- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166612796
感想・レビュー・書評
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文章が好き ◯
作品全体の雰囲気が好き ◯
内容結末に納得がいった ◯
また読みたい
その他 ◯
学び直したいなあ。
学生時代の受験勉強が面白くなかったけれど、今いろいろ興味をもつことができるのは、あの無味乾燥な受験勉強があったおかげなのか。
「歴史」ってこんなにも面白いものなのか。コロナ禍での皮肉な気づき。 -
似たようなタイトルの本がいくつも出ていますが、こちらは歴史学の視点から感染症を読み解き、現在のコロナ対策への提言もされていて興味深かったです。「歴史から学ぶ」意味を感じました。
たとえば、軍艦「矢矧」でクラスターが発生し、そのとき航行を支えたのがすでにスペイン風邪に罹患して免疫をもっていた巡洋艦「明石」の乗組員だったことから、感染者を叩くのは意味がなく、むしろ免疫獲得者として経済活動の再始動にあたって大きな戦力になると書いています。
江戸時代には米による給付金があったこと、上杉鷹山は患者支援策を打ち出したことなどの一方で、スペイン風邪流行時にも修学旅行が行われたり自粛に頼った政策だったこと、原敬はいくつもの会合に出席して罹患していることなどを歴史書や作家や個人の日記、記録から読み取っていきます。
宮沢賢治の妹トシもスペイン風邪にかかり、このときは回復するものの、二年後に結核で亡くなっています。
この本が出たのは9月ですが、スペイン風邪と同様の経緯をたどるとしたら秋に次の波がくることを予測しています。このまま同じような経緯をたどると、この波がおさまるとして来年5月、さらに来年の冬に再度、流行がやってくることになります(スペイン風邪のときは第三波は感染者は少なかったものの致死率が高かった)。
最近のニュースでは菅首相が本屋を訪れて購入した書籍にこの本があがっていましたが(え、今ごろ!という気持ちはあるけど)、ぜひ一読して、コロナ対策に役立ててほしいです。
(『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』の著者、速水融氏は師匠とのことなんですが、最終章の師匠について書かれた部分は蛇足。まあ、書きたかったんだろうけど、感染症のテーマからズレている。)
以下、引用。
洋楽塾を開き、天然痘予防に貢献した緒方洪庵は、「事に臨んで賤丈夫となるなかれ」と弟子たちを鼓舞。弟子たちは往診に奔走、死者も出ました。洪庵のもとには、「誰々が討ち死」という手紙が来ました。
〈政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。〉
与謝野晶子「感冒の床から」
これは「次」と「清」の文化にも通じます。紙でも床に落としてしまうと穢れ、「お次にしてしまった」と言う。頭部が「清」で足元が「次」。床に落ちたものを頭に被るのを忌避します。体の部位も〝ゾーニング〟がされているわけです。
紀元前四三〇年、ギリシャでも、アテナイでパルテノン神殿が完成し、ペロポネソス戦争のために兵士を集め、籠城戦の準備をした直後、疫病がはやり、大量死がおきています。
敏達天皇、用明天皇の兄弟はともに天然痘で崩御しています。聖徳太子は用明天皇の子ですが、父も母も妃も本人も天然痘とみられる疫病で命を落としています。
この大流行で、宴会好きの藤原四兄弟がそろって病死しました。
山梨県では、赤い紙に幼子の手形を捺して、「吉三さんはおりません」と書いて門口に貼り付ける風習がありました。この背景には、放火事件を起こした八百屋お七が、吉三に失恋したまま死んで、風邪の神になり、吉三を取り殺そうと各戸ごとに覗き歩く、という伝承があります。
第一次対戦中に流行した「スペイン風邪」でも、実はスペインは発生源ではありませんでした。記録に残る最初の患者は、ヨーロッパ戦線に向かおうとするアメリカの兵士です。当時、中立国ゆえに報道官制が敷かれていなかったスペインの流行ばかりが世界に封じられたため、この名が付けられてしまいました。
江戸時代を研究していて感じるのは、ちょうど元禄あたり、西暦で一七〇〇年あたりを境に、いくつか日本社会に変化が生じている事実です。まず、ひとびとが幽霊とか妖怪を本気で信じなくなります。一六〇〇年代までの日本人はお化けや妖怪を本気で恐れていました。しかし、一七〇〇年頃を過ぎると、怪談などは盛んに語られるのですが、それは娯楽のフィクション、という意味合いが増してきます。
「疫病流行の背景には、異国との接近があるのではないか」ーもともと攘夷論者であった孝明天皇は、このパンデミックに直面することで、一層強く、攘夷=外国との距離=ディスタンスを維持することを考えるようになった、とみることも可能でしょう。
スペイン風邪
「第一波」「(春の先触れ)」は、一九一八年五月から七月まで。
「第二波」「(前流行)」は、一九一八年十月から翌年五月頃まで。
「第三波」「(後流行)」は、一九一九年十二月から翌年五月頃まで。
志賀直哉『流行感冒』
永井荷風『断腸亭日乗』
結論的には、病院のキャパシティを超えないように留意して、ワクチン開発まで経済活動を活発化しては制限して止め、またゆるめては活発化させるほかありません。経済か感染防止の二者択一ではなく、緩和と制限を繰り返しながら、弱毒化・ワクチン開発・症状緩和の技術開発まで、しのいでいくほかありません。
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【目次より】
第一章人類史上最大の脅威 牧畜の開始とコロナウイルス/ペリー艦隊が運んできた感染症/スペイン風邪は波状的に襲ってきた ほか
第二章 日本史のなかの感染症ーー世界一の「衛生観念」のルーツ
「最初の天皇」と疫病/奈良の大仏は天然痘対策?/疫神を歓待する日本人/江戸の医学者の隔離予防論 ほか
第三章江戸のパンデミックを読み解く
すでにあった給付金/薬をただで配った大坂の商人たち/上杉鷹山の患者支援策 ほか
第四章はしかが歴史を動かした
「横綱級」のウイルスに備えるには/都市化とパンデミック/麻疹が海を渡る ほか
第五章感染の波は何度も襲来する --スペイン風邪百年目の教訓
高まった致死率/百年前と変わらない自粛文化/「「感染者叩き」は百害あって一利なし ほか
第六章患者史のすすめーー京都女学生の「感染日記」
日記が伝える「生きた歴史」/ついに学校が休校に ほか
第七章皇室も宰相も襲われた
原敬、インフルエンザに倒れる/昭和天皇はどこで感染したか?/重篤だった秩父宮 ほか
第八章文学者たちのスペイン風邪
志賀直哉のインフルエンザ小説/?宮沢賢治の?完璧な予防策?/荷風は二度かかった? ほか
第九章歴史人口学は「命」の学問 --わが師・速水融のことども
数字の向こう側に/晩年に取り組んだ感染症研究 ほか -
良書。
著者の本は相変わらず素晴らしい。歴史家として、社会に役立つためには何をすればよいか探求していることが伝わる。
ほんと沢山の伝染病に見舞われてきたことが分かる。当たり前のことなのだ。ただ、世界は変わってきたので時代にあった対策が必要だ。
隔離はどの時代でも有効な対策だ。栄養、体力を整えることも。 -
以前から、「一度(一冊)は磯田さんの本を読んでみたい」とは思っていたものの、通っている図書館ではなかなか巡り合わなかったのですが、今回、自分の興味にぴったりの本を見つけたので、借りて読んでみました。
この本を読んで、歴史を学ぶ意義とは、「過去を学ぶ」のではなく、「過去で学ぶ」あるいは「過去から学ぶ」ことで、「未来を考える」ことにある、ということを強く感じました。
そういう意味では、この本の真骨頂は、「過去の日本の感染症の歴史から、2020年10月~12月にCOVID-19の第3波が起こる」と予想していること、そして実際に第3波がやってきたことにあると思います。
欲を言えば、第3波の可能性について、事前にもっと大きな声を上げることで、その訪れを防いでほしかったのですが、防いでいたらいたで、「第3波は来なかったじゃないか」という声も出そうなので、結果論を述べることの安易さに負けることなく、勇気をもって予測することは、よりよい未来を築くうえで、我々にとって大きな課題だと思いました。
以前読んだ、気候から歴史を考える本も面白かったですが、感染症から歴史を考えるのも面白いですね。
歴史をあまりに単純化するのは危険だと思いつつも、いろんな観点を手に入れる上で、ある切り口から歴史を学ぶことは非常に有用であることを、この本は、改めて気づかせてくれたと思います。 -
コロナ前から「感染症の歴史」的な本は、数多くあっていろいろと読んできたのだが、コロナ以降は日本の感染症を扱った本が増えた。
ふだん古い時代を考えるとき、つい戦前と戦後、明治と江戸では断絶された世界のように感じがちだ(教科書の記述から受ける印象もそんな感じ)。
しかし、数々の日本の感染症にまつわるエピソードを読むと、日本(人)の歴史は途切れることなくつながっていて、そして震災同様、日本人は忘れっぽい(教訓が生かせない)のだなあと改めて感じさせられた。政治や行政の対応が遅れがちなのも、今に始まった話じゃない。
と読んできて、、、
最後に、著者の師匠である、速水融氏のことを描いた章が登場する。正直、本書の趣旨とは少々ズレているような気がするのだが、実はこの章が一番の読みどころ。
数量史料を駆使する、速水史学の考え方、アプローチがコンパクトにかつ分かりやすくまとめられている。著者と速水氏の関係、速水氏が網野義彦氏、宮本常一氏について語ったくだり等々、読み物としても面白い。この章だけでも本書を手に取る価値がある……とは少々言い過ぎか。
”積ん読”してある、速水氏の名著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』も読みたくなった。 -
まず、歴史家の知見と現代医学の知見とは切り離して考えながら読んだ方がよい点があると思った。私は医学を学んだ人間ではないので素人考えだが、それはそれ、これはこれ、と切り分けて読んだ方が良い箇所があるように思う。
それはそれとして。
大変面白かった。
歴史の中の感染症は、学校教育の中では史実の一つとしてあっさりと「〇〇によって〇万人が命を落とした」と書かれて終わってしまう。天然痘、ペスト、スペイン風邪…
今、私たちは、数百年後の教科書にそう書かれるであろう時代を生きている。「感染者数は全世界で〇〇万人を超し、〇〇万人が命を落とした。」とあっさり書かれているだろう。だが、今を生きる私たちは、様々な問題、医療や経済や教育や観光や貧困や、たくさんの問題を目の前にして、多くの人が悩み、病み、怒り、諦め、暮らしている。
スペイン風邪流行期の一個人の日記という資料から当時の状況を分析している患者史から、そんなことを思った。お寺に生まれた女の子、大物政治家、作家、皇族、いろんな立場のいろんな日常の中のスペイン風邪を知ることができる。当時の一般人と今の私たちとでは、おそらく今の私たちのほうが感染症に対する知識はある。医学も進歩した。生活も変わった。だが、人間は100年程度では賢くはならないようだ、とも感じた。訳の分からない感染症の前で一個人は無力である。撲滅できた感染症は天然痘とポリオくらいで、未だ特効薬がない感染症も多い。
著者は「歴史から学ぶことの重要性」を繰り返し説いている。スペイン風邪の流行時の人々の暮らしから、今の私たちが変えられることはたくさんあるはずだ、と言う。(ウイルスが違うとか、そういう医学的で専門的なことはさておき。時代が違うとか、そういう当たり前なことはさておき。)
彼らもまた悩み、対策を講じ、病み、生き抜いてきた。あの時はこうだった、こんな対策があった、有効だった、そうではなかった、どんな速度で伝播した、どんな混乱があり、何に困り、どう考えていたのか。そういった「経験」が今どれほど生きるかはわからないけれど、全く顧みないということは愚かだろう。
多くの人間は医学の専門家ではない。経済の専門家でもないし、政治家でもない。たくさんの情報を手に入れることができる現代で、多くの情報に流されがちの、庶民にすぎない。
その「情報」の一つに歴史を加えてみてもいいではないか。 -
100年に1度はパンデミックがあって、今年はその年にあたるってことかなぁ。
100年前はスペイン風邪で、日本だけで45万人が亡くなったという。
コロナ騒動の初期(2020/4)において、
「接触8割減の徹底を」 北大教授、最大40万人超死亡
って、シミュレーションって格好つけてるけど、この数字じゃね?
いずれにせよ、100年前や、もっと前の多くの記録が残っているようだが、本書を読むまで、全く知らされていなかった、、、というのは何が問題なんだろう? -
今も昔も未知のウイルス対策は一緒。