花嫁化鳥 改版 (中公文庫 て 2-2)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122050730

感想・レビュー・書評

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  • 実際と空想の境界を曖昧に進む、民俗学的旅行記。
    でも結局、この本はエッセイなんかではなく、寺山修司のおとぎ話なのだと思う。
    伝承や伝説って、長い時間の中でねじ曲がったり、願望に変わっていったり、虚実入り混じり伝わるのだから寺山修司が彼なりの伝承を作り上げても、嘘ではない。
    大ボラもあるけれど。

  • 変わった風習や伝記が残る土地を訪ね、謎を調べた紀行文。

    言い伝えを元にした御伽草子のようなものかと思って読んでしまいました。それでも初めは、それなりに読めていたのですが、後半につれてさっぱり進まず・・・。思いの外、読み切るのに時間がかかってしまいました。

  • 長らく家に積んで放置してあった本をようやく読みました。一時期寺山修司氏の本にハマりました。独特の世界観がある中毒性のある文章だなあと思います。そこが魅力なのでしょう。

    後書きにある通り、寺山修司と言う世界の入門書なのだと思いました。実際にこの土地に行っても寺山さんが書かれた文章と同じ感覚を体験することはないでしょうがそれはそれで良いのではないかな、と。この方の文章はどこかしら悲しい。社会的弱者に対する世間の無関心こそが非難されるべき冷たさなのではないか。そんなことをぼんやり思いました。見たくないものに蓋をするのではなく、残酷で非道なものでも見て、知ることが優しさなのかなあとそんなことを。
    花嫁になりたい少女は妻や奥さんにはなりたくないのか。それはちょっと面白い発見でした。毎日花嫁におなり、か。優しい台詞だなあ。

  • 日本各地の史実や風習に基づいた寺山修司の想像世界。物語を楽しむだけでなく、寺山修司のファンであれば彼の脳内世界、彼の目にソレらはどのように映りどのように物語に精製されるのか、その過程も感じられて楽しい。柳田国男の「採取」とは逆の趣。福岡の嘉穂劇場が取り上げられているのもうれしい。

  • 寺山修司と一緒にかつての日本を旅する一冊。一風変わったネタを追って旅していく探偵になったようなスリルを味わえる。
    「筑豊むらさき小唄」で訪れた飯塚市については、読書前日にユネスコ世界記憶遺産登録を受けた炭鉱画の山本作兵衛氏を特集した日曜美術館を見ていたので、昔の映像など思い出しつつ読んで面白かった。(ちなみに、この話で訪れている嘉穂劇場はなんと現役で、見学が可能!いつか行ってみたいものです)

    小学生時代の友達(演劇クラブ)が当時寺山修司を愛読しており、以降も度々色々と話を聞いていたけれど、そのせいもあって今まで一度も読んだことがなく、これが最初の一冊になった。偶然にもあとがきに「寺山修司の入門書」とあり不思議な気持ちだ。この本を薦めてくれた人に感謝。

  • 8/1 読了。

  • 日本の田舎に伝わる民俗伝承と昭和の文化を寺山修司が叙情的に検証している珍しい本。

  • 立ち上がりの不気味さに興奮。人間を必要以上に怪奇に書く、著者のセンスに脱帽。タイトルセンスを裏切らぬ内容。沖縄の部分的本質を垣間見る、人間根源の縄張り意識。いやー、この人、安定感あるわ。

  • 寺山修司の風土記めいた著作。
    民俗的な風習にスポットを当てた紀行文なのだが、本人としてはそういう解釈はしてもらいたくないようだ。
    だが読んでいる最中はどうしてもそのような視点になってしまった。
    もちろん寺山らしいポップで真偽不明のエピソードは健在。
    今まで多くの著作を読んできたが、ネタをネタとして受け取れない人は寺山に触れてはならないとさえ言いたくなる。
    まあ実際この本で取り上げている風習はどれも嘘臭い(笑)。
    だけど青森にキリストの墓があるというエピソードは自分でも知っていた(信じてはいないが)。
    そういう現実と幻想を上手く織り交ぜて境界線を曖昧にする寺山らしいある種の狡猾な技法が如実に表れている一冊だと思う。
    寺山は正直凡庸なエッセイも多く書いた人だと自分は評価しているが、これは十分人様に薦められるエッセイだろう。
    寺山の作風が手に取るように分かるし、テーマとしても統一されている。
    裏表紙には「最良の入門書」と銘打っているが、それも納得の面白さだった。

  • みんな、なるべく 読めよ !!!

  • 古本やでなにげなく手にとっただけなのに、思いがけずとてもおもしろくて得した気分でした!高校生のときに「書を捨てよ〜」を読んで以来の寺山修司。この謎解きしながらの紀行文のような本は、その土地土地の妖しさやもの哀しさも感じられて、私も日本の異世界を少し旅したような気分でした。
    ただ、この途中に読んだホラー漫画の日本人形の世界が微妙にリンクして、思い出したくない怖さを身近に感じながらの読書でしたが…。

  • 結婚は、口に入った鼠を退治するために猫を飲み込むようなものだ。
    日本各地の不思議な風習に言及する旅行記。

  • 如何にも寺山らしいルポルタージュ。青森に行きたい。
    2009.09.28読了

  • 今日ちょびっと立ち読み。いずれ買うであろう。日本各地(辺境?)を訪ね歩いた紀行文(のような感じだったが違うかも)。

  • トラウマだらけの寺山さん!
    風葬大神島の雰囲気がすごい好きだった。
    やっぱ閉鎖されてる区域では集団感染もお手の物だろう。
    旅コラムな感じでするする読めつつもトラウマエピソード満載で読み応えありました。

  • 2009/
    2009/

    風葬大神鳥
    比婆山伝綺
    闘犬賤浪記
    裸まつり男歌
    馬染かつら
    花嫁化鳥
    くじら霊異記
    きりすと和讃:
    【感想】
    イエス・キリストは青森県で死んだという神話を基に書かれたエッセイです。寺山なりにこの神話を推理して、事実であったかどうかを確かめようとしているところが面白い。

    築豊むらさき小唄
    あとがき:読了
    【感想】
    「わたしは、ただの現在にすぎない」という旅行後談
    因習が「なぜ、今でも存在しているのか」、「だれがそれを必要としているのか」ということが問題だった。
    ボルヘスは、「午後五時に正面を向いていた犬と、午後五時五分過ぎに横を向いていた犬とは、もはや同じ犬ではない」とかんがえるフネスという男や、「月曜日に失くした銅貨と、水曜日に見つかった銅貨とが、同じその銅貨ではあり得ない」と思いこんでいる一人の作家を紹介している。「失くした銅貨が、火曜日にも、そこに連続して存在し続けていた、ということ」が、どうしても「理解できない」人間によって、歴史は一つの連続体としてではなく、ただの現在としてのみ存在している。そして去りゆくものは、一瞬にして消失し、何者かの手によって虚構化されない限り、再現することはないのだ。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

寺山修司の作品

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