コロナ後の教育へ-オックスフォードからの提唱 (中公新書ラクレ, 708)
- 中央公論新社 (2020年12月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121507082
作品紹介・あらすじ
教育改革をその前提から問い直し、神話を解体してきた論客が、コロナ後の教育像を緊急提言。オックスフォード大学で十年余り教鞭を執った今だからこそ、伝えたいこと。
そもそも二〇二〇年度は新指導要領、GIGAスクール構想、新大学共通テストなど、教育の一大転機だった。そこにコロナ禍が直撃し、オンライン化が加速している。だが、文部科学省や経済産業省の構想は、格差や「知」の面から数々の問題をはらむという。
以前にも増して地に足を着けた論議が必要な時代に、今後の教育を再構築するための処方箋をお届けする。
感想・レビュー・書評
-
目新しい視点はあまりなかった。日本の教育政策の批判本である。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の教育政策は「○○というデータが上がっているので、××という方針が考えられる」という、
具体的なデータを基にして抽象的な方針を定める「帰納的思考」ではなく「予測不可能で不確実な時代において、主体的な個人の育成が必要」という「演繹的思考」によって舵が取られる。
しかし、エセ演繹型思考ではトップの目標が抽象的なため「主体性とは」「資質能力とは」「どんな授業で力がつくのか」「何を持って力がついたのか」といった教室レベルの具体的な場面に落とし込むことが難儀になる。したがって同じ言説がいつまでたっても繰り返される。
そもそも、「主体性」は今に始まった議論ではなく、1946年には戦前教育の反省としての「批判的精神」、1987年にはキャッチアップ型近代化以降の時代を見据えて「個性的で想像的な人材」と、何十年もずっと言われてきた話である。
抽象的な話で何も変わっていないのであれば、これからはむしろ具体的な過去の経験から、成功事例や失敗事例を踏まえる教育政策に転換してみてはどうか? -
〇新書で「コロナ」を読む⑫
苅谷剛彦『コロナ後の教育へ』(中公新書ラクレ、2020)
・分 野:「コロナ」×「教育」
・目 次:
はじめに 教育改革神話を解体する
第一部 日本型教育改革の習性
第二部 入試改革、グローバル化……大学大混乱を超えて
第三部 人文科学の可能性
第四部 教育論議クロニクル 2016~20
終 章 コロナ渦中の教育論
おわりに
・総 評
本書は、これまで日本で行われてきた教育改革を批判的に分析した上で、コロナ後の教育のあるべき姿を論じたものである。著者はオックスフォードの教授で、これまでの日本の教育に関する著書を多く発表している。
なぜ、日本の教育改革はいつも失敗するのか――著者は様々な事例を取り上げて分析しているが、その根底に共通するポイントをまとめると、以下の3点を挙げることができる。
【POINT①】(エセ)演繹型思考による教育政策の限界
日本の教育改革は、現状分析による事実の積み重ねから政策を決定(帰納型思考)のではなく、抽象的理想から推論する形(演繹型思考)で、現在の教育に「欠如」しているものが特定され、そこから政策が決定される。だが、この方法では目的や手段を具体的に示すことは難しく、それ故に、必要なコストや資源が論じられず、十分な提供も行われないという状況に陥っている。コロナ危機の経験を経た後の世界では、事実に基づく実態の把握(帰納型思考)が重要であり、教育政策の根本的な転換が必要だと指摘した。
【POINT②】教育改革における「1980年代」という転換点
教育改革をめぐる言説は1980年代を境に転換する。1980年代以前は、西欧先進国という模範や「戦前」という否定的な経験を通じて、具体的に「(教育に)欠如しているもの」が論じられた。しかし、1980年代に西欧先進国に追いついた(追い越した)という認識が広がると、今度は「予測できない未来」の変化に対応する資質や能力の育成が求められた。だが、この「予測できない未来」という言説が抽象的理想に基づく議論であり、さらに「(エセ)演繹型思考による教育政策」を強化することになったと指摘する。
【POINT③】コロナ禍から「教育」が学ぶべきこと
コロナ禍により、私たちは「知らないこと、わからないことの自覚」を体験した。この「無知の知」を活かすには、教育現場で、過去の「知の生産と格闘の過程」を追体験させ、課題について「白黒の決着」を急ぐのではなく、事態を冷静に分析し、相互理解の下で行動するために必要な「批判的思考力」の育成が必要だと指摘する。一方で、政府が進めるICT活用による「学習の個別最適化」は、その結果が「自己責任」とされかねないことや、プログラムされた知識の「所与性」を逃れらないことから批判的な立場をとる。
本書は、過去に著者が様々な雑誌に寄稿した論説を加筆・修正したもの(終章のみ、書下ろし)で、その大半はコロナ禍以前に執筆されたものである。従って、コロナ禍に関する内容も一部加筆されているとはいえ、それを中心に扱ったものではないため、タイトルに惹かれて購入した人の中には肩透かしを食らった人もいるかも知れない。
ただ、日本の教育政策(の欠陥)を論じた本としては、様々な事例を踏まえながら、その根底に共通する問題点が簡潔に整理されている。また終章の議論は、まさにコロナ後を見据えた教育論であり、やや抽象的な議論ではあるものの、実際に教育現場に立つ者として学ぶところが多い議論であった。
(1235字) -
イギリスの大学や教育の在り方と日本の違いや日本の課題など,考えさせられた。
-
欠けているものをあらたにつくり出さなければならないという発想(日本の教育施策における演繹的思考の特徴)から入り,「変化の激しい,先行き不透明な,厳しい時代」の到来というもっともらしい指摘をいったん受け入れてしまえば,そのための改革が,その実効性の問題に目を向けずとも受け入れられ続けてきたとの批判。
現場で働く人間として,ここは耳が痛い。自分がここを批判して何になるのかという葛藤は確かに存在し,でも苦しくなっていく現場を前に納得しかない。多くの教育関係者に読まれるべき1冊。 -
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00598231 -
オンライン化に潜む本質的な問題とは? オックスフォード大で十年余り教鞭を執った論客が、教育改革を検証した上で緊急提言。
-
コロナ後の教育についてはほとんど書かれておらず、戦前〜コロナ以前の日本における教育に関してが大部分。
演繹法と帰納法での捉え方は興味深かったが、それ以外はとにかく批判が多い。
拙著で説明している通り〜、◯◯も著書で説明していた通り〜、のような表現が多く、そこまでこの著者近辺に興味を持って読み込んでいるわけではないので、なかなか理解して読むのに苦労する一冊だった。 -
よかった!