蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書)

著者 : 服部英雄
  • 中央公論新社 (2017年11月18日発売)
3.00
  • (0)
  • (1)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
  • 本棚登録 :62
  • レビュー :3
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024619

作品紹介

鎌倉中期、外国から二度の攻撃を受けた蒙古襲来。「神風」が吹いたため敵を撃退できたされるが、それは史実か。刺激に満ちた論考。

蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 113頁:軍人・何三於(かさんお)。
    ・この「於」は、「於弘安九年四月上旬日」の「於」だと思う。名の一部ではなく。
    軍人・何三が弘安九年四月上旬日に補整した。
    元稹の別称は「元九」といい、李白の別称は「李十二」という。
    139頁:『日本の絵巻』
    ・他の箇所でも,こうなっていたと思うが,『日本の絵巻』13,と書いてくれた方が,親切だと思う。たぶん,正編20,続編27はあるのだから。

  • 蒙古襲来といえば、鎌倉時代に日本が、当時の国の名前で言えば「元」から二度の攻撃を受けて、それを見事に跳ね返した歴史的な事件として歴史で習う事柄です。私が初めて習った40年ほど前は、確か、二回とも台風が来て幸運にも助かったとのことですが、時代を経るにつれて変わってきたと思います。

    曰く、一度目は偵察に来ただけで、自主的に引き上げたとか、二度目の来襲は台風シーズンを外して攻めてきたが、抑撃体制にあった日本軍が上陸をさせなかかったので、そのうちに台風が来たとかいうものです。

    この本では、2つの来襲について、具体的な兵士の数の考察や、二度目の来襲(弘安の役)における台風は、両軍に対してどの程度の被害をもたらし、その後にどんな戦いがあったのかを、多くの歴史書に基づきながら解説しています。

    台風が来た後にも、戦いがあったのですね、この本を読んで初めて知りました。てっきり台風で元軍は全滅したとばかり思っていました。将軍達や台風被害の少なかった方面の軍は、頑丈な船に乗ってしっかり帰国していることも知りました。

    最後の部分に、神風という言葉で日本人なら誰でも連想できる「神風特攻隊」について触れられていました。出撃した特攻隊のうち、少なからずの飛行機が近くの島に不時着していて、もう戦死したことになっているので隔離されて生きていた、という事実を知りました。やはり死にたくないので、少しでも機体に異常を発見したら、不時着したくなる気持ちも私にはよく理解できました。こういう事実を知ると、少しほっとした気分になれます。今になって明かされる事実なのでしょうね。

    以下は気になったポイントです。

    ・弘安の役では、確かに台風は来たし、実際に鷹島沖に船は沈んでいる、ただしそこに全軍が碇泊してのではなく、旧南宗軍(江南軍)であった。高麗中心とする先遣部隊(東路軍)は大宰府間近にいた。台風通過の4日後の7月5日には、博多湾・志賀島沖海戦、7月7日に鷹島沖戦は継続された。この二つの海戦の結果、戦争継続は困難と判断した蒙古軍は、両軍ともに退却を決めた(はじめに、p3)

    ・元を盟主にすることが目標であったが、敵国たる宋を支援し続ける国が日本であった、通商関係は300年に及んでいた(はじめに、p5、p18)

    ・太平洋戦争中に、二つの台風がアメリカ機動部隊に被害を与えている、1944年12月18日のコブラ台風、1945年6月4日のヴァイパー台風、両方とも百機以上の航空機を失った(p7)

    ・宋から日本への輸出品は、銅銭、陶磁器、医薬品、銅銭を日本で鋳造しなかった理由は、中国から輸入した方が安上がりであった、銭一枚は日本の方がおおむね3-4倍高い価値があった(p9)

    ・日本からの輸出品の二大品目は、木材(ヒノキ、杉)と硫黄(火薬製造に必要)大宰府の外交である博多から出された(p13)

    ・900隻の船のうち、上陸用のスピード小艇(300)、水汲み用ボート(300)、母艦=千料舟(300)と、三種類の船がある(p23)

    ・文永11年10月20日を太陽暦に換算すると、ユリウス暦なら1274年11月29日、グレゴリウス暦(1582年から使用)なら26日となる(p35)

    ・弘安の役は、6月5日に前哨戦、8日が総力戦、翌日までも引き続く最大の激戦であった(p67)

    ・東路軍は兵士のみなら1万数千、江南軍はこれよりも多かったが、合計三万人強である。九州にいた日本兵力はざっと三万人程度(p78)

    ・鷹島沖に沈んだ船は、残留人員2000人という数字から判断して、20隻程度であろう。海戦は船の捕獲合戦であるので、10隻以上を失えば完敗であった、老朽化し、積載も過剰な、欠陥・問題のある船が沈んだ(p107、109)

    ・蒙古軍は日本軍の奇襲(煮立てた糞尿の投げ込み)に対して相当動揺した、この動揺が伝わり戦闘意欲を喪失した(p194)

    ・東路軍は2か月以上も待ち続けたが、江南軍はとうとう到着しなかった、この致命的な遅延は、東路軍に対する大きな背信である、結果としてこの遅れが台風シーズン到来に重なった(p218)

    ・神のおかげで勝ったという意識は、貴族、神官、僧侶には強くあったが、武士をはじめ当時の日本人の当事者意識に「神風」はなかった(p234)

    ・神風特攻隊は出撃した段階ですでに死者と認定された兵士には、戻るところがなかった、彼らは福岡市にあった陸軍施設、振武寮に収容=事実上の隔離をされた(p236)

    ・戦争に役立つ海軍兵学校、陸軍士官学校卒の職業軍人は温存、弾としての用兵に過ぎなかった特攻要員には、戦争遂行に役立たない文系大学生に、熟練パイロットとはいえない予科練出の少年飛行兵を組ませた(p238)

    2018年2月18日作成

  • 東2法経図・開架 B1/5/2461/K

全3件中 1 - 3件を表示

服部英雄の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
トマ・ピケティ
有効な右矢印 無効な右矢印

蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書)はこんな本です

蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする