないものなのだ” この苦さが沁みる。
最後に、ジュディーが色褪せていったことは当時すでに大都市だったデトロイトへ嫁いだことにも由来するだろう。ジュディーの魅力と奔放さは、故郷の荘厳な屋敷や美しい自然の中でマジカルな輝やきを放つのだから。
デクスターは、そしてフィッツジェラルドは夢の消失と共に故郷も喪失してしまった。ニューヨークの日没に重ねらた喪失の哀しみの描写も美しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
スコット・フィッツジェラルドの短編集。
「メイデー」が好き。
ゾっとする場面が多く、シリアスであった。
この話の背景はニューヨーク反社会主義運動とイェール大学友会主権を軸に書かれている。
一つ一つに作品の為のノートが書かれていて、分かりやすく読みやすい。 -
基本的に青春・栄華・夢と零落・現実を対比させて描く物語多し。盛者必衰…。
表題作も良いけど「メイデー」「罪の赦し」も好き。 -
フィッツジェラルドの妄想はとんでもない。それを思いつくことがまず信じられない。そしてその妄想の高まりを物語に落とし込んでいく。読んでいるだけなのにとんでもないことに巻き込まれていくような気になる短編ばかり。
-
裏表紙のクマがかわいかった。
表紙は建物に対して裏がクマ。
スノッブなふりしてどこかユーモラスな面白さがある。
最初の1話しか読んでいないけど!
思いでは懐かしむものであり
お互いの今なんて知らないほういいの。 -
フィッツジェラルドの初期の作品集でした。安定感やまとまりに欠けたところはありましたが、鋭く惹きつけられる光った表現が沢山ありました。村上春樹の解説も判り易くよかったです。やっぱり「夜はやさし」が彼の最高傑作だと改めて思いました。また読み返したくなる一冊です。
-
古里をはなれたほうが気づくことも多い
-
「冬の夢」を含む、スコット・フィッツジェラルドの短編5作が、
村上春樹の和訳によって復古された作品です。
「フィッツジェラルドは時として、たとえ魅惑的な報酬を犠牲にしても、
『書きたい作品を書く』という一線にこだわった。」(訳者解説より)
彼の作品には、報酬を重視した俗世間的な短編と、
世間評を無視した作品があるといわれていますが、
本作品は後者が収められています。
5つの短編は、あらかじめ練られた全体構成を感じさせる物語と、
たぎる想いにただ筆を載せた感じのする物語、の2種類に分けられると思います。
しかし両者に共通するのは、逃れられない様々な人間の本能の描写。
金銭的欲求を越える情愛、生存、自己実現への欲求。
「書きたいものを書」いた結果でしょうか。和訳が上手いことにも起因するのでしょうか。
とにもかくにも、彼の肉迫的な表現が好きです。 -
面白かった、すき。短編なのでギャツビーよりとっつきやすく読みやすかった。
-
大学の図書館で目についたので読んだ。
訳者が村上春樹なのと、春樹さんの作中でよくフィッツジェラルドが挙げられてたからでもある。
僕が訳文に慣れてないからか、すらすら読めずストレス感じたが、色彩が豊かに感じられるし、文章は綺麗と言えば綺麗だった。特に気に入った編は、もう返したので題はわからないが、ダイヤモンドにまつわるあるお金持ちの編で、一気に引き込まれて楽しめた。
グレート・ギャッツビィも機会があれば読んでみたい。 -
男って
なんて馬鹿なんだろう -
村上春樹訳のフィッツジェラルド作品だと思って期待したのですがグレートギャツビー以前の萌芽といえる作品ばかりでよほどのフィッツジェラルド好きでなければどうか・・・と思うものばかりでした
各作品ごとに村上春樹の挿入文があって事情をしれたのはいいんだけど -
あまりにも美しく飾られた文章に運命的な出会いを感じさせられる。
物語は劇的で、すっと断絶させる終幕には息をのんだ。最後の短篇は他の収録作品より趣きが異なっていて、ほほえましくうつる。 -
既読の短編もいくつか。夢と挫折というフィッツジェラルドらしいテーマが繰り広げられている。
-
かの「グレイト・ギャツビィ」がグレイトだと思えなかった私、今回こそはと思ったけれど、やっぱ、フィッツジェラルドは誰もかもが認める天才、てわけじゃあないんだと思う。あの言葉選び話運びたゆたってる空気がバチコイはまる人にはたまらない、のだろうけども、村上春樹さんが崇拝するほど私は今回も魔力を浴びることはできなかった。それは多分私のレベルのせいだとじゅうじゅう承知ではあるんだけど。まあ、世間的にも評価されずに埋もれていた短篇を村上さんが拾い上げて翻訳短編集にしたもので、決して珠玉の名作を紹介するという体ではないんだけども、さいしょから。「冬の夢」 「メイデー」 「罪の赦し」 「リッツくらい大きなダイアモンド」 「ベイビー・パーティ」さいしょの二つはグレイトギャツビィの空気に似てる。文学の通たるひとたちがここに埋め込まれた教義を大事そうに掘り起こして議論とかしそうなかんじ。男女のいばら感がぱさぱさしてるねー。ベイビーパーリィに至ってはどうなのこれが巻末を飾りますか。人の親としてイーディス母子の常識のなさに憤りがまだ消えないんだけど。結婚にも育児にも幻滅の点数を増やすような作品だ。文中の台詞をそのままつぶやきたくなるね「なんだかバカバカしくなった。」んー私どうしても、苦手だなあフィッツジェラルド。
唯一「リッツくらい~」は いままでのフィッツジェラルドの低体温なぱさぱさ感のイメージ、声を張る人が誰もいないげな印象を裏切る、ファンタジー&スペクタクルみたいな、奇想天外の設定がすきだった。最後に破滅がやってきても(ジョンにとっては救いでもあったけども)暗くならないラストもいい。キスミンとジョンのその後の続編がもしあるならぜひ読みたい。
こんなところがもしどこかにあるならと想像するのも盛り上がる。うーん、まあ、全体としては、村上春樹“訳しおろし” 装丁を手がけたのは和田誠、埋もれていたフィッツジェラルドの短篇集、という贅沢な1冊なんですけどね。さいきんまたIQ84でぐんと存在感と価値をあげた村上さんが渾身の愛情で訳を仕上げた一冊であることは確か。ファンなら読むべし。