蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書)

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  • 中央公論新社
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レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024619

作品紹介・あらすじ

鎌倉中期、外国から二度の攻撃を受けた蒙古襲来。「神風」が吹いたため敵を撃退できたされるが、それは史実か。刺激に満ちた論考。

感想・レビュー・書評

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  •  蒙古襲来(元寇)について、「文永・弘安合戦ともに暴風雨によって元軍は敗退した」という類の説(「神風」説)は、教科書や一般書はともかく、歴史学の本ではさすがに近年見かけなくなったが、本書は近年の研究に比べても旧説・通説に対して徹頭徹尾全面否定で、主要な論点についてことごとく新説を提起している。

     その中でも特に注目しなければならないのは、(1)モンゴルの日本侵攻の当初目的は、日宋貿易による南宋への硫黄(火薬の素材となる軍事物資で中国では産出しない)供給を絶つためである。(2)文永の役では元軍の平戸・鷹島侵攻は確認できず、また戦闘は1日(文永11年10月20日)ではなく数日間にわたった(『関東評定伝』が記す10月24日の太宰府での戦闘を再評価、威力偵察説・デモンストレーション説を否定)。(3)弘安の役で東路軍(高麗軍)は太宰府の目と鼻の先の志賀島を基地化しており、江南軍(旧南宋軍)とともに鷹島で全軍集結したという説は「誤読」で(よって弘安4年閏7月1日の台風による元軍全滅もありえない)、主戦場は博多湾であった。(4)『蒙古襲来絵詞』の奥書は近世の偽書であり(「未来年号」問題)、竹崎季長が鎌倉への上訴で地頭職を獲得したという見方は、肝心の絵詞本文に言及がなく、当時の政治情勢からも成り立たない。以上の問題は単に蒙古襲来の経緯や『絵詞』の解釈にとどまらず、鎌倉時代後期の社会・政治の根本にかかわることで、史料批判の正当性も含めて、門外漢が容易には評価できない。

     なお叙述自体は難しくないが、従来の学説への全面批判という性格上、蒙古襲来や『絵詞』に関してある程度の知識がないと内容を理解しにくいと思われる。鎌倉時代の通史や従来の蒙古襲来の概説書を読んだ上で本書を読むと、より本書の「革命性」を痛感するはずである。

  • 疑われることもなく『孫引き』されていた定説を、資料を丹念に読み解くことで否定していく。これはとても研究者として誠実な姿勢で好感が持てる。

    もっとも、何故そこまで誰も定説の誤りを指摘出来なかったの?と言う疑問はとても残る(力のある人が主張していたからと言うことが示唆されていたが…)

    ただし、「学界の定説を疑問視し、実証的に通説を否定していくことを使命」とまでいくと、それはそれで『先入観』ではないのか?という疑問は残る。

    まあ、それはそれとして、絵巻を読み解いていくことで、文永の役、弘安の役の実相に迫るのが主題であるのだから、絵巻のカラー写真は入れて欲しかった。

    元寇が『神風(台風)で船が沈んだから勝ったんやで』なんてのが嘘っぱちなのは、まあ常識の範疇でわかっていたが(勝っている侵攻軍は、橋頭堡を確保して内陸に侵攻しているわけで、空の船が沈んでも軍は滅びない)悪天候なんて関係無く、その後も戦いは続いていたのね。やはり。

    一番の驚きは、日元関係である。
    戦争なんてなかったかの様に交易が行われていたとは、驚きである…

  • 鎌倉時代後期の一大イベント・元寇について詳細に解説している。昔からなぜ大陸の大帝国が日本のような島国を侵略しようとしたか疑問だったが、本書によると宋との貿易が背景にあるとのことで納得。なぜクビライの日本攻略の理由は、敵国である宋を支援し続ける国が日本だったから。兵器である火薬は、硝石、硫黄、木炭から作られるが、火山のない中国では硫黄はほとんど産出されないが、火山の多い日本では豊富で輸出されていた。

  • 鎌倉中期、外国から二度の攻撃を受けた蒙古襲来。「神風」によって敵を撃退できたとされるが、それは事実か。刺激に満ちた論考。

  • 流れ矢に中る。は雑兵の放った矢にて被した際の言葉

  • <目次>
    序章   神風と近代史
    第1章  日宋貿易とクビライの構想
    第2章  文永の役の推移
    第3章  弘安の役の推移
    第4章  竹崎季長の背景
    第5章  『蒙古襲来絵巻』をよむ
    第6章  その後の日元関係
    終章   ふたたび神風と近代へ

    <内容>
    元寇(蒙古襲来)について、淡々とした筆致ながら従来の説を撫で切りにしていく。神風は吹かなかったし、現地の武士はそうしたことは考えてなかった。日元両軍とも「神風の吹いた」翌日も戦っていた…。そして、『蒙古襲来絵巻』の有名なシーンが書き足しであったという説も否定する。絵具で結構書き換えていると(一部江戸時代の修復での塗りなおしはあったらしい)。そう思いながら考えると、著者の言っていることも一理ある。元寇の扱いは難しいと感じた。

  • 通説である「神風史観」を痛烈に批判する一冊。
    今も君臨する1931年(昭和)の池内宏「元寇の新研究」を丁寧に反証する。「神風史観」は時代の波にのって、他の学者の批判を抑えて、アカデミズムを含めた世の中にひろがり、神風特攻にも利用されたのだろう。

  • いわゆる文永・弘安の役は、戦前の「神風史観」によって次のように解釈されていた。

    「二度ともに神風が吹いて(略)文永の役では敵は一日で引き返し、弘安の役では嵐によって、肥前鷹島に集結していた敵船が沈み、全滅した」

    もちろん戦後「神風史観」は否定されたが、モンゴル軍が暴風雨によって壊滅的打撃を受け敗退したとのイメージは、一般にも学界にも根強く残っている。

    著者はこのような通説に疑問を抱き、当時の史料を徹底的に読み直すとともに、地理・気象条件等を検討して戦闘の過程を再現する。その結果、旧来の元寇観を一新する次のような事実が明らかにされる。

    ①文永の役ではそもそも暴風雨は発生していない。
    ②弘安の役では確かに暴風雨によって南宋軍は打撃を受けたが高麗軍は健在で、暴風雨後の海戦・陸戦で御家人たちが激闘の末にこれを撃退した。

    一部には「重箱の隅をつつくようだ」という評価もあるようだが、限られた史料や遺物を検証しより説得的な事実を明らかにすることこそが歴史学の醍醐味である。

    歴史教科書も、自分がこどもの頃に習ったものと現在のこどもが習っているものでは随分違っている。蒙古襲来についても、将来は本書の研究成果が教科書に反映されるかもしれない。

    なお、「米軍爆撃機グラマン」など専門外のところで一部事実誤認があるので、増刷、重版の際には「戦闘機」に修正をお願いしたい。

  • モンゴル襲来の失敗は、2度の台風襲来によるものではないという。文永の役は1日で撤退したいうがそんなことなく、しばらく戦っていたが冬の低気圧によって海が荒れ、補給が不安定になることを恐れて撤退したという。弘安の役も台風で被害はあったが、それは決定打ではなく、その後の戦闘に敗れて撤退したという。さらに戦闘におけるモンゴル軍の敗北の原因は、江南軍の指揮統制の問題にあったという。

    ということで、通説を覆す痛快さが印象的な一書。そのほか、『蒙古襲来絵詞』の緻密な解説も印象的である。さらに、「神風史観」が神風特攻隊へとつながっていくことから、モンゴル襲来がきわめて現代的なテーマであることを示した点も意義深い。

  • 113頁:軍人・何三於(かさんお)。
    ・この「於」は、「於弘安九年四月上旬日」の「於」だと思う。名の一部ではなく。
    軍人・何三が弘安九年四月上旬日に補整した。
    元稹の別称は「元九」といい、李白の別称は「李十二」という。
    139頁:『日本の絵巻』
    ・他の箇所でも,こうなっていたと思うが,『日本の絵巻』13,と書いてくれた方が,親切だと思う。たぶん,正編20,続編27はあるのだから。

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著者プロフィール

1949年、名古屋市に生まれる。東京大学大学院修士課程修了。博士(文学)。東京大学文学部助手、文化庁文化財保護部記念物課調査官、九州大学大学院教授などを歴任。現在、くまもと文学・歴史館館長。九州大学名誉教授。『景観にさぐる中世』で角川源義賞、『河原ノ者・非人・秀吉』で毎日出版文化賞を受賞。他の著書に『蒙古襲来』など。

「2017年 『蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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