女と文明 (中公文庫 う 15-15)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122068957

作品紹介・あらすじ

「男と女の、社会的な同質化現象はさけがたい」――今や当たり前にも思えることを六十年前に民族学者の立場から徹底的に論じた梅棹忠夫。発表するや賛否両論の大反響を巻き起こした「妻無用論」「母という名のきり札」を含む慧眼の書。酒井順子氏推薦。〈解説〉上野千鶴子

感想・レビュー・書評

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  • 母方の祖母は昭和初期生まれで「全自動洗濯機は汚れが落ちない」といつまでも二層式の洗濯機を使っていました。しかもシャツの衿などは洗濯板での部分洗いが必須。乾燥機の導入など提案即却下です。そして「毎日の洗濯、物干し、アイロンがけ…きつい。つらい。手がボロボロ。」といつも愚痴をこぼしていました。
    それではと母が洗濯をすれば「洗い方が雑」「干し方が雑」「アイロンが雑」と文句をつけます。必ず「あの子はガサツだから」と人格否定コミでです。
    炊事もそうです。「手伝われると却って手間が増える」と言われ、台所の主導権を渡そうとはしませんでした。
    綺麗に整えられた服や料理はとても有り難かったのですが、祖母の不機嫌に家族が支配されていました。
    私はこの本を読んで祖母を思い出しました。

    しかし、誰しもが感じていることでしょうけど「女性が家事労働を発明することで自らの存在意義を主張している」だけが原因ではないと思うのです。
    つい最近、新聞の特集記事で夫からのモラハラ事例「料理が冷めていたり出来合いだったりすると罵倒される」等を読み、結婚とは人生の墓場なんだとの確信を深めました。国民皆保険で想定されているモデルケースは「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」です。それぞれ時代はバラバラですが、女も男も子供も行政も、みんなが共犯なんじゃないのだろうか。
    174、175ページあたりの「家事がどんなにしんどいものかを理解させるのではなく、家事というのはいかに馬鹿げたことか、いかに家事をせずに済ますのかを家族に理解させる」というのが私にとっての本書の最重要ポイントです。巷にあふれる家事ハウツーや「芸能人主婦vs芸能人夫!」みたいな対立煽り番組なんかよりも結婚が人生の墓場たりうる諸問題の突破口なんじゃないかと思うのです。
    若い父親が街頭インタビューで「唐揚げは手抜き料理」と言って炎上していましたが、「唐揚げとか揚げ物は家でするものじゃないですよね。買ったりお店で食べたりするものです。」となる日は来るのでしょうか。

    因みにわたしは満員電車での通勤が大っ嫌いなので238ページ「男の自衛と選手交代」以降には大いに膝を打ちました。
    踏ん張って耐える通勤電車など、女性が物理的・生理的に耐えられないハードルは男の最後の切り札なのかもしれない、それらは情報産業の時代が進むにつれて問題にならなくなるであろう、というものです。
    首都圏からの本社機能の移転やリモートワークの拡大、あと“働き方改革”が進み、男性が自衛をしようにも外堀が埋められていつの間にか最後の砦は陥落し男女は同質になっていた!…ってなるといいですね。そのころは私はもう労働力人口ではないかもしれません。

  • かつて主婦論争というものがあった。
    本書の著者梅棹氏自身は、当時自らが論争の当事者との意識はなかったようであるが、今から60年以上前に、「妻無用論」、「母という名のきり札」という刺激的なタイトルの論説を次々と発表したのであるから、賛否分かれるものだったことは推察できる。

    家事や育児を外部化するためには一定の収入が必要であり、女性も職を持って社会参加すべきということになるのだろうが、就労環境も一周廻った感もする。フェミニズムを経た現在の時点で、また、家庭の在り方や結婚、子育てを巡る環境が大きく変化した現状を踏まえて本書をどう読むか、興味深く思う。

  • 最初に出てくる昭和の主婦、完全に父方のおばあちゃん
    梅棹先生はみんぱくの元館長で、ミュージアム論みたいなことも論じているけど、根本的にモノやヒトの機能や役割を考える姿勢は一貫しているんだなあとおもう。

  • 私は料理するけれど、揚げ物は絶対家でやらない。家事について合理化をしようとしても、家族の女陣営が阻んでくるから推し進めにくい。いらないものは捨てたらええのに~❣️

  • ふむ

  • 雇用機会均等法が施行された頃に、梅棹さんの予言したような世の中に法律だけでなく実態が移行していたら、失われた20年にはならなかったように思いました。逆に、このままでは、日本は、危ないのではと。

  • 梅棹先生、流石です‼️
    半世紀以上前に女性の生き方について、こんなに的確な論考をしていたとは…。未来の予見もほぼ当たり。この半世紀の間に男女の関係はほぼ逆転しました。この先がどうなっていくのか、梅棹先生に伺いたいです。

  • 梅棹先生、万歳!
    時代は妻不要というより、夫不要の流れ。

    なぜかと言えば、これだけ簡略化された家事すらもできない男が多いから。
    そして、伝統と専業主婦たちによって無駄に高度化された家事を、男は引き継げないから。(例えば、ハロウィーン・クリスマス・おせち料理の段取りとか、きちんとやれる&やろうとする男なんか、ほとんどいないだろうなぁ。。)
    女性たちは、知的産業の中で女性活躍の追い風の中で働き安定収入を得つつ、こまごまとした暮らしの機微を楽しむ。

    タイトルこそ過激ではあるけれど、文体は実際のとげはなく、批判的でもなく、どこまでも世界の家庭を見てきた学者視点と、商家で育った経験からの、ニュートラルかつ発展的なコメント。梅棹先生は女性たちを応援しているように聞こえる。

  • 《ひとつの台所に、ふたりの主婦がはいれなかったように、ひとつの家庭にふたりの主権者ははいることはできない。主権者はつねに、ただひとりでなければならない。すると、家庭というものは、男と女との、主権あらそいの場になってしまうが、どうだろうか。わたしは、やはりそうなるほかないとおもう。そして、そのあらそいをさけようとするなら、人間は、もはやこのほこるべき伝統にかがやく一夫一妻的家族を解消するほかない。完全な男女同権へのつよい傾向は、必然的にわたしたちをそこへみちびいてゆくだろう。》(p.33-34)

    《女は「母」で勝負する。しかしながら、男の立場からいうと、こんなつまらない勝負はない。オール・マイティーの札をもっているのだから、女がかつにきまっている。ばかばかしくて相手にもなれない。まともに、対等に相手になれるゲームをさがそうではないか。
     母性愛のうつくしさとかなんとかいっておだてるひとがあるものだから、つい、それでもよいような気になるが、一個の人間であるところの女が「母」で勝負しなければならないということは、やはりたいへん非人間的なことのようにわたしはおもう。男も、ふつうは夫であり、父である。しかし、男は「父」で勝負しようなどとはけっしておもわないし、必要もない。
     現代の女性に対して、せめて男が父である程度の母であってほしいとねがうのは、むりであろうか。現代の家庭の男は、あまりにも「父」でなさすぎるかもしれない。しかし、現代の家庭の女は、おおむねあまりにも「母」でありすぎるようにおもうのである。母という名の城壁のなかから、一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいだろうか。》(p.127-128)

  • 誰にでもおすすめしたい、というか、酒場に持っていってこの話題で2時間飲めるんじゃないか。

    家事、結婚、育児は比較的誰でも参加しやすく物申しやすいトピックだからこそ「燃えやすい」。当時は投書欄が「燃えた」らしいが(時代を感じる)たしかに専業主婦がスタンダードの時代にあって、この内容は「自分の仕事を否定された」と読者が感じたのも頷ける。

    家事だって仕事のように効率化して仕事を減らせ、などの話は、令和の兼業主婦にとっては当然のことだし、読んでいてなんら変には思わなかった。

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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