快楽の哲学―より豊かに生きるために (NHKブックス No.1166)
- 日本放送出版協会 (2010年10月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140911662
作品紹介・あらすじ
古代ギリシアから現代まで、哲学者・思想家たちは「快楽」をどのように捉えてきたのか?快楽主義を唱えたエピクロス、精神活動の根源を快楽に求めたフランスの哲学者エルヴェシウス、快楽原理を論じたフロイトなど、多様な形の「快楽」を思想史に辿りながら、学ぶことこそ人間にとって最高の快楽であることを説き明かす。
感想・レビュー・書評
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快楽というと、理性や自制心の対極にあるもの、身体的で野生的な避けるべきことのように思われている。
しかし厳密には快楽には種類があり、苦痛を伴う過剰な快楽が避けるべきものである。
実際、快楽は幸福の追求や人間の自然な生理的欲求のために満たす必要不可欠なものである。
多くの哲学者の快楽に関する思想を知れて、その上でどのように快楽と付き合うべきか学べる。
快楽が、善悪や快不快、経験論と合理論などのギリシア哲学をはじめ哲学の根本に絡んでいる分野なのだと気がついた。
快楽主義はあるのに、幸福主義がないのは
快楽主義でない人々がいるからで、
誰もが生きる目的として幸福をもとめてるからである、という「主義」の意味を考え直せてことも面白かった。
図書館でかりたので、本買いたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
プロローグ 人間を動かす原理とは
第1章 エピクロスからはじまる
第2章 人間は快楽と苦痛によって動く
第3章 幸福を求めて
第4章 涸れることのない欲望の泉
第5章 学ぶことこそ最高の快楽
エピローグ 満たされないものを大切に -
快楽の哲学。
人はどんな時に大きな満足を得られるのか。
例えば講師をしていて、どうしたら受講者から高評価を得ることが出来るか?
「私は分かった」と思わせること。
何か一つでも理解して、自分なりに分からなかったことが、分かった。
こんなときが、人ならではの「知の快楽」という。 -
2015.4.12欲望、快楽、幸福という視点から人間を哲学した本。欲望は幸せを与えてもくれるが、同時に破滅をもたらす危険性もある。天使にもなれば、悪魔にもなる。そして人間はこの欲望の噴出を防ぐ術はほとんど持たない。が、理性によって噴出したあとの欲望にどのような選択をするかはある程度あるものだと思う。最高の快楽と述べていた知的快楽においては、その喜びを知ることができた人間は幸福だと思う。なぜならそれは尽きることがない上、破滅に導く類のものでもないと思われるからである。生きるとは欲望ゲーム、生きることは欲することであるが、故にその欲望の内、何が自分を天国に連れて行き、何が地獄に連れていくかを知ることは幸福な人生への第一歩であると思う。哲学的幸福論といえる一冊。
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古代から現代にいたるまでの様々な哲学思想を取り上げ、それぞれの時代における「快楽」の定義を明確にした上で、現代における「快楽」とは何かを問う内容の本である。
著者は「快楽」とは、「精神の安定」である述べる。 -
人間に恐怖を抱かせる自然現象はいくつもある。多くの人は不可解な現象に出会うとそれを不可解なことと結びつけて考えようとする。
人間の生活にとって最も大切なのは、安信、安全である。
エピクロスは欲望を自然的なものと必要なものという視点から考える。
人間にとってもっとも価値あるものは快楽であり、それは身体の健康と心の平静として体験される。その際、より重要なものはなにものにも見出されない心の平静であり、これを紀郡にしてもろもろの欲望を判断し、行動しなければならない、と。
理性とは何かについて、様々哲学者が様々な定義を下しているが、それらに共通しているのは、人間の思考能力ないし認識能力を含み、感情や感覚とは区別されていることである。
理性的に行動するとは、理屈に合った行動をすること、大半の人がそれが当然と思うような行動をすることである。
幸福とは我々のすべての傾向性を満足さえることである(純粋理性批判)
人間は悩むようにできている。久能が人生の本質をなすとは、そういう意味である。幸福は消極的なものであり、苦悩こそが積極的なものであって、苦悩をなくそうとする人間の努力がいかにむなしいかをショーペンハウワーは強調する。幸福な人は笑みの耐えない人である。
朗らかさがやってきたときには、どんな場合でも門を開くがよい。